情報は何ためにあるのでしょう。
私たちの周りには
巷間の情報
世の中の情報
仕事での情報
新しく何か動くための情報
学びの情報
家族や友人の情報......
はては、スマホ1台でみようと思えば
世界中から、あふれてくる情報…
がありますね。
わたしは、武道(武術)の経験は
ありませんが、ラグビーを
高校、大学、社会人のある時期まで
かじってきたはしくれです。
武道(格闘技)でもラグビーでも
相手が生じて成立します。
おのずと、相手の戦略、戦術
いままでの戦い方を情報によって
分析、判断し、自身、チームとの
戦力を比較、分析し、試合運び、
ゲームプランを想定するかと思います。
ここでいう分析、判断する情報は
その情報をつかんだことにもなります。
また、つかんだそれを
分析、判断することは
理解と吸収にもなるかと思うのです。
理解と吸収から、どう行動(反応)して
いくか。
ここで、ふと思いましたのは?
情報をつかむことだけに固執し
得た情報をどう考え、どう使うかと
いう理解、吸収が欠けてしまったり
プラン通り外(想定外)に
なった際に、自身、チームが
どう修正すればいいかに
ギアチェンジもできない場合も
多々あります。
最近というか、ここ数年なんですが
人の人生は、不完全だなーと
思っています。
病は不意打ちのようにでてくる
との言葉がありますね。
一寸先は闇もあります。
想定や予想できる範囲もあれば
まったくできない範囲、できごとも
あるのが、人生なんだなと感じます。
情弱という言葉を思い出しました。
この言葉は、どなたか自分より
知らない情報を持っている人がいて
その人にだまされるようなイメージが
あります。
わたしも、この先どうなるか
わかりませんが、、、
情報をつかむのではなく
つかんだ情報を、相手に向けてでもなく自分の進歩、前進に
対して、どう理解、吸収していくか
に意識を向けて
この不完全な人生に意識を
集中していきたいなと思うのです。