土曜日から学習する資料の1つとして、「ザ・メンタルモデル」(由佐美加子・天外伺朗 著)大急ぎでを読んでいます。
この本の内容は、だれでも4つの問題・悩みに該当しており、それを知りましょうと説いている。
4つとは、
・ひとりぼっちモデル
・価値なしモデル
・愛なしモデル
・欠陥欠損モデル
この区分は、もれなく誰にでも当てはまると言っている。
私は、「愛なしモデル」に当てはまる
愛なしモデルの特徴は
本当の愛を見出したい。だから愛がほしくて、認めてほしくて、滅私奉公のように人に尽くす。
(やがて限界を感じます)
そこまでしても「ほしい愛」は得られない。
愛がほしい・愛に飢えている人がどうすれば「愛」を感じ、愛することにきづくのか?
それは「自己愛」なくしてなりたたないと知ること。もつことだ
十分自分を「いいんだよ」「その判断も、その行動も いいんだよ」と抱きしめてやること。気づくことと言っている。
とても納得しています。
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親の愛情という言葉で「子供のことを心配する。口出しをする」中には暴力を使って、言うことを効かせる」ことも世間にはある。
子どもを想い・心配する感情は、子供の成長や行く末を案じてこその、親のまごころなんだけど
実は、その真心(美しいことば)には、「私の言うことを聴かせる」狙いがある。
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私は出来たから、この子にもやらせてあげたい。
私は出来なかったから、この子に期待をかけたい
愛されなかった私が、自分の子供には「不憫なおもいさせたくない」
これ、子供にとって、また家族にとってどうなんだろう。
子どもの言葉として、出てこなくても、「親は自分の夢を叶えるため、自分の満足のためにやっているんだろう」と思われていないだろうか?
子どもは、親に言われて進んで嬉しそうに取り組んでいるだろうか。
イヤイヤやっていないだろうか。それが日常になっていないだろうか。
これ、自分を愛していない人が、してしまう「おせっかい」や「命令」
愛を持っている人は「愛の押し売り・おしつけ」をしない。
この本を初めて手にしたとき、なんだか難しそうと思ったのだけど、
著者と受講生(塾生とかいています)と会話で、進めている文章はに、
「すごい!! 言い切っている」とか、「なんて読みやすいんだろう」に変わりました。
「愛の押し売り」を、無自覚に・惜しみなく長年やってきた私、新たに気づかせてもらっています。
色づいてきたほうずき
親は損得なしにでしょう。たまには損得で動く時期があるかもしれませんが、殆どは前者と思います。
子が自立したときには、その時々の対応になると思います。親ほどありがたいものは無いと、子供たちはいつの時期にか気付くはずです。その繰り返しで、今まででは?。
親の愛は、何にも勝る。
そうですよね
学校の先生のげんこつも、愛があるから。
・・と思われていましたが、いまや「げんこつは暴力」犯罪と考えるのが常識です。
愛するがゆえに、自分の言いなりに(思ったように聞き入れてほしい)なってほしいというのは、
大人という大きい力から弱い力への服従を望んでいます。
では、親は何も言えないのか?
そうではありません。
子どもの気持ちを汲む。
子どものした結果に親は関与しない。
ま、そうしたことだと思います。
それでないと、子供は自分の考えたこと・したことの責任を考えようとしません。責任転嫁しようとしたり「親のせいだ」になりかねません。
たかが、宿題をするということにについても
「そろそろ宿題 した方がいいよ」「👉「いつまでしないでいるの」とだんだんボルテージがあがります。
といって、いえばいうほど子供はしなくなるでしょう。
こんなことは日常にある光景ですが、
子どもの行く末を大切にするというなら、
子どもに「宿題するかしないかを任せる」
ここんとこなんですよね。