朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

グッドフェローズ再観

2021-10-03 18:43:45 | 雑記


2時間半ぐらいの結構長い映画です。
今朝、早く起きたのでなんか映画観たい
なと思い(笑)

実在の人物の伝記映画ですね。
立志伝ではありません。

主人公のナレーションが入り物語は
進んでいきます
これが長い時間を長く感じさせず
軽快感があります

3人ともに存在感マシマシですけど
ジョー・ペシが圧巻というか
見事に役にハマってましたよ(^-^)

お前なーという感じです(笑)

焼鳥屋(終)

2021-10-01 06:14:54 | 雑記
宇都宮にある旧中島飛行機の流れを汲む
富士重工宇都宮製作所
航空機の翼(よく)を加工する
航空機の機体は全て削り出し加工が基本となる
少し専門的になりますが、ジュラルミン7000番台という軽くて強い素材を無垢(加工される前の状態)の何トンという重さから何百グラムまで、切削用の刃物(エンドミル)と専用の工作機械で削り続けて仕上げていきます
そこでの工具選定の打ち合わせを終え
帰路につく

少しご無沙汰だ
報告書を書いたら龍に寄ろうか

---
(おや?定休日ではないのに提灯が灯ってない)

ガラガラと引き戸を開ける

(こんばんは)
親爺が白馬錦の一升瓶から酒を注ぎ
独酌している

(何かあったんですか?)
凍えるような声で
「朱禪さん、かかあがあの世へいっちまった…」

(えっ?)
呆然とする
ひと月前にはあんなに元気だったではないか

ぽつりぽつりと親爺が凍えた口を開く

心臓発作であったこと
朝起きると冷たくなっていたこと
男をつくって二度出ていき、二度出戻ったこと
生きる意味が見いだせないこと
葬儀は近親者だけですませたこと
亡くなったことが信じられず
それでも隣りにいないことに気づき
絶望的になること……

「おらぁ、もう商売たたんちまおうかな…悲しすぎて涙も枯れちまった」

言葉が出ない…
親爺は3升目の白馬錦を開ける

(俺も飲んでもいいかな)
親爺はコクと頷く
カウンターに入り、くろうまを手に取り
親爺と差し向かいになる

黙って、ただただ親爺のママに対する
想いとどれだけ自分がママに惚れていたかを絞り出すように話す親爺と酒を酌み交わす

そのうちに親爺はグラスをことりと
置くとカウンターで寝てしまった

朝になると、また悲しみがやってくる
だろうと思いつつ、親爺を担ぎ、
2階の寝床に寝かせる
ポットに水を満タンにしグラスと一緒に枕元へ置き立ち去る

店の鍵を閉め、焼き場の窓の隙間から
ポトリと落とす

明け方の空は群青色から蒼天に変わろうとしていた

(今日は仕事にならんな)と思いながら
急に酔いが体の芯にこびりつくが
醒めた頭の隅でママさんにお礼を言う

(ママ、いつも笑顔で迎えてくれて
ありがとう。もしどこかで親爺の事をみているなら、もう泣くなとそっと報せてくれませんか。お願いします)

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以来、自分で焼く、焼鳥は食べるが
焼鳥屋には行っていない(行けない)

私の中で「焼鳥屋」は「龍(たつ)」しかない事はこれからも変わる事はないだろう。

亡くなった人を想うと
その人に花が降りそそぐという事を
今日は信じたい



ある鉄クズ屋でのできごと

2021-09-23 08:03:28 | 雑記
毛馬洗堰(あらいぜき)から天満橋まで
続く大川沿いの遊歩道は春になると桜のスポットとなる大阪でも有数の桜並木です。



しかし、私にはJR桜ノ宮駅から歩いて
祖母に連れられての鉄クズ屋の印象が遥かに濃いのです

桜ノ宮駅近くの大川には
バラックで作られた小屋が点在していました。
主に鉄クズですが、廃品回収を生業とする在日一世達が住んでいたのです。

祖母は数え歳100で世を去りました。
私が小学校時代は祖母が
墓参りに行く、石切さんに行く、
生駒聖天さんに行くなど祖母の行事には
ことごとく一緒に連れられて行きました

