今日はある方の命日。
当時、俳優の二谷英明氏に似ているとの噂だけど、もっとかっこよかったと多くが認めるw
毎度僭越ながら、・・・
私の心の父であることを許してもらっていると思ってきたけど、このへん今となってはうまく心の処理はできてない・・。
命日なら落ち着いて思いをはせたいところ、被害状況変化は今日ものっけからそれを許されない。
父として・・のことは、ついこの間までいっさい言わなかったのに、同期から、その方のお父様の事と同じと感じたと言われたことがある。 (今だって多くの方でそうかもしれないけど、他にもちょっとした共通点がありまして。 ) 残念ながら、その方の所在を先日誰もご存知なかった。
話は言葉のことに飛ぶけど、
心理学の一種を習ったとき、「性格」の意味、示す範囲が、一般で思われていることとは異なっていた。 催眠術などが無ければ、その考え方で問題ないのだけれど、犯罪関与催眠術(の横行)がゆえに、その捉え方が弊害になりうる。
明確に催眠術は本人のものではないのに、定義範囲は行動的なものを含んでしまうから。
しかし、周囲はおおかたそれで判断しようとするわけだから、場面のありようや回数で本人についての捉え違いを起こす。
少なくとも私の知る範囲では、催眠術にかかっていない人のほうが珍しい。
自己判断、自己責任の在り方に、より気をつけないといけないし、他人の判断は難しいというより、催眠術の存在と親身理解を徹底していなければ、勝手に判断することは不可能とすら。
改竄物等で性格判断済まそうなんて、いかにぶっ飛んでいるかの次元からは、より、より、デリケートなことだけれど、案外似たようなことか・・・? 生きよう全般に及ぶと、神経質でないというには人として無理が出てくる。
見聞きしたことからの推理・推測(たぶん間違いなし)だけど、自分で書いてて怖っ。
しかも、立ちはだかるというより、もうそれに突き飛ばされ続いてる・・。
重苦しいレスで恐縮です。