さて、前回の続きです。
翌日、寝不足な感じで大和市立病院へ行きました。既に最初に腫れが出てから3か月程度は経過していました。受付で紹介状を渡して初診受付の手続きの後、外科の外来受付に案内されました。受付脇には週間の担当医師の名前が掲げられていましたが、なんとタイミング良くこの日は「乳腺外来」の診察日だったのです。
大和市立病院は今でこそ近代的でキレイな建物なんですが、私が受診したのは三十年以上前で古い病棟でした。受付の後、少し待つと名前を呼ばれ、診察室の中に入りました。
診察室とは言っても、手前の壁際にパイプ椅子が幾つか並んでいて、カーテンを仕切られた先に担当医がいて診察をしているという感じでした。
この日は「乳腺外来」なんで、待合の患者の殆どはオバサン。男は私一人でした。
「あー、悪性かもしれないね。ちょっと組織検査しますか」
「前回の検査の結果、悪性だったから切りましょう。何時やりますか?」
カーテンに次々と呼ばれて医者からそんな話をされているのが、筒抜けで聞こえます。そして私の名前が呼ばれました。カーテンを抜けるとそこに担当医が居ました。見た感じインテリ的な「バカボンパパ」の様な医者です。年の頃は四十代半ばでしょうか。私は前に座り今までの経過を話し、左胸を見せるとバカボンパパは言いました。
「とりあえず中が膿んじゃってるから、まずはそれを出しましょう!」
医者は脇にいる看護師に恐らく局部麻酔の薬の名前と、メス等の準備を指示しました。
椅子の脇の診察台に上半身裸で寝る様に言われ、そこで局所麻酔を掛けて手際よくメスで左側乳輪の下を少し切開しました。すると中から膿がどばぁ・・ってな感じで出てきます。でもあまり麻酔が効いていないのか、痛みがありました。
「先生!ちょっと痛いんですけど!・・・」
するとバカボンパパは「こんだけ腫れたら麻酔だって効かないよ!我慢しな!!」
すると乳輪下の傷口からピンセットの先を突っ込んで、中で色んな場所を突き刺します。これが結構痛いんですよ。バカボンパパが言うには、乳腺の中の幾つかに膿の溜まりがあるので、それに穴をあけて出さなければならないとの事。これが結構痛いので、長い時間、拷問されているのかという感じでしたが、時間にして2~3分程度でした。
その後、傷口から「リバコ」というガーゼを中に入れて、傷口は開放のままで上から厚手のガーセで覆い、初診の治療は終わりました。
「今日から1週間、傷口の消毒を毎日行うので来てください」
バカボンパパからそう指示されて、診察室を後にしました。もう何だか虚脱感がめい一杯でした。
それから1週間、午前中は大和市立病院の外科外来に通いました。その度にガーゼを抜いたらピンセットで中を探り、場合によっては刺し、またリバコを入れる、という治療が続きました。(当然ですが、麻酔無し)いやぁー・・・これは日々拷問を受けている感じでした。でも1週間経過してキズが癒えると、腫れはすっかり引いて痛みも無くなり身が軽くなりました。
この担当医のバカボンパパは、当時の外科医長で乳腺専門医でした。キズの治療が終わると、当時の私は太っていたのですが、その影響でホルモンバランスが崩れているのが原因かもしれない、という事で男性ホルモンの注射をしました。何でも男性ホルモンをすれば乳腺は小さくなるので、これで再発が防げるかも知れないと言うのです。
「もしかしたら、また腫れる場合があるかもしれないが、その場合には直ぐに来てください。」
これが最後のバカボンパパ医師の言葉でしたが、私としては「二度と来たくない」と思っていました。その後は特に再発の兆候もなく過ごしていました。。。でもこれ、約三か月程の期間でしたが。。。(続く)