ここのブログには改ざんが起こる可能性が高くありますし、
私も皆様のブログや動画がそのまま正しく確認できているかは定かではありません。
そんな危ない橋をわたりつつも、
ここで、私が言えることは時代の証言で、
それを裏付けることができた学習もそれに含みます。
私の人生のアリバイを崩されては、私の言うことは崩されてしまいますし、
私のアリバイを崩すには、その社会背景などを崩す必要があったから、
歴史を違えられてきた
という、相関関係が成り立っています。
変わる現場を見ることになった生き残りには、
そんな、とんでもない命運がついてしまったようです。
だから、自分の生きざまに当てはめれば、
そんなにもう、何から何まで注視せずとも、
変えられている恐れのあることが、想像に難くないのです。
これまでのところ、私は、
得意なことや好きなことの範囲で、
こぢんまり生きたかったのに、
運ばれ方として、
あれやこれや身につけてみたり
確認することとなりました。
自分としては、かけがえのない機会や糧で喜ばしいことではあっても、
残念ながら、自分自身の安全は、とっぱらわれてしまったようです。
(悪の存在無くば、逆に そうとう安全を期した人生だったと思います。)
でも、けっきょく、私1個人だけへの嫌がらせだけなら、
こうまでされる必要もないよな・・・って、
思われるほうが段々ウェイトを増しました。
そうでなきゃ、さすがにあきらめの悪い私でも、
ああだ、こうだと言わないでしょう。
ちなみに、
男女雇用機会均等法のできたのは、 早くとも1990年以降です。
それまでは、雇用、就職活動の解禁日が、とりざたされたり、最低賃金の改定、週休二日制導入にバラつきがあったりと、変遷が見られていたので、直接関わりを感じなくて済む場合は、うやむやになるのかもしれませんし、どこかで騙されごとに帳尻合わせて覚えてしまうようなことをされているようです。
私と同じような年代では特に、職業的に
まったく別分野になっても、結局は
とんでもなく大きな段差に置かれてワリくって、
口が出しづらい羽目になる傾向はあると思います。
そんななかでも、例外ごとに進んでしまった私。
一匹狼になるつもりは、さらさらなく
オオカミの皮をかぶらされた カクカク(←?)
で、たまったもんじゃありません😓
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