1977年の一つ覚えでまいりますが、
そんな頃からしばらく、噂を二、三 聞かされています。
具体的に誰のことかはわかりませんが、別々に実際に起こっていること
として。
; あの兄弟は、
上が東大なのに、その下が キガオカシイ(を意味する言葉)
と、交互になる・・というもの。
聞いてるときに、単にふーん顔にしている⋯
まあこっちは、
たいして超人的な頭脳でもなしの 他人事にはなるけど
とは思いつつ
、、いやいや、それって変じゃないの?
天才と○○は紙一重 などと、はやったのも似たような時期だろう。
そのうち、異をとなえたくなる頃には、
今度は
兄姉弟妹が一番上がうまくいきゃあ(東大とかなら)、次は少なくとも
優秀とされる大学にはいってる傾向
と、親が聞かされている
と、まるで逆に逃げをくらったようなことに。
~なことで、長女の私は暗に責任ふっかけられながら、
改ざんごとやらで、受験土俵にも上がれてなかった💧
~は、何が何だか何から何まで自分に疑心暗鬼をもたらさせるはめに
知らずと追い込まれてた。
このような昔の一連のことで、
着目したいのは、
キガオカシイ とか、そのような「言葉」を使う人物(子供とか)が
何も疑問をはさまずに、伝えてきていること。
何をもってそう言っているのか、こちらに伝わらないけど
おそらく口にしている本人が知らない、
乗じて偏見(誤解)を持ち込んでいる。
そしてそのまま考察(思いやり)もしないことが、
大人になって社会に関わる段になると、
大間違い(による罪)を、なんとも思わなくなっていくことに
化けてしまう。
最初の噂は、少なくとも こう言い直さなくてはならない。
東大に行った次は、精神病院に入れられている
と。
生物的に、事実上、頭がよすぎてヘンということは起こらない
(偏見を持ち込みさえしなければ)
頭を使いすぎてヘンになることも決してない
また、脳は人の特に大事なところで、人の強みであり続けたのも、
脳が堅固に、病などに侵されない、傷まない場所であるから
それは、
(自然)科学と、実態として、はっきりしていたことなんです。
機能として実際に当てはめてみたり、
遅くとも文明の起こったときから
人類が長きにわたりすでに証明していることであり、
日本のまじめな哲学究明者も、証明済みなことでした。
なのに、なぜ深刻な過ちを繰り返させていたか、またにしますが
だれが誰の許可で何の責任でどう判断しているかがまず重要。
頭の良さを一律にとらえるわけにもいかないけれど、
少なくとも、当たり前だったけれども科学に則った
きちんとした見方やり方をしっかり考慮 継続し、
慎重にやらないことには、
自分とは違う相手のことを、知りもせずに断じてはいけませんね。
なのに、
間違いを問われることなく積み上げてしまっていたところがあったわけです。
慎重にみていかなきゃならない相手を無視していくかっこうで。
改ざんで進んできた悪意は、
作らせた偏見に、巨大な権限を与える準備がありました。
気づかない大勢の人は人を傷つけ、けっきょく
人が滅んでも 偏見(誤解)の持ち方が 悪に利用されていることを
気づこうとしないのでしょうか。
人間狩りが、着々 行われてきたんです。
* * * * * * * * * *
どこの世界かって、この世界です。
世界とは、人類がいる所の地球という意味が、本来の使い方です。
住む世界が違うというようになったのは、
時間や場所、社会的な区切りが存在するからでしょう。
この区切りは、情報交換を避けさせ、
相手のことや、自分の位置、状況を、
わからなくさせるための区切りです。
とうとう、人間の成長や発展を妨げる誤解の種は、
どさくさの間に、ハビコリ、根づき覆い尽くしてしまった状態です。
いっけん何ともなさそうでも実はとんでもない悪のヨビイレ変化をまず
手前からやめて、
土台や本質、やり方、騙されてきている要素でことを構える
ギリギリの機会が終わってしまわぬよう、できぬものかと
⋯。
人にとって、モノは絶対でないからこその社会システムがあったのに、
モノの配下に人間をおいてしまったら、速いなんてものじゃない。
モノは、一見不変だったけど、
けっきょく、仏教の言い伝え通り 必ず壊れていた。
それも数十年先ではなく、一瞥と待たずに。
予告ワードを頼るつもりはないけど、人類は見た目と違い、
起こっていることなどからして
遅くとも錬金術の時代から、
人も技術も応用や順応以外でとくには進化していないよう。
人間も脳を有機的に働かさねば、ただのモノと、変わりないけど、
自然界では正常に働いていた苦痛が、別のやられ方で残るところは、
モノと違うからなあ
などなど、見せつけられもしました。
* * *
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。
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