報告ときどきピアノ

重要情報存続不能時代 このブログも開始日、経緯関係、内容等、復旧無理な改竄がついておりました

一期一会

2025-01-18 07:45:17 | 日記
今この事、ただ1度のこととして大事にしていく
といった意味をもつ一期一会

結果的には実際が、私自身ほぼすべてにおいて、1度きり事項ではないかと思います。
半世紀に満たない間のこの世の変わりようからして、それはそのはず。
でもそれ以上に、何か時代の最期を看取るかのことがずいぶんと多かったのではと感じ始めています。

それに反して、とも言えるし その一環でか、
特定、特徴的な、自分にとって重要な情報が、どうにも伝わらない事象も非常に多かった⋯そんな1つ

晩年の母があえて私に教えた自身の経験(いわば、猛牛化⋯)

ところで
私の母方の祖父は10人めかの末のほうなのだけど、住んでいた家は江戸時代から続く、柱も床も特別な材質、しっかりした造りと、幼少期に(当時にして100年経っている家だと)聞かされていました。
黒光りは始まっていて、母はそれを気に入っているのだとも。
西郷隆盛が泊まったこともあると後に聞いたのも、なるほど 時代が合ってました。

母の実家を訪ねた最後のほうでは、やはり、特殊なやられ方が見られたし、私も成人或いは社会人以降、倉を二棟新設するも、重要な品を収蔵したばかりを私らが確認するときには失くなってしまっていたという現場に立ち会うし、台風でさまざまな目に遭い、地震の後には家主が立ち入れぬ間にすっかり盗難された状態になったとききます。
現地はもう、夢の跡すらも確認できないだろうと⋯

話を母のことに戻せば、母が子供の頃、自身の父のもとに元政府役人軍人かなの叔父がよく話をしに来ていたのを疎ましく思い、追い出してしまったと私にわざわざ伝えました。
当時の目上目下の関係といえば、とんでもなく絶対であったに違いなく、たてつくどころかの大きな事件を起こしたようなことなのです。
重要情報が伝わらなくなってしまう現在も激しく起こってきている類似を感じます。他に祖父には徹底的なこともあり、単に母のヤラカシ案件とは言えません。
この1年ほどの私の煮つまりヤラカシ等も、通常からというわけではないけど、よほどに抱え込んでのことでの意味はあるつもりだし、けして強みにならず むしろ逆ですらあるわけで、わが家族の(猛牛、猪突猛進な)強さの発出は、また別物なんです。

けっきょく、親戚情報というのは、母自身ですらまったくの不十分のままであったし、わが父のほうは(その父が政府役人で実家は村の長)、さらに私に伝わりようがないまま、おそらく苦境の末の何もかも消滅😭

今にして改めて思うに、両親のシンメトリーな特徴は身近なことできましたが、母のわずかな情報では祖父母は一回り年の差ある両者うさぎどし山羊座、私の生まれも当時としては遅い出産なので、祖父の何人もいる中の兄とコチトラといえばかなりのレンジとなります。

で、書こうとしたことに戻りますと、
年齢は小学校低学年のほうかな、はっきり覚えていませんし、言葉としても具体的には覚えていないのですが、
自分としては稀有な体験があったのです。

熊本の母の実家に行っていたある日のこと、
今日はとても大事な会合があるからね と聞かされます。
母の親戚なのか女性陣などで、食事の準備をテキパキやるときに、まず当時、広い座敷に、それは見事に美しいそろいの御膳が、数えきれないほどズラリと並びます。配膳の小手先はほんのチョッピリ手伝ったか⋯。
そしてたしかに見るからに立派な方々が集まり、席につき始めます。
何となく人として一様なものを感じたのは、やはりほとんど親戚だったのかもしれません。
電車では子供を立たせていたと、常に遠慮を旨としていた母に従っていた私。
御膳が両脇に並んだ右側の末席あたりに、母が私の席を指定します。いつもと違うのはもうその時点で、妹らは、どうやら席に参じないようだったのです。女性陣は、働いているわけで、どうやら母も⋯
さらに驚いたことに母は3名の女性に連れられるように来て、その女性たちかが、母の決めた 私の席を、「そこじゃなくて」と、もっと中ほどに変えたのです。
人がそろってみると立派な年齢の人(男性)ばかり。
(どうなるんだろ、大丈夫か私? も、まな板の上の鯉?)
会合といっても、特段何かはっきりと聞こえてくるわけでもありません。
しかし、もう殆ど口を動かして喋ることができなくなっていた祖父も、あいさつのような場は設けられていましたし、子供にははっきり意味を聞き取れていなかったけど前後で無理のない口上が、同じ上座からありました。
会合というより、おごそかな雰囲気の中、
これまた特別素晴らしい器に特別美味い料理を、お隣に従うようにして、堪能。周囲は子供の私をさりげなく気遣ってくれていたかもしれません。

言葉にはしづらい あのような場はついぞ経験することがありませんし、何かで目にするようなこともありませんでした。
そしてもう、かろうじて取り出させてもらっている、私のこの記憶にしか残っていないのでしょう。

会食、普通の食事とは別格の格式、立派な形を体験させてもらったことで、なにか特段の責任感が植わわったのかもしれません。

長々、失礼いたしました。

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