朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

アルファロメオのナイスガイ

2021-04-29 06:19:52 | 日記
前回に引き続き海外出張を綴ってみたい。
少し前置きが長くなるが、ご容赦頂けたら幸いです。

後にも先にもヨーロッパはイタリアのみである。

世界的規模の国際展示会があり、期間中のアテンド員かつ展示会前後の現地での
営業であった。

10日続く展示会期間中、終了後に毎日接待があった。
その日会食を終えたのは、夜の12時頃だったと思う。

イタリアは食べる事と娯楽には大いに時間をかける。
食事時間の始まりは遅く(その日は21時スタートだったと記憶にある)
食べて飲み、会話を大いに楽しむ。

さて、終了しペリエと食後のジェラートで腹が満タンになった後輩が「車を回してきます」と去る。
私は勘定にまわる。
その後30分待っても帰ってこない。
ケータイに電話するも出ないので、何かあったのでは?と不安がよぎる。

探しに行くと、蒼白な顔した後輩が
「車を停めた場所がわかりません!!
どないしましょ?先輩!(半泣)」
「いや、落ち着け。そんな事はない。絶対あるはずや、落ち着け。」
で、記憶をたぐらせるのを粘り強く待つ。
「思い出しました!」
正反対の場所に停めていたFIATの9人乗りボンゴに乗り込む。

超不機嫌となった客人(日本人)と社長を
宿まで送迎する。

後輩と2人きりとなり、ふーぅと一服をつける。
「お疲れさん。ほな帰ろか」
「帰りましょう 疲れましたね」

イタリアの交差点は「ループ」である。
馬車を想定した交差点となっているので
直角の交差点ではない。(馬は直角に曲がれない)

四方から来た車がループに入り、四方に別れた道に流れるコースをとる。
つまり、ひとたびそのコースを誤れば
全く目的地以外のルートをとることになる。

ぜんぜん到着しない。こんな遠いはずがない…
20年前のレンタカーにはナビなどあるはずもなく、アナログの地図を見ても
二人ともテンパリ度MAXなのでよけいに混乱する。

とある信号待ちで、真っ黄色なイタリアンイエローのアルファロメオに乗ったニーヤンとたまたま目が合う。

これを逃すとあかん!と直感的に感じ、
車から降りて窓をノックした。

私は英語(当然イタリア語もできるはずがない)が全くできない。
地図を指差し、状況をジェスチャーで必死に説明する。

ラチがあかないので、悲嘆にくれる後輩に喝の回し蹴りをケツに喰らわして、通訳の任務にあたらせる。

「オーケイ レッツゴー」
ニーヤンはロメオに乗り込む。
慌てて我々もボンゴに乗り込む。

30分ほど走ったであろうか
ファンファンと前方のロメオがクラクションを鳴らす。

果たして宿であった。

ロメオから降りてきたニーヤンに
「ありがとうございます!ホンマに助かりました!ありがとうございました!」
咄嗟の時は日本語でも通じる。と思う…

ニーヤンはニコッと笑い、これがウィンクか?!の完璧なウィンクを返し、
右手をあげながら去って行った。。
最後にもう一度ファンファンとクラクションを鳴らして。。

私が女性ならばそのウィンクに一目惚れしたかもしれない……

「よかったですね!先輩!
これで寝れますね ワハハ」
もう一発、回し蹴りを喰らわす。

ナイスガイと出会った異国の長い一日が終わる…


新歓コンパ

2021-04-26 06:02:37 | ラグビー
一回生が叩きのめされる日である。

始まりの言葉
「ビールは麦から作る。よってパンと同じである」
「酒は米から作る。よってごはんである」

京都河原町のとある宴会場(貸切)であった。
メインは鍋料理である。
この日一回生は酌や料理の注文、料理の
取り分けなどの責務を免除される。

ビールケースは何ケースあっただろうか
日本酒の一升瓶はいったい何本あっただろう…
記憶にはない。

上級生がかわるがわる酌にくる。
最初はビールから始まる。
初夏であるので、最初の二三杯はうまい。

が、アテはキュウリのQちゃんと決められておりそんなにQちゃんばかりも食えぬ。

あるところから、ビールグラスがおちょこ、そう日本酒のおちょこだ。
これに変わる。

まだ10代の高校卒業してまもない一回生はじきにトイレに逃げる。

ほうほうの体でトイレからでると
「お疲れ様です!はい、ワンコビールいっとこか!笑」
ワンコソバをもじっている。
笑いどころではない。
そしてかけつけ三杯どころでもない。
むろん断れるはずがなく飲む。

