新田次郎さんが知りたくて、御嬢さんが書かれたこの本を購入しました。
本当に仲の良い親子でした。
「恋文」と題名をつけただけあって、咲子さんとお父さんとの関係は楽しくて
情愛があり、こどもを想う父親の配慮 それを受けて更に信頼をましていく娘の成長がつづられていました。
今日こそ、この読み切ろうと思った日は、お風呂までもっていき、腰湯をしながら約1時間、終えることが出来ました。
解説は「森村誠一」氏。
妻(作家・藤原てい)の背後に取り残された形の作家・新田次郎は、心の中に、まだ世に出していない作品を抱えきれないほど抱えながら、男としての屈辱に耐えて妻の後を必死に追った。
作家はどんな壮大な作品世界を心中に蓄えていても、発表しない限り無意味であり、作家でもすらない。
←妻、藤原てい氏のベストセラーになった本
いつの日かなすことあらんと心に期していても、嫁入り先のないない作品をデスクに積み続ける虚しさと不安、出版社に持ち込んで
「こんなもの読めたものではない」と突き返されて「晩霜の寂しい道を持って帰る」屈辱に耐え、筆を折らずに書き続けることが、作家になる為の第一条件である。だが書き続けたからと言って作家になれるとは限らない。
(中略)
作家以前に、なにか別の職業に就いていたものは、作家以外のなにになっても満たされない人が多い。
新田次郎は作家たるべく生まれてきた人間であった。
そして、作家になる前の過程や職業が彼に新田文学という一大山脈を創成するための環境を用意していたのである。
著者藤原咲子氏には、新田文学の真髄を伝える、作家としてのアフターケアーまで新田次郎はしてもらっている。
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新田次郎氏の亡き後、次男が遺志を引き継いで書かれたのを知りました。
読んでみたいと思っているところです。
この作品の前後に飛び込んでいきたいのが「八甲田山死の彷徨」
本の世界。
居場所をココにして、その世界に飛び込んでいける
それが実感できるのがとっても嬉しい。
新田次郎氏は、小学生の咲子さんに「読むことは築くこと、書くことは創ること」に伝えています。
ご自身の強い思いだったのだと感じました。
私が「書くこと」を意識し始めたのはつい最近で、
書いていればそれだけで「うまく」なっていく。だから「良い事あるかも」と思っていたのですが、それではいけないと思えるようになりました。
ブログ始めていて、こうやって感じられるのも、有難い事です。
ブログを通じて、相手様と繋がることもまた楽しいですね ありがとうございます。
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