3月11日地震当時、
娘は幼稚園。パパは茨城県桜土浦IC近くで高速道路運転中。
じぃじは駐車場。ばぁばは自宅。ママは職場。
とそれぞれの場所にいましたが、
無事に(パパは翌朝5時車で)怪我なく家に戻りました。
我家は1年1ヶ月前に茨城県ひたちなか市から引越しをしてきました。
その前は茨城県神栖市に、その前は茨城県潮来市に、
その前は茨城県つくば市に住んでいました。
あの余震のたびに映るNHK水戸放送局から見えるネジネジの塔だって
いつも見ていました・・・
車で走りまわっていた街が、津波、液状化、断水、度重なる余震。
自分もよく海を見に行っていたのでその時に津波がきたら・・・
各地各地の頑張っているだろうお友達の顔が浮かび・・・心が苦しくなります。
以前原発事故があった東海村の隣町だったひたちなかでは、
当時の様子をお友達から聞いていたので原子力の意識は片隅にありました。
今回の地震は人事とは思えず、自分は運が良かっただけだと思ってしまいます。
那珂湊 阿字ヶ浦
ひたちなかのお友達
大洗
潮来のコスモス畑
潮来と神栖の液状化による被害が心配です。
断水など。ライフラインが余震の影響を受けずに安定して
供給されますように。
どうか早く早く今までのような安心できる生活が戻りますように。