その鉄クズ屋に行くことも祖母の行事のひとつでした。

鉄クズ屋には、シャーマン(巫女)と呼ばれる、あの世にいる亡くなった方が憑依し、その言葉を告げる儀式を行う女性が
いたのです。

ハングルではこの儀式を「クッ」と言います。

おそらくその身にふりかかった厄払い的な祖母の行事だったのでしょう。

五色の衣装を着たシャーマンが
銅鑼や鐘、鈴、チャンゴ(朝鮮式太鼓)の音に合わせて祈りだします

銅鑼などの鳴り物のテンポがつぎつぎと早くなってくると、シャーマンは立ち上がり、テンポに合わすのではなく
自分のテンポで踊りだし、その場で軽く軽く跳ね上がっていきます。

鳴り子はシャーマンの踊りに合わして
テンポを変えていくのです。

最後はほとんどジャンプする状態が
続き表情が恍惚としてくると
(多分トランス状態だったのでしょう)
祖母も一心不乱にブツブツと祈り続けています。
私は恐さを感じながらも黙ってみていました
その内にバタとシャーマンが、床にうつ伏せに倒れます。

おもむろにもたげたその顔は
本来のシャーマンの顔ではなく
男性の顔と声に変貌していました。

そして、祖母にハングルで
何かを伝えます
祖母は一切私生活ではハングルを使いませんでしたが、言葉は知っています。

シャーマンの男声音を聞きながら
祖母は普段滅多に見せることのない
涙を流し「うんうん」と頷くのです。

やがて、シャーマンが本来の女性の顔に戻ると祖母の顔は憑き物が落ちたような
顔になります。

そして、「たぁ坊、帰ろうね」言うのです

先日、戦友と大川沿いを通過しましたが
それら鉄クズ屋は全て消え去っていました。

今から思うと、現実的なことではないと
思いますが、祖母にとっては必要な
儀式だったのでしょう。

ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


焼鳥屋④

2021-09-23 03:40:40 | 雑記
おおっ!ドクターイエローか!
前日の夜、後輩から納めた商品の
割れによるクレーム処理の電話を受けた
私は朝一の東北新幹線で人生初の
ドクターイエローをみた。

ドリル、エンドミルと呼ばれる切削工具を保持する保持工具を製作するメーカーに所属していた私は当時、営業でしたが
7割は他の社員のクレーム処理担当を
やっていました。

「おそらく錆からくる材料の劣化やろ、あと切削条件がキツすぎる、社長さんは言わんかったけど、刃物何本も折れてるはずや」
クレームは、こちらに非がないことを伝えるのではなく
相手が何に困っているかに着眼して
問題解決をはかる絶好の機会だ。

丸半日かけて、相手の言い分を聞き
こちらの対案と材料分析をすることで
持ち帰る。

「ほな、帰るで、気ぃつけて運転しぃや」
あー、とりあえず終わった
福島駅から東北新幹線に乗る
「17時か、龍にいけるな」

---

(こんばんは)

「あら、いらっしゃい、どうしたの?
疲れた顔しちゃって」

(ええ、ちょっと東北まで行ってきた帰りなんです)

「まあまあそれは、お疲れ様
瓶ビールでいい?」

(ええ、お願いします)

ママとも親しくしてもらい
ますますホッとするL字カウンターの奥で、キュッとビールを空ける

「朱禪さん、何からにします?」

(あ、そうですね、造り(刺身)はなんかありますか)

「うん、わかった
ちょいとあんたシロがあったでしょ?」

焼き場で炭の火加減を整えていた
親爺に声をかける
「え?あったっけなー?」
「あるわよ。あんたが後で一人で食べてるのも知ってるわよ」

アカ(赤)は鶏肝
シロ(白)は背肝、腎臓だ
取り出すのに手間がかかるが新鮮な
鶏の背肝は生がうまいことを親爺は知っている

「アカもシロも出しちゃいないさ
まったくもう…なんだって自分の酒の肴にするんだから」

「へいへい、わかりましたよ(笑)」

親爺はママにベタ惚れなのだ
元山男の峻険な風貌もママにかかれば
孫を見つめる好々爺に変わる

「あいよ、お待ち」

鶏肝は何度か食べたが、背肝の造りは
初めてだ
刺身用の醤油とおろし生姜と極薄にスライスしたにんにくが添えらており、
かたわらには削った岩塩があった。

岩塩を少しだけネタにつけ食べる
塩の甘みとネタの甘みが見事にマッチし
生臭さはなく、口の中プツっと弾けてはとろける…

(ははぁ、そら親爺も自分で取り込むわな)と思いつつ、くろうまで舌を洗いながら食べる

「どうですか?お口にあいますか?」

(ええ、いま親爺も店で出したないわなと思いながら食べてました(笑)おいしいですよ。ありがとうございます。)

