朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

心意気について

2021-08-29 11:00:56 | 日記
商店街と左官屋、大工、職工、ペンキ屋など典型的な下町育ちであります。

大阪特有?の文化住宅や長屋、仕舞屋もあり、私の周りは家に風呂がない所が殆どでした。

なので、「風呂入り!!」ではなく
「はよ、風呂行きなさい!!」の環境ですね(笑)

風呂屋では、近所の親爺連中が
教育係です。

風呂で泳ぐな。
風呂で潜るな。
風呂場で走るな。から始まり
掛け湯をして体を洗ってから入る。
熱いとか言うな、風呂が熱いのは
当たり前や。
無駄にシャワーを出しっぱなしにするな。
みんなが入るもんやから、自分だけが
ええと思ってる行動はするな。……

集団の中でのマナーを親爺連中に叱られながら教わったと思います。

当時は、間欠型のシャワーやカランはなく、シャワーを捻る、カランを押すと
お湯と水は出ずっぱりになります。

節水弁やコマもなかったでしょう。

そして、水の需要が高まる夏場で
雨の降らない日が続くと、決まって
琵琶湖の水位が危険水位になっている、
節水を!!と呼びかける報道などもよく
流れていました。
(最近は水不足、あまり聞きませんね)

労働を終えたあとの汗を流す
体を洗い流す、湯に浸かり体を温める。
大きな湯舟でゆったり浸かる
あるいは、サッと浸かる
風呂に行く行為は日常であっても
そうではない非日常が風呂屋にはあると感じています。

また、老若男女問わず風呂にくる理由は様々です。

私は間欠型や節水弁、コマを使う風呂屋に対して文句をつける気はありません。
(風呂屋風呂屋で事情があるでしょう)

あえて申し上げると
「心意気」が感じられないのですね。

風呂屋の運営は大変な労力が要ります。
学生の時、風呂洗いのアルバイトに行ったことがありますが若く体力があった時でも、かなりの重労働でした💦

濾過器のメンテナンス、ボイラーのメンテナンス、塩素濃度の管理、床面のヌメリはないか、天井は蒸気でカビが発生しやすいのでマメにカルキで掃除する。
脱衣場を頻繁に掃除機にかける等など…

これらを毎日毎日、コツコツ積上げた結果、お客さんがつくのだと思います。

私は、そんな努力と毎日の積み重ねに対して有難くお湯を頂戴させて頂いています。

無駄にシャワーを出さないことも
親爺連中に叩き込まれました。

しかし、当時の風呂屋の店主が
言った、そして今、通う風呂屋の
店主も言った

「風呂屋からお湯と水を取ったらなんも残らん、最大の売りをケチってどないするんや?!」の
「心意気」に敬意を表して
今日も風呂屋に行くのです。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

本日も良い一日となりますように🍀











焼き鳥屋

2021-08-27 05:29:18 | 雑記
肉屋、魚屋、八百屋、乾物屋、金物屋、
履物屋、かしわ屋(鶏屋)、塩干屋などなど
生活に密着していた
屋という号を持った個人店は本当に
少なくなりました。

いまやこれらの物に加えて、身の回りの物も含めた殆ど一式がスーパーでまかなえます。

その事に異論はありませんが
「〇〇屋」という響きは親近感が湧くん
ですね(笑)

寿司屋の育ちだったからかな?

そして 「焼き鳥屋」と言えば?
もう15年ぐらい行ってないです。



龍(たつ)

京浜東北線は品川駅を過ぎた
あと2駅で大森に着く
時計の針は午後5時半過ぎだった
(ん、一杯飲んで行こうか)と
頭に考えが走る

発作的に大井町で降りる
(さて…どうする)
東急線沿いのアーケードを西に歩く
ふと左を見ると大きな白提灯に
黒字で「龍」と書かれた店が目に止まる。

焼き鳥屋のようだ。

(こんばんは。いいですか?)

「いらっしゃい。どこでも座って。」

逆L字のカウンターで定員は10名と
いったところか。
お客さんはまだいない。
奥の席にチンと座る。

親爺の名前は知らない
ただこれ以降親しみを込めて「親爺
で通したい

ビールをキュッと空け
しばらく放心状態になっていると
「お客さん、はい、お通し。」

見ると「うざく」だった。

「いや、なにね、今日の昼メシに
作ったんですよ、よかったらどうぞ」

変わった親爺やなと思う

(うまい)

(皮とやげんとぼんじりください。
あ、塩でお願いします)

親爺はおもむろに換気扇のスイッチを入れる。
直径が50cmはあろう店のサイズに
そぐわない巨大な羽根が唸りをあげる。

大人の顔三人分はある大団扇で
(先端はハサミで切込みを入れている)
バサバサと扇ぎ、炭をいこらす。

「脂っけのあるものですんで、ちょいと炭を強めにするんで、、、」

(なんで炭を強めにするんですか?)

