卯が鼻(774m)(草の道・栗の木坂)
(自宅から歩いて登れる山・ 坂シリ-ズ第1弾) 単独
快晴
(行程) 自宅(10:50発)→馬場集落(着11:20)→登山口(11:33着)→
牧場ゲ-ト(着12:05)→馬場・豆札牧場コ-スへの分岐(着12:08)
→(道に迷う事、10分)→卯が鼻頂上(着12:20~発13:10)→
登山口(着13:45)→自宅(着14:20)
※ 「卯が鼻」Yahoo地図検索←(クリック)
〇朝から燦々と陽光が射す。週末はこの冬一番の寒気団が日本中を覆うと
の予報であるので、今日一日だけの好天気であろう。
窓から見る楢尾岳・往生岳は朝陽が白銀に反射して輝いている。
天気に誘われ・・・・・・山行意欲がにわかに湧いてくる。
〇車は女房の先行予約(卓球サ-クル)で使えないので、自宅から歩いて往
ける山として「卯が鼻」を選んだ。
卯が鼻は昨年、5回目の探索(←クリック)でやっと三角点を探し出したが、そ
の時のル-トはミルクロ-ド側から入る馬場・豆札牧場コ-スであった。
今回の、馬場集落からの古道コ-ス(昔、放牧用の牛馬道として村人が利
用した山道で、現在は利用されず埋もれた歴史の山道となっている。)
は、1009.4月に一回トライ(←クリック)したが、竹藪に阻まれ踏破を断念した
ル-トであった。
〇昨年の暮れに「阿蘇北外輪山トレッキング協議会」(←クリック)に入会しょう
と思いHPを覗いていたら、古道コ-スが復元された事を知り、登高意欲が
充満していた次第であった。
▼我が家から田園の中に延びる一直線の農道を歩いて30分で麓の集落
「馬場」に着く。
ここから集落の里道に入り、外輪山壁側へ緩やかな坂道を辿る。
集落最上部の屋敷内で焚き火をしている老年の男性と挨拶を交わし、登山
口を尋ねる。
お宅の前の道を道なりに行き、大きく右にカ-ブして、お宅の裏手に廻り、
鬼塚集落に通じる林道の入口となり、林道沿いの空き家の裏が登山口であ
ることを案内された。
「昨日は30名位の団体が歩いて行かれました。最近は登る人が多いです
ネ・・・・。」と話された。
〔自宅付近から延びる農道の先に
〔自宅から眺める今朝の往生岳〕 馬場集落と卯が鼻(中央のピ-ク)〕
〔日本山妙法寺・藤井日達上人〕←(クリック) 〔馬場の集落・十字路を左に入る〕
▼登山口は前回、探索した時(今回とは反対側の鬼塚集落から歩いた)に取
り付いた所より10m位先(鬼塚集落から見て)に赤テ-プが捲かれていた
ので、其れに従い取り付いた。
直ぐに前回探索したル-トと交わり、昔の古道(復元されたル-ト)と私が
探索したル-トが大方合っていた事に満足感を覚えた。
〔鬼塚の集落に通じる林道
:登山道入口に赤テ-プの目印〕 〔空き家の裏手が登山口〕
▼前回、殺伐とした竹薮に閉口して断念した箇所も「伐り通し」され、要所・要
所に赤テ-プが捲かれ、道に迷う事無く歩いた。
復元されたル-トにはこの後も倒れた杉や竹(真竹?)が道を塞いでいるが
立派に切断され、登山道として整備されていた。
〔登路の始まり〕 〔復元された山道〕
▼石畳や石垣が残る山道には先人が歩いた往時を懐古すべき趣があり、
前回の探索の時「鬼塚集落」の区長さんから聞いていたお話で
「外輪山に放牧する時、牛を連れて上った道です。
ある時、放牧して自宅に帰ると放牧した牛が先に家に帰っていた・・・。」
と昔の余話を語られた事を思い出し、集落にとっては歴史の山道であった
事を確認した次第であった。
〔石畳が残る山道〕 〔石垣が積まれた山道〕
▼今回の登りで、一番気にかかった事は「登り上げた所は何処に出るか?」
であった。
西側にある登山口から登り、南西側(坂梨側)に出るかと思っていたら北西
側(北坂梨側)に出て「卯が鼻」直下まで登り詰めていた。
( 考 察 )
このル-トの山道の名前は北外輪山トレッキング協会のHPでは「栗の木坂」←
(クリック)を復元したと記されている。
私が3回目の探索(←クリック)で「作業道北坂梨線」を辿って南西側に下り、
尾根筋に在る「倒れかけた鳥居」を確認したが、あの鳥居は一体、何であ
ったのであろうかと疑問が残る。
「集落民が往来した証」ではないのかと推測するが・・・。推測が正しければ
昔の牛馬道は「栗の木坂」以外にも南西側に、もう一本あったのではなか
ろうかと思う次第である。
▼登路の往く手に牧野のゲ-トが立ちはだかるのでゲ-トの横を通り抜けて
進むとすぐに、錆びた有刺線が架かる鉄柱に赤テ-プが捲いてあるので
其れに従い北斜面(左)の原野を駆け上る。
広がるカヤトを右に見て歩くが頂上らしきピ-クは見当たらない。更に進むと
以前に歩いた馬場・豆札牧場へ至る方向に行ってしまうので一旦引き返し
て赤テ-プの分岐に戻り、改めて登路を見直して直進する。
直ぐに桜の木の根元から右斜面に取り付く微かな踏み跡を見つけ、冬枯
れのススキを踏み分けて頂上に至った。
〔遺物として放置された牧野のゲ-ト〕 〔馬場・豆札牧場コ-スへの分岐〕
〔分岐に入らず直進して直ぐに
右斜面に取り付く:桜木の根元から〕 〔卯が鼻頂上〕
▼頂上は前回来た時から比べると密生するカヤも刈り取られ整備されてい
た。無かった「山名のペナント」も建てられ、小広場として手入れされてい
る。多分、北外輪山トレッキング協会が整備したのであろう・・・・。
(復元活動に感謝と賞賛)
▼天気予報通り、うららかで風も無く好天気の昼下がりである。ラジオからは
管政権・第二次改造内閣・組閣名簿が枝野官房長官から発表されていた。
ビ-ルを飲みながら其れを聞き、冠雪した阿蘇五岳を眺めて下山した。
今夜は改造内閣のニュ-スでテレビが楽しみだ・・・・。
頂上からの展望
〔高岳・楢尾岳・往生岳〕 〔像が鼻・遠見が鼻〕
〔楢尾岳: ズ-ム撮影〕 〔往生岳・杵島岳: ズ-ム撮影〕
〔冬枯れのススキが密生する卯が鼻頂上〕 〔我が家が見えるぞ・・・。ズ-ム撮影〕
(2011/2/17日 加筆)
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