北向山(796.50m)
(山腹の古道「南郷往還」杉並木散策)
(行程) 俵山峠駐車場(発.10:50)→北向山頂上(着11:35)→南郷往還道分岐を越えて次なるピーク
(着12:30~昼食~発12:50)→往還道杉並木散策(着13:00~発13:35)→
北向山頂上(着14:50)→登山口下山(15:15)
北向山への山行は2015(平成27)年に登って、その翌年が
熊本地震(2016.4.16)であった。
地震直後(2016.5.15)に眺めた北向山は、稜線部からの崩落で
幾筋も地肌が剥き出しになり地震の恐ろしさを驚愕する
光景であった。(写真①・写真②)
その後の北向山は熊本市内に行き交う時に「じっ‐と眺めて」
山行可能かどうかの様子見をするだけに終わっていた。(2017.9.1の写真.③)
地震から5年が経ち、
登路の地層も地固めされて来て、安定しているだろう・・・
危険は承知のうえでせめて一度は崩落現場を視ておきたい・・・
南郷往還道は何処まで辿れるか?
巨木の杉並木はどうなっているだろうか?
工事進行中の立野ダムや3月開通予定の新大阿蘇橋そして昨年10月に
開通した57号線等々の立野火口瀬全景を山の上から眺めたい・・・
そんな思いを込めて、
相棒の石ちゃんを誘って一路、南阿蘇から七曲峠を目指す。
北向山(796m) の南郷往還道・杉並木散策(2021年2月24日) 2の1
北向山(796m) の南郷往還道・杉並木散策(2021年2月24日) 2の2
↑【往還道の登路はここで消滅】
↑【南阿蘇やすらぎロード(七曲峠直下)からの展望】
左から烏帽子岳・御竈門山・夜峰山
↑【俵山峠登山口】
↑【北向山頂上直下の登路】
↑【北向山頂上】
正面が「北向谷」への取り付き
↑【山稜に亀裂が入っている頂上直下の登路】
亀裂は谷側と尾根上の二方向に走ってる。
↑【亀裂が入ってる箇所からの展望】
眼下に観える「立野火口瀬」の全景と遠望に九重連山
↑【黒川に架かる新阿蘇大橋(2021年3月7日開通予定)】
↑【立野ダム(2022年完成予定)工事現場と思われる】
ダムによらない治水ができるのでは・・・
(参考)布田川断層帯北向山断層が
阿蘇カルデラ内まで延びているらしい・・・
↑【登路際から崩落し断崖絶壁となっている】
↑【稜線部から崩落し、散乱した岩石が深い谷底に流れている】
↑【尾根頂部・崩壊地の登路】
↑【切り立った断崖の谷筋をつくり谷底は視えない】
↑【昼食した場所を振り返る】
狭い鞍部に在る「南郷谷への分岐」を通過して
更に戸下温泉方角に登り返し、最初のピーク広場で昼食。
昼食後、ここで折り返し南郷谷分岐に戻る。
↑【鞍部となっている南郷谷分岐】
画面右(戸下温泉側)・左(北向山頂上方向)
鞍部に走る窪みが南郷往還道となり
手前(南郷谷:南阿蘇村久木野)・正面(北向谷:大津町)
(考察)
頂上から北東に尾根を下り、南郷谷と北向谷の分岐点を
「南郷谷分岐」と私が勝手につけた名前である
(登山資料を探しても地名の特定が無いので)が・・・
南郷往還を歩いた「いにしえ」の村人からすれば
一番高い標高に位置する峠道となっているので「南郷往還峠」と
称した方が昔の旅人には相応しいのかと思う次第であった。
そしてこの峠の窪みは
尾根上部を切土(きりど)した、切通し(きりどおし)の地形の形状と判断した。
ここから正面方向(北向谷)に進み、
往還道の杉並木を以下散策 ↓
↑【阿蘇北向谷原始林】
↑【登路から望む眼下の立野火口瀬】
↑【数鹿流ヶ滝(すがるがたき)】
↑【登路断絶で最後に愛でる杉並木】
↑【登路行止り】
急峻な崩落で地すべり崩壊
↑【57号線立野から登路を振り返る】
【2015年地震前に登った時の写真と見比べる】
南郷往還路の杉並木がハッキリ見える。
登山を終えて
1)北向山7合目付近を東西に横断する古道「南郷往還」は
中央部分が完全に消滅し(地震による山崩れで)再びこの古道を
完走することは永久に失われた。
2)北向山頂上から今回歩いた北東に下る尾根は、
地震による崩壊(樹林帯域が崩落)で北向谷側の展望が開け、
登路も明るく、見定めが効き、歩き易くなった。
加えて、登路沿いには測量用(行政の境界)と思われる赤テ-プが
頻繁に標してあるので明快な登路となっている。
【参考資料①】
北向山スギ等遺伝資源希少個体群保護林:九州森林管理局 (maff.go.jp) より抜粋
7合目付近には旧藩時代に植えられたスギの並木道があり、当時南郷谷から年貢米を運んだ史跡(南郷往還)といわれている。
【参考資料②】
大津町役場HP より転載
藩政時代、南郷往還は大津と阿蘇南郷谷を結ぶただ1本の重要な往還(道路)でした。
鶴口(大津)から吐(引水)の東稲荷神社、吹田、大林を経て白川を渡り外牧神社横から南郷往還に入り北向山に続く急坂を東に登り、岩戸神社の崖山を通って北向山山頂近くを横切りながら、長陽、久木野(南阿蘇村)へ通じていました。
この往還を南郷の人々は、上納米を馬の背に上大津のお蔵まで運んでいました。
(2021.03.02 加筆)
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