朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

情報

2022-08-30 10:25:57 | 随筆
情報は何ためにあるのでしょう。

私たちの周りには
巷間の情報
世の中の情報
仕事での情報
新しく何か動くための情報
学びの情報
家族や友人の情報......

はては、スマホ1台でみようと思えば
世界中から、あふれてくる情報…
がありますね。

わたしは、武道(武術)の経験は
ありませんが、ラグビーを
高校、大学、社会人のある時期まで
かじってきたはしくれです。

武道(格闘技)でもラグビーでも
相手が生じて成立します。

おのずと、相手の戦略、戦術
いままでの戦い方を情報によって
分析、判断し、自身、チームとの
戦力を比較、分析し、試合運び、
ゲームプランを想定するかと思います。

ここでいう分析、判断する情報は
その情報をつかんだことにもなります。
また、つかんだそれを
分析、判断することは
理解と吸収にもなるかと思うのです。
理解と吸収から、どう行動(反応)して
いくか。

ここで、ふと思いましたのは?

情報をつかむことだけに固執し
得た情報をどう考え、どう使うかと
いう理解、吸収が欠けてしまったり
プラン通り外(想定外)に
なった際に、自身、チームが
どう修正すればいいかに
ギアチェンジもできない場合も
多々あります。

最近というか、ここ数年なんですが
人の人生は、不完全だなーと
思っています。

病は不意打ちのようにでてくる
との言葉がありますね。
一寸先は闇もあります。

想定や予想できる範囲もあれば
まったくできない範囲、できごとも
あるのが、人生なんだなと感じます。

情弱という言葉を思い出しました。
この言葉は、どなたか自分より
知らない情報を持っている人がいて
その人にだまされるようなイメージが
あります。

わたしも、この先どうなるか
わかりませんが、、、

情報をつかむのではなく
つかんだ情報を、相手に向けてでもなく自分の進歩、前進に
対して、どう理解、吸収していくか
に意識を向けて
この不完全な人生に意識を
集中していきたいなと思うのです。




継続

2022-08-26 11:04:41 | 随筆

継続
つづける
意思に基づき継続する

私たちの日常で
継続していること
継続しようとして、続かないこと
はあります。

意思に基づきと申し上げましたが
「意思は心を統括する最高裁判所だ」
と、書き留めたのは
哲学者であったブルース・リーさんです。

継続には、意思が伴いますか?
継続できないことに、意思は伴い
ますか?

どちらも、自分自身にしか
わからない意思(感情、とらわれ)
があるかと思います。

意思を保ち続けるのは
わたしは、難しいな…と思うときが
あります。

そんなとき、少し視点を変えて
停滞期なのでは?
無理と決めつけていない?
無理な意味は?
そもそも、その方向が違ってない?
と、問いかけてみます。

方向が違うと確信したら
さっぱりやめて、次の継続したい、
継続できそうなことに、ハンドルを
切ります。

継続できそうかな?
と、思い始める時期に気づくときが
あります。

継続が習慣になってきたのかな?
と気づくときかもしれません。

まだ、道半ばのわたしの経験ですが
ひとつの目印は90日(3ヶ月)を
越すと、意志に基づかず(完全に
意思がなくなる訳ではなく)に
習慣化していくのではないか?
と感じています。

