日本古代史を探る

「一の俣湯の華観音(自説)観音寺跡遺跡」に潜む古代ミステリーの調査研究に伴う雑感記と「せざん美術館」の紹介です。

2022/05/27石造 湯の華観音 本堂(東向き)

2022-05-27 20:08:41 | 古代史
「観音ミステリー」とは、私が付けた湯の華観音に関する謎のことで、このミステリーの解明が調査の目的です。
今回は、ミステリーの一つの「神社の線」がテーマです。
神社の線は、前回書いた通り、神社や山を一直線上に設置する、古代の呪術の一つと考えます。今回私が発見している線は10数本ほど有りますが、今までにも、すでに他者が幾つも発見しています。因みに、私は池畑孝次郞さんの実績をヒントに発見しました。
ただ私には、池畑さんの様な陰陽五行(五代思想)の知識は全く無く、全くの手探り作業です。発見と言っても、今は私の独り善がりで、公的機関などで認められ訳でもありません。
戻します。
発見した線の中で最も大きい線は、伊勢神宮・いざなぎ神宮(淡路島)・湯の華観・エルサレム(イスラエル)
線です。特に、エルサレムに繋がることが判った時は興奮しました。
発見時に、たまたまキリスト教の本を読んでいました。ふと聖地エルサレムが頭をよぎり、机上の調査用地図で試しに線を引いたら見事に繋がりました。前に、図書館で池畑さん著「地上絵」を偶然見つけたことが頭をよぎりました。意図もすんなりと事が運ぶことが実際にあるものです。どうやら「神様がプレゼントしてくれた」と表現するのがピッタリです。そう言えば、池畑さんも、その様なことを本の中で言っていました。只、人に言っても信じては貰えないとのこと。
今回はこの辺りにしておきましょう。


2022/05/21 石造 湯の華観音座像

2022-05-21 18:36:29 | 古代史
私が物心付く頃には近くに湯の華観音は有り、山遊びで観音に行ったものです。何の変哲もない観音だが、不思議に「その何か隠されたもの」を子ども心に感じていました。
当時から、観音祭りやお大師祭りと称して、参拝者へ菓子や飲み物をお接待していました。
小学校高学年のころか、いつか観音を調べたい気持ちが涌いてきた。
結婚し、子どもも皆自立し、サラリーマン生活に区切りをつけた今、改めて沸々と観音への興味が増して来たのです。
観音の調査を始めて3年目に入った今、観音の謎が次々と現れ始め、古代日本史の勉強と合体させながらの調査を続けています。
今までに発見した謎の中で最も大きな謎は、神社や山を一直線上に並べることで神社の呪力を高める、いわゆる「神社の線」の設計の幾つかが観音を通過する事実です。このことを発見した時は体が震えるほど興奮しました。今も、次々と線を見つける度に充実感が溢れ出して来るのです。

次回は、これらの「神社の線」を紹介しながら綴りたいと思います。

2022/05/12 湯の華観音 観音杉

2022-05-13 09:35:01 | 古代史
窓の外は鉛色の空。

「現実と生きる」について~
人間は目口耳鼻手足内臓から物資を検知し取り込み、最終的に脳で仮想現実を合成処理し創り出す。
これが出来る地球上の生物は人類だけ。人間が霊長類と云われるのも解る。
喜怒哀楽は、合成処理で産まれる仮想現実という完成品。
良質完成品は喜楽、不良品は怒哀。
全人類が良質完成品のみ産み出せば世界は平和である。
ジョン・レノンの「イマジン」のメロディーである。
人間が神から与えられた使命があるとするなら良質完成品を産み出すことかも。
良質完成品の生産に長けた人のことを芸術家という。彼らは芸術品を産み続ける。つまりより良く生きている。
生きるためには「現実を見よ。」などと言うことがある。
どういうことか。
それは、身体の器官を駆使して得た物資と情報を臓器で化学反応させ、脳内で合成して良き仮想現実を産むこと。
「良く生きる」とは「良き仮想現実」を産むこと。
良く生きている人はいつも良き仮想現実を産み微笑んでいる。

窓の外は少し明るなくなってきた。

2022/05/11 石造 湯の華観音

2022-05-11 10:55:47 | 古代史
今日は梅雨の走りか雨。
昨日は連休明けか図書館は空いていた。家に居るのも退屈なので、借りていた「ニギハヤヒ」の続きを持ち込み読み。かなり集中できて満足。
それにしても、日本には神様なる者の多さを再認識。人間にはどれ程神様が必要なのかと・・。
観音は菩薩で神様では無いが、人が依り所とする意味に於いては一緒。
自分の中に神様はいるのだろうか・・・・、外の雨を眺めながら、ふと考える。

2022/05/10 湯の華観音 本堂

2022-05-10 11:22:28 | 古代史
「山口~古代地上絵」とは、古代の土師氏が周防(山口)に神社・山を用いて星座などを描くことで、祟りを防いだ呪術のことです。
湯の華観音も調べていくとどうも地上絵の一部になっている。因みに観音は西暦380年頃の設置になるようだ。観音は多くの神社と直線で繋げてあり、それが何を意味するのか解明しようと日々研究している。
五里霧中になるのもしばしば。時には投げ出したくなる。が、頑張らねば。