日本古代史を探る

「一の俣湯の華観音(自説)観音寺跡遺跡」に潜む古代ミステリーの調査研究に伴う雑感記と「せざん美術館」の紹介です。

「righteous despair ・ 正しい絶望」せざん美術館蔵~ 祈り

2023-04-12 09:50:21 | 古代史
 人間、望みが断たれるとき絶望する。
 
 人間に向上心がある限り、誰もが経験する「絶望」。

 この何とも言い様のない負の感情に、人間はどれだけ悩まされて来たことか。
 
 悟り切った人間ならともかくも、成長過程にある人間であれば必ずと言っていいほど出くわす。

 人間は何故かくも希望するが故の絶望を味わなくてはならないのか。

 絶望の先にあるもは一体何なのか。
 この問いに答なるものはあるのか。
 あるとすれば何なのか。
 そこに普偏的価値は待っているのか。
 或いは、各各自らがたどり着くべきであるか。

 私はそれを知らない。

 ただ私に出来ることは、
「祈る」ことだけ。

 絶望しているから祈る
のではなく、
 希望するから祈るのである。

 何のためでも、誰のためでもなく、
ただ、ひたすら祈るのである。
 
 一人静かに「祈る」
のである。

  僅かな希望の片隅から



万倉の大岩郷は湯の華観音(一の俣)・古代ピラミッドと繋がる

2023-04-04 09:18:51 | 古代史
 ソメイヨシノの花びらも舞始める春盛り。

 山口県美祢市伊佐町にある、万倉の大岩郷(天然記念物)に行ってみる。

 随分昔に行ったが、当時と印象はさして変わらない。

 天然記念物にしては不自然だと前から思っていたが、眼前の流れ出す大石を見て、改めてその思いを強くした。

 天然記念物じゃ無い!

 やっぱり墓だ!

 地元には、「巨人が運んできた」との言い伝えが残る。

公式には、「地殻変動によるもの」との見解である。とても「巨人が・・」とは言えまい。

一方、古代の墓陵とする説があり自分もこちらを支持する。

さらに墓陵説では、郷を上空から見ると、古代の武人の絵になるらしい。

そうだとすれば、いったい誰がどのような意図を持ち、どのような方法で造ったのだろう。

謎は深まるばかり。

 郷を遊歩道に沿い、下手から進んで上部の「天然記念物」碑に近づいた時、異様な光景が目に入ってくる。

滝のような石群の中に、一際目立つ石を2つ見つける。(写真)

「蛇の石」(自分が勝手に付けた)が2つ、石群の上に反り上がる様に存在している。
 郷上部の蛇の石は、ゆうに5メートルの長さがある。
 丁度、蛇が鎌首を持ち上げた形の石は意味有りげに石群の流れる先の南西方向を指す。

そして山斜面の石群は、何かをおおい隠しているように私には感じられる。

 郷の写真を数枚撮る。

 帰宅して、調査用の地図と経緯度計算で早速調べてみる。

 すると、あの蛇の石の蛇の頭は住吉神社(下関一の宮)を指した。(右廻り241度の南西)
 
 さらに、郷の中央部が東北方角の十種ヶ峰(山口)・葦嶽山(広島)・皆神山(長野)などの古代ピラミッドと呼ばれている山々と一直線上に並んでしまった。

 以前の自分なら、この事実を見つけた時には間違いなく驚嘆しているが、調査を進めた今はさして驚くことでは無い。というのもこの様な事実はことあるごとに経験済みである。
「なるほど。やっぱり。」という程度の感じである。

 いわゆる、ピラミッドライン(レイライン)と呼ばれる古代の呪術が、やはりここにも施されていた。

 言い訳っぽくなるが、例えこれが事実だとしても、仮説の域は免れ無いのである。
 
 何故なら公式には「天然記念物」であり、「墓陵」としては証明が現段階ではなされていない訳だから。

 しかし有力な仮説であるとは思うのです。
 今後さらに深掘りしてみたい。

 急ぎ足気味ですが、まずは調査の経過報告とします。

 お読みいただきありがとうございます。