流れに任すような感覚です。

マラソンの42・195kmを
いきなり初心者が走れることは
ありません。

まずは、1kmいや1歩から始めて
いき、そこから練習で距離や
フィジカルを鍛えていきますね。

90日も、ある1日の1歩、1分から
始まる、プロセスにすぎません。

継続するなかで、自信をなくしかけた
ときに、なぜ継続するのか(したいのか)
を、自分に問うのも
自分自身である為のひとつの
プロセスなのかもしれませんね。



空②

2022-08-25 09:54:42 | 随筆

前回は、空(くう)に思うところを
書きました。

容器(コップやグラスでもいいです)
は、空(から)でないと用途を
なしえないとも申し上げました。

心の容器も同じで
あらゆる感情であふれでていると
それ以上、その容器には
新たな可能性や事象が入らなくなり
ます。

瞑想は、心をおだやかにし、
何も考えない(容器(心)を空っぽにする)
状態といえるかと思います。

すでに、実習あるいは練習している
方も多数いらっしゃるでしょう。

また、この空っぽの状態は
表層意識ではない
心の奥底にある魂
(魂を真実、本当の自分ともいいますね。)
を受け入れる状態ともいえるか
思います。

瞑想が苦手だ。
できない。
いろんな考えが入り、余計に
頭の中が混乱する。と、思っている
もいらっしゃるかもしれません。

わたしの、練習では
まず、呼吸からはいりました。

鼻から吸って
口から、ゆっくり吐ききる。
余計な感情がよぎっても
やりすごし(あ、きたの?でいいかと)、単に呼吸にだけ意識を集中します。

途中から、バロック音楽を
流しながらに切りかえました。

どうしても、瞑想ができないとなると
バッハやヴィバルディの音楽を
聴いているだけでもいいです。
グレゴリオ聖歌もいいかもしれません。

あとは、シャノン・リーさん
(ブルース・リーさんの実娘)
の本で読んだ
ある種の暗示の言葉を念じてます。

「心を空にする、形をなくせ、水に
なれ。」と念じたり、口に出し、
呼吸をととのえていきます。

ととのったところで
様々な感情や不安、難題、疑問を
心の中の容器(神聖な器にみたてる)
ポンポン入れていきます。

それがあふれでるまで続けます。
あふれでたものが、地中深く流れて
いくのを心で可視化します。

すべて、あふれでると
澄んだ水、真白い光、なんでも
いいです。
きれいな風景でもいいし
お花でもいい。

それを、身体に流す。(頭から全身に)
器に入ったものを空にする。

まだまだ、練習の途中ですが
一日5分でもいいので
続けていくといいと思います。

注意点をあげるとすれば
「瞑想をしなくてはいけない」と
思うことでしょうか。

「しなくてはいけない」は
「努力しなくてはいけない」に
つながり、やらなかったり、できなかったりした自分を責めたり、否定します。

「努力」は必要なものですが
ただ、空っぽになる時間を創ると
お考えになり
少しずつ、毎日できる時間を
設定してみてはどうでしょうか。







2022-08-24 10:17:21 | 随筆

空(くう)、空間

自分の心を容器とすると
そこには、なにが入っているの
でしょう。

選択、問題、やること
支払い、日常生活の段取り
正と負が交錯した情動

心は分析や判断をしたがり
ます。

もし、これらの分析や判断、予想
想定で、その容器がいっぱいに
なっていればどうなるでしょう。

容器は空っぽでなければ
その用途とは、なりえないのでは
ないでしょうか?

意識的な無意識と言うと
瞑想というものが思いおこされます。

無意識を潜在意識といっても
いいかもしれません。

瞑想というと、難しく考えるかも
しれませんが
私たちは、知らず知らずに
瞑想しています。

頭に考えが浮かばない状態で
体や手足を使う。
たとえば
散歩、皿洗い、お風呂で湯につかる
体を洗う……

散歩中に、新たな視点や考えを
感じたことはないでしょうか。

瞑想のやり方は
様々な方法があるでしょう。
(巷にメソッドはたくさんありますね)

前の記事で「過程」について
書きました。

心を空っぽにする、あるがままの
状態をみるも「過程」のうちに
入るかと思います。

あるがままは、おだやかで
執心やジャッジ、断絶がない状態では
ないでしょうか。

感情を押し殺すわけではなく
その感情が、仮に執心であったと
しても、その感情に気づく。

気づいたことで、私たちは
「過程」を歩んでいるのでは
ないでしょうか。



過程

2022-08-23 10:01:50 | 日記
人はそれぞれがそれぞれの
人生の過程を経ます。

過程と結果を思い浮かべると
結果重視が、昨今の状況かも
しれません。

ここで、ふと立ち止まってみると
結果に向けて、努力、練習するのか
結果ではなく
流れ続ける水のように
川の流れが、海に辿りついたところを
結果と思わずに、ただそこにある
ように。

そして、絶え間ない人生の流れを
過程と考えてみるのはどうでしょうか。

過程を経るとき
スムーズに流れる
困難に出くわす
嬉しさも悲しみもあり
時には怒りや失望もあるでしょう。

そんな過程に対して
今、自分自身はどう感じ
どうつながっているのか、深く
掘り下げてみると
失敗や間違い、思い込み、非難が
あることに気づくのでしょう。

過程は、変化し、流動してるとも
思うのです。

変化、流動に対して
「これ」と「それ」の中間状態で
好き嫌いや執心をなくし
あるがままの状態を
静かにみつめる。

自分自身になるために。
そこには、対立ではない
補完があると思うのです。

私たちの過程は人生そのもの
だと思います。