何人もの同輩は、くたびれた布団のようになり畳で撃沈していた。
撃沈した奴まで、飲ます先輩はいなかったが。

中学2年の時に、サントリーホワイトを
1本空けてのたうち回ってから、私はある程度アルコールに対して免疫?があった。

あとは「潰されてたまるか!」の意地もあったし、アホなので冒頭のビールは…と米は…に洗脳されたのだと思う。

が、このワンコビールはむちゃくちゃ効くのである。
一瞬、すするからだろう
ストローでビールを飲んでも速攻で回るが、あれに近いと思う。
日本酒にシフトチェンジする
目が回る、回るどころか座ってもいられなくなる。意識が朦朧とする。

ここまでくると
上級生もこの儀式を通過しているので
いじめのような酒は飲ませなく、本当にヤバい手前で酌をやめるのだ。

そして、潰れた一回生をたたき起こして
水を無理やり飲ませてトイレに送り込む。
出てきた順に畳に寝かせ、手の届くところにゴミ袋を置く。(ここで戻せの意味だ)

こんな前時代的な事はいまや死滅していると思うが、少なくともとことんまで
潰しにかかる先輩はいなかった。

最後に寝たまま聞いた終わりの言葉。
「酒というのは自分の限界を知ってから飲むものである!以上 一回生諸君ご苦労さま!」

先輩の訃報を夜中に知り、思い出を綴った。
先輩ありがとうございました。



食べる

2021-04-25 21:39:23 | 日記
35から42歳頃まで、仕事で台湾、韓国、タイ、上海、広州、深圳を
訪れたことがあった。

どこの国へ行こうと仕事は仕事であるし
当時、機械関連メーカーの営業だったのだが言葉がわからないだけで、提案することは本邦と変わらぬ。
国内営業であったが海外チームが通訳してくれたので非常に有難く思った。

さて、ズレた。
食べるであった。

接待以外は単独でその街の食べ物屋に
入るのを好む。
まだ今より若く、体力もあったので
食欲、酒量いずれも旺盛であった。

ソウルにしようか…

東大門市場近くの宿に体を預け
ざっとシャワーをし、私服に着替え
表にでる。
季節はちょうど今頃だったはずだ。
日本より寒い
中綿のジャケットを持ってきてよかった。

宿から右に向かうとアーケードが見える
商店街だろう。
ポヂャンマチャ(布張馬車)が並んでいる。いわゆる屋台である
むき出しの屋台もあれば、天幕まで作った空間を提供する屋台もある。

いまでは、日本でもポピュラーになった
トッポギ、おでん、ホットク(お菓子)
などが並ぶなか、豚肉とスンデ(腸詰め)を売る店のテントをくぐる。

私は在日コリアン三世であるが、韓国の人から見ると日本人に見えるようだ。

屋台のアジュンマ(おばさん)が一瞬困惑した表情を
浮かべる。
そらそうだ
ガイドブック片手でもなく、観光客とも見えない日本人?がふらっと入るのだから。

「オソオセヨ(いらっしゃいませ)」
(メッチュハナチュセヨ)
ビール1本下さい
私はハングルは読めないが、カタコトの会話は可能である。

アジュンマの表情が和らぐ

腹が減った
HITEビールは軽く飲み口はさっぱりし
口当たりがよい 仕事がはねての一人酒は異国でもうまい。

注文だ。
(スンデ ハナ ハゴ テジコギハナヨ
クリゴ テンチョ ド チュセヨ)
腸詰め一つと豚肉一つほんで青唐辛子も下さい
「ネー」はい

出てきた料理は圧巻であった
ボリュームである
とても一人で食べ切れる量ではない(笑)
大人三人でちょうどいいくらいの量である。多分総量1.5キロ近くあっただろう汗
スンデにはカン(肝)もついていた。

(ソジュ ハンビョン チュシゴヨ)
焼酎1本ください

粗塩をスンデ、豚肉に少々振り頂く。
青唐辛子にテンジャン(味噌)をつけ生のままかじる。
肉の甘みと唐辛子の辛さに味噌が絡む。
焼酎をショットグラスで流し込む。
基本的に韓国では焼酎はストレートでありあらかじめ冷やしている。
うまい。
昼食抜きであった胃袋がアルコールで
燃える。

ただひたすら食べて飲む。
まるで食と対話してるようだ。
私はおいしそうに食べる人が好きなので
当人もおいしそうに食べるように
している。

アジュンマがいう
「ト ドゥリカヨ?」
もっと出しましょうか?

