乳腺炎の事も今回が最後です。お付き合い頂きありがとうございます。
ドレンを付けたまま退院して、自宅療養となりはしましたが、まさかそんな出で立ちで外出する訳にもいかず、私は自宅で寝ころんで日々を過ごしていました。3日後には抜糸とドレンの抜去を行うという事を言われていたので、それまで「養生」という名目のもとで、仕事も休みノンビリと過ごしていました。
ちょっと脇道にそれますが、当時の私は「年俸契約」という事で仕事をしていました。当時の社会は今の様に「コンプライアンス」などもうるさく無く、私の場合には、勤務についても自己管理。その変わり有給休暇というものも無ければ、残業という考え方もありませんでした。
当時の私の立場は出張所の「所長待遇」という事で、他の従業員の勤怠管理もしていましたが、要は決められた仕事をしっかりやれば年俸を12カ月で割った賃金を毎月支給するというものでした。だからこの手術の時も前後併せて1週間以上仕事は休んでいましたが、特に問題は無かったのです。
まあその変わり残業は青天井で、夏休み中であっても夜中に呼び出されたりしましたが、それでも緩い勤務でしたね。
さて抜糸の日当日、病院に行くと担当医はバカボンパパ先生ではなく、その助手の若い医者でした。若い医者に聞くと、この日はバカボンパパが手術をした患者等、他の医者の患者も含めて抜糸の患者ばかりだそうです。
「こういった雑用ばかり押し付けられるので、たまりませんよ」
ブツブツ言いながら私の抜糸作業をしていましたが、まあどこの業界でも若手は最初、雑用を押し付けられるものでしょう。この病院にしても同じなんでしょうね。私の場合、この抜糸と共に左胸に残置していたドレンとボトルも併せて取りました。漸くフリーになった気分。正直ホッとしました。
その後、もう少し休みを取り、翌週明けから仕事に復帰。仕事も二週間近く貯めていましたので、また忙しい日々が始まりました。しかし。。。
それから2週間ほど経過すると、また左胸が腫れてきました。今度は「腫れ(コブ)」ではなく、左胸の一部が「板」の様に固くなっており、熱も持ち始めていました。
こういう事は放置するのは良く無いので、気が付いた翌日に病院へ行きました。その日の担当医は主に肝臓等の手術をする外科医でしたが、症状を言うと直ぐに局所麻酔をかけて、手術痕の一部を切開。するとそこから多量の血膿が出てきたのです。医者は手で押して、ある程度出すとキズは開いたまま、厚手のガーゼで傷口を覆い、恐らくこれで傷口は自然に塞がると思うので様子見しましょうと言われました。何故こんな事になったかを聞くと、担当医は「皮膚には常在菌があって、何かの拍子でばい菌が中に入ったのかもしれません。一応、抗生剤を一週間分出しておきますので、もし腫れがぶり返す場合などは、担当医(バカボンパパ)の受診の日に来てください。」という事でした。
その後、腫れが再発する事もなく無事に終わりましたが、この事だけは未だに個人的にはよく判らない事でした。どこでばい菌が入ったんでしょうね。
この乳腺炎の手術からは今は既に三十年以上経過していますが何も問題も何もなく、傷口も綺麗になっています。ただ手術後10年程の間は、天気や季節の変わり目などでキズがうずき出したり、場合によってはピリピリと痛む事もありました。
「体にメスを入れる」というのは、それが小さな手術であったとしても、何かしら影響を残すものなんですね。
乳腺炎の体験は以上となりますが、私の人生ではその後も様々な病気を経験していく事になるのです。それはまた次回以降に。