このところ、毎週土曜は作文講座を開いているのですが
普段定期テストでは国語の点数は悪くないのに
作文となると、何が何だかわからないのを書く子の指導は
頭痛がしてきます。
ほんとにもう、どうしてなんでしょうね。
とはいうものの、原因の一つは絶対に「読書量不足」
そういえばこの生徒は小学校高学年での入会で
英数入会だったのです、国語は大丈夫だからとかで。
う~っ、大丈夫じゃない・・・・・・
第一に、主語述語間がねじれているのです。
で、そのねじれが、文脈上でも多発するので
多分こんなことを言いたいのだろうなという推測はできるのですが
読んですんなりわかるようには書けていないのです。
作文は「読んでわかる」が肝心要なわけですから
これでは通らない、とカリカリしてきます。
けっこう小難しい言葉を使っていたりもするのですが
その言葉の本質的な意味を勘違いしていることも多いので、
よけいに意味不明な文章になります。
「私の読解能力が低くて読めないのだろうか・・・・・・」
いや、そんなはずはない、
教室のスタッフみんなに回覧して、指導の知恵を絞っています。
中三生に、今頃天声人語の書き写しなんてやってる暇はないだろうし。
話は変わりますけれど
小学校の頃から特殊学級に在籍してきた生徒は
学校の教科書すらも受け取っていません。
先生の手作りプリントで学習していたといえば聞こえはいいのですが
国語の教科書すら読んでいないというのは「語彙」に深刻なダメージがあります。
日常使いのちょっとした言葉の意味が分からず
自分の気持ちすら表現する言葉がないのです。
割り算から学習開始で、一年で分数計算までやれるようになっているのにですよ。
この子が、せめて国語の教科書だけでも読んでいたなら、と思います。
いまどきのこどもに「読書」なんていくら言っても無理なのでしょう。
けれどもせめて教科書ぐらいは熟読させたいものだと思います。
上記の作文がダメな子はもちろん普通学級で
定期テストで五教科400は超えるのですから、教科書は読んでいるはずですが。
それでも、まとまりのある文が書けないのはなぜ?
あと三か月のうちに、何とかできるものかどうか、ほんとに頭の痛い昨今です。
普段定期テストでは国語の点数は悪くないのに
作文となると、何が何だかわからないのを書く子の指導は
頭痛がしてきます。
ほんとにもう、どうしてなんでしょうね。
とはいうものの、原因の一つは絶対に「読書量不足」
そういえばこの生徒は小学校高学年での入会で
英数入会だったのです、国語は大丈夫だからとかで。
う~っ、大丈夫じゃない・・・・・・
第一に、主語述語間がねじれているのです。
で、そのねじれが、文脈上でも多発するので
多分こんなことを言いたいのだろうなという推測はできるのですが
読んですんなりわかるようには書けていないのです。
作文は「読んでわかる」が肝心要なわけですから
これでは通らない、とカリカリしてきます。
けっこう小難しい言葉を使っていたりもするのですが
その言葉の本質的な意味を勘違いしていることも多いので、
よけいに意味不明な文章になります。
「私の読解能力が低くて読めないのだろうか・・・・・・」
いや、そんなはずはない、
教室のスタッフみんなに回覧して、指導の知恵を絞っています。
中三生に、今頃天声人語の書き写しなんてやってる暇はないだろうし。
話は変わりますけれど
小学校の頃から特殊学級に在籍してきた生徒は
学校の教科書すらも受け取っていません。
先生の手作りプリントで学習していたといえば聞こえはいいのですが
国語の教科書すら読んでいないというのは「語彙」に深刻なダメージがあります。
日常使いのちょっとした言葉の意味が分からず
自分の気持ちすら表現する言葉がないのです。
割り算から学習開始で、一年で分数計算までやれるようになっているのにですよ。
この子が、せめて国語の教科書だけでも読んでいたなら、と思います。
いまどきのこどもに「読書」なんていくら言っても無理なのでしょう。
けれどもせめて教科書ぐらいは熟読させたいものだと思います。
上記の作文がダメな子はもちろん普通学級で
定期テストで五教科400は超えるのですから、教科書は読んでいるはずですが。
それでも、まとまりのある文が書けないのはなぜ?
あと三か月のうちに、何とかできるものかどうか、ほんとに頭の痛い昨今です。