(アニヨ テッスミダ ヂャルモゴッソヨ)
いいえ、結構ですよ
ごちそうさまでした。

学生時代ならいざ知らず
中年となってあれだけの豚肉を
平らげたのはこれを機会にない。

東大門の夜はふけて行く。






やさしさとはなんだろう・・・

2021-04-25 06:50:12 | 日記
筋痛性脳脊髄炎。かつては慢性疲労症候群と言われた病である。
私がTwitterでフォローする一人に
この病を患ってる方がいらっしゃる。

この方のつぶやきは私の心のオアシスともいえる。
何がなんでも前向きとか病に打ち勝つ!
というつぶやきではない。

なんだろう?
突然の病に対して様々な葛藤を経て
刻々と変わる病状を受け入れたとでも言おうか…
自然体なのだ
24時間体の痛みにさらされている状態であり、それを否応なしと言えども受け入れる。
その上での自然体。
とても私にはできないだろう。

ほぼ寝たきりだが、好きな絵描きたい、小説も書きたい、写真も撮りたい、家族との会話もしたい。

小説にはご自身が病い前にしていた
ベリーダンスを素材にしたものがあり、
主人公の心の変容さがよく伝わる。
また、エッセイもハッとさせられるものがある。
お子さんのいじめあわれた経験のnote記事も秀逸していて、懐の深さに感動したものだ。

もう二ヶ月近く、タイムラインには現れない。
この間、迷ったが二度DMをした。
最後に送ったのはおよそひと月前だ。

さんざん迷っても送ってしまったが、
返事をくださった。
とてもご丁寧な返信とさらにこちらを気遣うメッセージまで頂いた。
おそらく大変な労力をかけてしまったと
痛感し、本当に申し訳ないことしたと
思っている。

その方がまた、戻ってくるまで黙って
見守る。
それが私にできるなんの役にも立たないがほんの少しの看病かもしれない。

どうかまた戻ってこられると信じたい。


人となりについて

2021-04-24 13:37:41 | 日記
前回、敬愛する兄妹様について思うところを綴ったが、はて?
なぜその方が私の心に引っかかったのだろうか…

少し反芻してみた。
このブログは私の心中に対して正直に
語ることをモットーとしている。

お兄様に関しては?
一言で言えば、求道者である。
そして信者を求めない人であったと理解している。
私はこう考えこう思うが、あくまで
貴方方に合う選択を大事にして欲しい。

その過程でご自分の思考がヒントになれば幸いだと。
つまり人々の不安を煽ったり、人の弱みに付け込まず、真っ向勝負のお人ではなかったか…

かなりの修行を自分に課し、それを読者に求めず、手本でもなくやはり読者の気付きに焦点をおいていたのではないだろうか。
そして、おそらくだが私と世代が近いのではないかとも思う。

妹様
お兄様の検証されつくした論理的な文章とは違う。
だが、彼女にはどこか儚げで、脆く、
赤裸々でそれでいて、お兄様と同じように大樹ではなく、しなやかさに秀で、
受容の精神、木に例えると柳ともいえる美しさがあった。

だが、文体は違えど悪意、卑劣かつ狡猾なストーカーどもには、様々な検証、熟考推敲の上真っ向勝負かつ正々堂々と
闘っておられたと感じている。

お料理もされるが、ご自分が撮る写真の料理は美味しそうに見えないのでアップしないというところも、茶目っ気があり
なんとも好感を持てたものだ。

そして、あろうことかブログ初心者の
私をフォローしてくださったことには
本当に驚き、感謝と喜びを感じたのも
事実だ。

ただのそこらのオッサンをである(笑)

このブログから一年以上も離れていて、なぜまた辿り着き、そして彼女の死を知ることになったのか…
全く不思議である
偶然とは思うが、偶然とも思えない気持ちもある。

そしてお姉様が記事をあげてくれるのにも感謝したい。
お身体優先で是非、ご自分のペースで
ボチボチとやられることを切に願う次第だ。

まとまりのなく、つぶやきだけの文章になってしまったが、これからも
兄妹様の読者でいたいと思っている。

ありがとう
エンライト様
美雨様