祭祀(チェサ)
法事のことである。
子供の頃は一世達が存命だったので
ご先祖の命日や盆、旧盆、正月、旧正月と行われた。
正月は別にして、大概は平日の夜に行われる。
その日の仕事終えてめいめい集合する。
サン(テーブル、ご先祖が還るところ)に様々な供物が並べられるのだが、いま思うといったいどれくらい金がかかっていたのだろう…
りんご、梨、バナナ、みかん、柿、ぶどう、桃、夏はスイカもあった。
スイカは洗濯機に氷と水を入れビールと
冷やしていた。
鶏の丸焼き、鯛の塩焼き、牛肉と豚肉の串焼き(チョカル)、蒸し豚、豆腐を胡麻油で焼き串焼き、椎茸のチヂミ、鱈チヂミ、ネギチヂミ、モヤシ、コサリ(ワラビ)、ほうれん草、人参、大根、ワカメのナムル、朝鮮餅5種、ごはん、ワカメスープなどなど…
ざっと思い出すだけでこれくらいである。
因みに、唐辛子とニンニクは祭祀の供物には使用しない。
無論、一世達の仕切りなのでこれら一切の準備は集まった女性が行う。
その供物を故人とご先祖とふたつに分けてサンをつくる。
サンが出来ると、一族の長が祭祀を取り仕切る。
供物の一つ一つに拝礼ごとに箸を置きかえる。
これにも順番があり長老は作法をマスターしている。
そして、当事者の家族の長男から順番に拝礼を行う。
この際、女性陣は拝礼には入らない。
参集した男が全て拝礼したのちに女性となる、男は一人一人拝礼するが女性陣はまとめて拝礼となる。
まったくの男尊女卑文化である(苦笑)
故人、先祖への拝礼が済むと
供物をお下がりとしての酒宴が始まる。
男たちのほとんどが、底辺の労働者であった。
皆、日焼けしゴツゴツした手でビールを
あおり、豪快にバリバリ食べる。
女性陣は台所で女性だけで頂く。
私の妹も同様だ
ビール、日本酒はふんだんに用意されていたがウイスキーがあった記憶はない。
ここからが私の憂鬱の始まりである。
皆、鯨の如く酒を飲む。
さながら「鯨海酔民」であった。
故郷を偲ぶノレ(歌)が始まるとエンジン全開だ。
飲むほどに酔うほどに、声がむちゃくちゃ大きくなる。
日本では、三人集まれば文殊の知恵というが、コリアンは三人集まれば喧嘩が始まると言われる 笑
普段は、その訛り故バカにされる日本語を使わざるを得ない環境にあるのでこの時ばかりは済州島弁、釜山弁、ソウル弁が飛び交う。
ハングルの波状攻撃だ、笑
釜山とソウルの言葉は、標準語と関西弁みたいなものなので、そこそこ通じるのだが済州島弁は沖縄の方言の如くまったく通じぬ。
「貴様!年長者に向かってなんたる言い草か!!」
「へっ 酒飲んだら誰でも一緒じゃ
年上ぐらいでエラソーに抜かすな」
「何をっ!」
「○○ちゃんとこ行きたいんやろ?
はよ行ったらどないや」(浮気をバラされた)
「貴様っーー!」
となり、神聖な祭祀は阿鼻叫喚の
修羅場と化す。
女性陣がここぞとばかりに止めに飛んでくる。
子供の私は、「またや またや また始まった」と思い、一番年長だったので年下のいとこや親戚を呼び外へ連れ出す。
そして仕上げのサンが始まる頃に戻る。
サンは2回するのだ。
2回目は略式になるが、それでも炊きたてご飯とスープなどを用意する。
先ほど、喧嘩した2人も頭を垂れて拝礼を行う。
私達子供は、トック(米で作った平餅)スープで空腹を満たす。
思い出すと、私の母、伯母、いとこ以外は全員故人となった。
あれほど憂鬱だった祭祀だが皆、やり場のない感情や矛盾や希望と絶望を抱えていたのだろう。と今では思う。
祭祀の時くらいしか自己表現出来なかったかもしれない。
だから、あれほどつかみ合いの喧嘩をしても、また同じ顔ぶれで次の祭祀にも来たのだろうと思う。(また喧嘩するが)
あれは男も女も含め一世達の文化だった。
そして、いま四世の子を持つ親であるが
祭祀をすることは無く、昔を懐古をし
遠いご先祖との命のバトンを受継ぐのみだ。
全ての一世達へ
貴方たちは集まったらすぐ喧嘩はするわ、茶卓はひっくり返すわ
大酒飲んで警察沙汰なるわ
むちゃくちゃやったけど
マグマのような馬力で生きてたねー