「へぇ、簡単に言うと炭が脂で死ぬんですよ、脂に負けねぇくらい、いこらした方が表面はカリッとして、中身のうまさが逃げやしません」

(なるほど)
楽しみだ。

焼き台には網はなく
鉄製の渡しが二本ある。

親爺の背中を見ながら、作り手を
観察する。
逆L字の奥に座るのは作り手の手元や
所作が見えるので、個人的に好む場所だ。

親爺の動きには無駄がなく
ねじり鉢巻に作務衣と雪駄が渋い。

「あいよ、お待ち」

うまい…塩加減が抜群で
脂がベタベタせず、カリッとしてるが
固すぎない。
噛めば肉(皮)の甘みが口一杯に広がる。
鶏の臭みも全くなく
いままで食べてきた焼き鳥は
なんだったのだろう。。。

これをきっかけに
親爺の店に通うことになる。

龍の親爺を思い出したので
次回も続きを書こうと思います。

ここまで読んで頂きどうもありがとう
ございます。

今日が良い一日となりますように🌸

朱禪記す

旧盆

2021-08-25 22:42:21 | 日記
私は在日コリアン3世と度々この
徒然に申し上げています。

立秋が過ぎ、土用となり処暑てなりて
季節はこれから初秋に向かうでしょう。

初秋のころには
旧暦のお盆 韓国では秋夕(チュソク)が
やってきます。

私の母方の祖母は済州島出身です。
旧両班家系の一人娘でしたが
故あって、日本に渡り同じ済州島出身の祖父と17歳で夫婦となります。

男子八人を授かるもことごとく
一歳を待たずして亡くなり
残った二人の女子二人が私の母と伯母です。

済州島は日本列島がそうであるように
周囲を海に囲まれています。

前にも申し上げましたが
龍頭岩というスポットがありまして
海の中に龍のような岩が突出しており、
この中心部からは真水が湧きでているんです。
私も飲みました。

そして、済州島は政治犯が流刑、遠島にあった男子が多く、その土壌は火山灰で
稲作に適しませんでした。

政治犯というには当時の両班(貴族階級)が多く、彼等は日常の生活というか
そもそも肉体労働をする階級ではありません。

土着の女性と婚姻をしても
労働には適しませんね
勢い、生活を支えるのは女性の役目となります
女性は生活の糧を求めて
海に潜り、海女となります。
そして、海の神さんを敬います。

祖母は海女さんではなかったですが
「海の神さん」は敬っていました。

旧盆になると
私を連れて淀川にいきます。
供物を淀川の岸壁並べ
線香を炊き、こよりを、燃やし
遥か玄界灘を超えた「海の神さん」と
会えるはずのない「両親」に祈りを捧げ、長い祈りが終わると
供えた酒を小指にとり
ピンピンと弾いて海に返します。

供物も小さい箱舟に乗せて
海に返します。

私は黙って、祖母を見守ることしかできませんでしたが
そこには、忘れがたい故郷と
忘れてでもこの日本で生きていくと
いう祖母なりの儀式だったと思います。

今日はどうもばーさんのことを
思い出してしまいます(笑)

ここまで読んで頂きまして
ありがとうございます。

朱禪記す



鶏粥

2021-08-25 11:06:39 | 日記
ばーさん亡くなって8年か…

ばーさんが50代の頃、上六で焼肉屋をしていたんですが、大阪場所で来阪したお相撲さん方がよく来ていたのを思い出します。
子供心にも牛一頭平らげるのでは?
と思うくらい凄まじい食べっぷりでした(笑)

肉の選び方も上手かったのでしょうが、
今でいうヤンニョム(味つけ)が神業の
如くだったと思います。

ばーさんのヤンニョムはレシピないんですね(笑)
茹でる、焼く、蒸す、炊く、煮るに関しても感覚なんですよ。

そして、自家製のキムチも感覚→手味でした。

幼少期、比較的身体が弱かった私は度々、熱を出して寝込んでいたんですね。

熱が高いと食欲はありませんが、熱が下がってくると、体力回復の為なのか?
食欲が湧いてきます。

そんな時に、作ってくれたのが
鶏を丸々一羽使った「鶏粥」だったんです。
(あ、鶏もも肉でもいいです)

