傷ついた人の心にとって、それら紐付けにされている事は、
たとえそれが本当は悪いことでもなくとも、
つらい感情を呼び覚ましてしまう。
そういったことを、巧妙に
発生させ利用している存在(悪)があって、
現代シフトになっている時代側面があります。
言葉の乱用どころか、
意味も一昔前と簡単に入れ替えられては、
そのあってはならない間違いを
各種正せる立場にある人がいなくなってる・・
そんな面倒な現象は、
たどれば
支配意図的な存在の方法によってスパッと出てきたこと。
そんな存在悪の意図は、人、人々の忌避感情に くっつけてきます。
やれ国名であったり、
目指すべき状態であったり、
善処方法であったり、
旗印的なものだったり、
袈裟であったり と、
・・・何でもかんでもです。
なんにせよ個人段階的には、遠ざける必要もおおいに出てきて、
一時的には てっとり早い解決法です。
(このために日本国憲法の考え方においても、
あえて用いない、使わないものや言葉を区別することで、
戦争による傷ついた国民感情を
リセットしようとしたのでしょう。
それでも、本質に基く理由が少しはあってのことです。)
そんな、ときにやむなしの排除、社会状況は
もう極力それ以上、作ってはならないのです。
排除対象が、
人間や人の正しい思想本体であるのは、恐しい誤りだし、
社会手段の何もかもに及んだり、
そういったことが
さまざまな形で権威化されてしまってきている現況
、
もっとも悪質苦痛な大規模、小規模多発の戦争に、
いつなってもおかしくない。
社会 判断的には、本義を違えないように
本来、良い事に向ける能力、見ること、きくこと、、、
が、騙されないように
気をつけなくてはならなかったのです。
少し話は変わりますが、類似して
気をつけなくてはならない事は
たくさんになっています。
あたかも、やたらお金がものをいうかの状態、
心情を急変させられるような見た目や見るもの(おおかた見せられ物を求めているわけだけど)で、楽にマウントつけて決してしまえる状態
は、本質的には一時現象でしかなく、
ぜったい、すすめられることではありません。
そのいっぽうでまた、もっと大変なのは、
大いに気をつけないと、
その場で 人間性が くわれてしまいます。
人への優しさ、道徳観念や繊細な価値判断 の能力欠如が
ひどくなる状態は、やはり、非常に危険なのです。
心地よい感情は、
健康など多くの
それはそれは重要なセンサーですが、
それを誤らないようにだけは求められています。
ちなみに、憲法が貨幣ごとを規定してはいないのは、
貨幣のようなものさしが、正常に機能しなくなった場合のことも想定してあるのでしょう。