私がここで述べているのは、
今からすれば 真実を学べてきた学問に沿っています。
どんなに頭のいい人でも、努力家でも、
或いは人好きのする人でも、
殆ど真実に関わることなく生きていたら、
にわか情報だけでは、定着しないものかもしれません。
自分にとってショッキングな私の経験(決まって悪のムリヤリ、騙しが引き金で人の意地悪によるものなのですが、そう思ってもらえないところがいっそう苦痛の所以)があるたび、人の道徳観念に歪んだ価値観が、一般化してきていることに危機感を覚えてきました。
そして、10年ほど前の自分にあった事件をきっかけに感じたのが、
ざっくり言って、今でいうところの100歳以上の方でなければ、事実関係の正しさや道徳的な当然性がわかってもらえなくなっているのでは?だったのです。
教育テロや、焚書以上に酷い改竄や失いが、徐々にしかわかってきていなかった頃ではあったけれども、それより先に実体験でその結果をつきつけられて抱いた危機感。
ものの大事、正しさがきちんと記憶・理解できてきていなければ(幾多の誤解に、その期間が長ければ)、
かりに正しいことを言われたり読めたりしたときは、そこそこわかったりしても、瞬時に催眠術など入ろうものなら、本分を取り違えてしまうほどになっても、催眠術による自分が変だと思えないらしい。
教育が大切とわかりにくくなっていた多くの日本人。
(改ざんやなりすまし人員による)教育テロは強硬にして執拗、
その結果はけっきょく、すさまじかった。
現100歳以下の世代でも、ときに、くりあがってきている生命の終わりをはじめ、記憶操作など、何らかの形で悪の淘汰を受けてしまっているんです。
平成元年またいで、すでに老婆心のかたまりの私でしたが、そんなヤワな言葉じゃすまないのは自分でわかりつつ、
自分へのやられかたのほうも、内容として軽視してるつもりはなくとも、より進行早く、深刻でした。
じゃあせめて と、求めようとする先は、たんびにダメになってしまいますね。
さすがに、仏門は選択肢に入れてませんが。
自分や自分の血肉となってきた本質への興味、
学問は、私のこの半世紀ほどにおいても、
生きて確認できる人との接触やその関連物からしか得られていませんでした。
そして、現在、目にふれるもの耳に入るものに、
大事なことを確認できる正確さはまず、残っていませんし、
深刻な騙し(洗脳)が、当然の大型進行になってしまいました。
生きづらい~生きていけない世の、別の言い方。
おそらく、このブログ内容を、何かで照合することは無理なばかりか、
もう、攻撃してくる誤解物が立ちはだかるだけでしょう。
人と連携の望めない座学や連絡物は、私の世代でも既にアウトだったようです。
教育テロを経たことで、今後もっともっと厳しいことは、
後世の方をもつ方々に申しておかねばならない気がしています。
(素性のもう一つはっきりしない)予告者の言葉から類推するに、
パピルス(紙)をもってしても、文明(国より大きい社会)は滅亡したのです。
光り物(画面)は、もっと はかない ものですね。
いずれの投影物も、かつて私が人生 頼っていたかった物ですが。
* * *
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。
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