「そうよかった。ゆっくりしていってくださいな」

あんなにおいしい鶏の内臓はもう食べれない。

---

43から47まで丸3年酒を断ち
いまでは格段に酒量が落ちましたが
相変わらず、仕事が終われば毎日飲んでいます。

ふとした時に親爺とママを思い出すのです。

ここまで読んで頂きありがとうございます。







焼鳥屋③

2021-09-21 03:26:05 | 雑記
有明のビックサイト国際展示場の
自社ブース内での
アテンド(説明員)を終えた
打ち合わせ以外では、
ほぼ丸一日立ちっぱなしで足が
棒になっている。

臨海線に乗り大井町経由で帰ろうか…

そうだ龍に行こう

---

「いらっしゃい」

(こんばんは)

いつものL字型カウンターの奥に
チンと座る

おや?見慣れん人がいるな?

「やぁ朱禪さん、初めてですね
うちのかかぁなんです。ちょいと体を痛めてちまって、つい先頃まで入院してたんで、へい」

そうかどうりで店の雰囲気に馴染んでいると思った

「こんばんは。主人からよくお話聞いてました。俺より酒飲みで、焼鳥を70本一人で食べるお客さんがいると。(微笑)」

いささか赤面しつつ
(どうも初めまして、朱禪と申します)

これ以降、奥さんのことは「ママ」と言うのだが、年の頃はそう
60代前半だったと思う。

肌がつやつやして、よく笑う
優しい女性だった。

「何にします?」

(瓶ビールとせせり(鶏のネック)とねぎまを塩で2本ずつお願いします)

親爺は定番の藍染作務衣と
ねじり鉢巻に雪駄
本人曰く、「正装」で背中を向けて
大団扇で時に強く、時に弱く
風を操り、炭を仕込む

炭火焼の味わいは
肉汁が落ち、それが炭と反応し
燻しとなって香りがつくことと
団扇で扇ぐことで、灰がネタに
ふりかかること
灰はミネラルであるので微妙に
ネタと絡むことも味わいのひとつだろう。

皮やぼんじり、背肝(腎臓)、ちょうちん(卵管)などは、脂を含む

脂で炭が死ぬことは前回にお伝えしました

親爺は、脂で炭が燃えても
決して水で鎮火しようとはしなかった

「水は手っ取り早いでしょうけど
水で火を消すと、水蒸気がネタに移り、味が死にやす」と言う

大団扇を巧みに操り、炭の配置をこまめに替えて、燃えすぎた炭は鋳物製の
炭壷で鎮火させていた

これで一串/80~/120だった

(くろうまお願いします。
あ、ママさん退院されたばかりですけど、なんか飲まはります?)

「あらっ、いいのかしら
(ママさんの体調が良ければ何か飲んで下さい)
「ありがとう。ではビールを頂くわ」

その時、焼き場の親爺が
「よし!今日はもういいや!閉めちまおう(笑)」

すかさず、ママさんが
「あんたが飲みたいだけでしょ。
まったくもう」

親爺は外に出て
「龍」と白地に黒で染められた
提灯と暖簾を店に仕舞う

「さぁ朱禪さん、かかぁの快気祝いだ。 今日は飲みましょう」
と愛飲の白馬錦と私用のくろうまを
でんとカウンターに置く。

(まったくもう)
ママさんは、困ったようなそれでいて
慈愛の目で親爺を見つめる。

(ママさんもよければ、ご一緒にどうですか?)

三人だけのささやかな快気祝いが
始まった。

---

初めてママと出会った日の事でした。

注)この独白での、親爺とママさんは
すでに物故されています。
故人を晒すためではなく
私の故人への感謝の思いで綴っています。

ここまで読んで頂き
どうもありがとうございます。