今日の記事は、よもやま話です。
先日、私の全快祝いを兼ねて本栖湖で冬キャンプをやってもらった事について、先日記事に書かせてもらいました。この時、友人の息子も来ていたのですが、その息子もバイク乗りで様々なバイク談義に華を咲かせていました。
そんな中、その息子は「バイクに乗るのは修行する僧みたいなもんですよ」という話があって、とても共感してしまいましたが、確かこれは著名なバイクYoutuberも似たような事を言っていたと記憶しています。
息子曰く。
「バイクなんて客観的に言えば”辛い乗り物”じゃないですか。基本1人で移動する乗り物で、夏は暑いし冬は寒い。雨がふれば濡れるし、走っていてもけして楽な乗り物です無い。そんなバイクに長時間乗って、長距離を移動して、無事に家まで帰宅する。これは当に修行みたいなものだと思いませんか?」
確かに言われてみればそうなんですよね。
この時の友人もそうだし、その友人の息子もそう、そして私もそうですが、1回ツーリングに出ると日帰りでも250km~400kmを走る事が良くあります。その間、車と比較しても乗り心地のけして良くない、二輪の「愛馬(バイク)」に跨って、ひとり必死に走るという事は当に難行苦行、修行と言うにはピッタリの行動です。
でも、そんな修行を何故するんでしょうね。
これを考えた時、ふと私の中に浮かんだのは、かなり以前にベストセラーになった「話を聞かない男地図を読まない女」(アラン・ビーズ/バーバラ・ビーズ共著)という本の事でした。この本には男性と女性の思考の違いの話などが具体的に取り上げられていて、そこから「男脳・女脳」というのが当時話題となりました。
この本では男性とは人類発祥の時から狩猟を手掛け、女性はコミュニティを維持し子育てをするために進化をしてきた事から、両性間で思考回路が異なっている事が書かれていました。そして男性は狩猟から帰ると、家族の元に戻り、焚火を見ながら、何も考えずに火をいじったりして、気分の転換を図るという事が書かれていて、その名残で現代の男性も家に帰ってから、一人で過ごす時間を大事にするんだと言うのです。
まあここで云う焚火では無いのですが、やはり煩雑な日常世界から離れ、たまに孤独な自分の世界の中に浸れるのが、自分にとってのツーリングでは無いかと考えたりしましたし、だから好んで修行僧みたいな事をやっているのも、この男性脳的な行動の一つなのかもしれません。
一方、これは女性ライダーに多い傾向かと思いますが、ツィッター等で「#バイク好きと繋がりたい」というハッシュタグを付けて、横のつながりを持つ事を大事にするというのは、女性脳としてあり得る話なのかもしれません。
あーーー、こんな事を書くと、昨今のジェンダー問題に絡んで性差別主義者と言われてしまうかもしれませんが、これはあくまでの私自身の個人的な考え方なので、誤解しないでくださいね。
ちょっと友人の息子との会話から、こんな他愛のない事を考えてしまい、こんな記事を書いてしまいました。でも私にとっては、偶に日常を離れて、自分の世界を楽しむ事がツーリングなのかもしれないと思ったりしますし、それはいわば私にとっては修行の一貫なのかもしれませんね。
ちょっとした戯言ですが、記事に書かせて貰いました。