寸胴鍋に一羽入れる(水から)
長ネギ二本入れる
煮立ったら中火→弱火
鶏から脂が出るので晒し→(今ですとキッチンペーパーですね)を
落とし脂を吸わせる。

米は研いだ生米を別鍋でごま油とともに
炒るんです。
←ここが一番のポイントだったと思います。

米が半透明になるまで
火の加減をしつつ炒ります。

鶏が茹で上がると、その鶏を1口サイズに手で裂いていきます。
これも大きさは適当です(笑)

鶏を入れていた寸胴鍋に炒り終わった米を入れて火にかけます。

水(お湯)の量は?
そうですね。鍋の大きさにもよりますがら3分の2くらいでしょうか

あとはときどき混ぜながら
米が粥になるのを待つだけです。
粥からふわぁ〜〜としたごま油の香りがでます。

先程の鶏も一緒に入れて混ぜていきます。
味つけは塩(粗塩)だけ。
食べる時に塩をふっても大丈夫です。

これらは、ばーさんの横で見ていた昔の記憶なのですが、私自身も長じてから
作りましたので、あながち外してないかと思います。

ごま油の香りと鶏の滋養が詰まった
「鶏粥」はいかがでしょう。

ここまで読んで頂きまして
どうもありがとうございます。

朱禪記す



行動範囲について

2021-08-22 03:49:41 | 日記
もともと人混みが嫌いな性分ですが
今の時勢の謳い文句
「不要不急の外出は控えて」に対し
「有要しかない外出」をしています。


人が生きていくには「金」という
道具が必要であるので

労働の対価としての賃金を稼ぐ為の仕事

身体(体力)を維持する為の食材の買い出し

一日の仕上げとなる銭湯

月イチでの散髪

疫病以前ではこれに独酌の1杯飲み屋が
入ってましたが
約2年前に疫病に関係なく
今の自分のやめる事第1位にめでたく
ランクインしたのでやめました。

仕事→買い出し→銭湯(散髪)
これが私の行動範囲となります。
(面が割れてる人ならすぐに見つけらます(笑))

娘をどこかに連れて行こうにも
生来の出不精と人混み嫌いで申し訳ない
と思いますが……(苦笑

針で測ったような生活ぶりのようですが
本人には合っているようです。

初めての仕事は営業職で、27歳の時、
江戸に転勤となり
東日本全域を駆けずり回り、縁あって海外出張を年に10回以上行ってた生活もしてました。
ですが、振り返るとその時もプライベートではあまりあちこち行ってなかったですね。

ただ年齢が若かった事もあるのでしょうか?
今のような行動範囲よりは広かったようです。

そして、ずっと当たり前と思ってきたのが
「移動の距離に比例して情報は集まる」
という当時の経営者の言葉があります。

あながち間違っているとは思いません。
Web万能?の世の中で世界中の情報が
スマホ1台で閲覧できますが、
個人的には検索エンジン的使い方がほとんどを締めます。

究極は可能な範囲で原典にあたると言うことだと思うのです。

そういう視点で観れば前述の
「移動の距離に比例して……」は
間違いないと思います。

画面越しの人々であっても、この方は!!と感じたら、直接会って、お話をお伺いしたいと考えるタイプですね。

さて、今の行動範囲ですが、距離は短いですね(笑)
でも有要な事しかないので不便はないです。

そして、行動範囲も狭いですが
嫌な事はしてないのもあるのでしょう。

他人様の意見や考えに振り回される事がなくなり
「自己観察」或いは今の行動範囲の中での「職人的な他者」を観察し、自分との対話に繋げる機会が増えたように感じます。
なので、移動する「距離」は私の中で消えました。

人はどんな人であれ
一人では生きていけません。

一人で生きていけないからこそ
その一人である自分自身を見つめる
「自己観察」や「自己対話」が
必要だなと感じています。

スティーブ・ジョブズが
毎朝、鏡の前に立ち、33年間続けたという
「今日が最後の日だとしたら、今からやろうとしている事はやるのだろうか」
「違う」が続いたら、今の生き方を
見直す機会かもしれない」
これも徹底した「自己観察」「自己対話」
だと思います。

環境が変化しても
自分はそこに「在る」のですし
未来などわかりませんし、先回りもできません。
ならばやってきたこと
(過去の経験、体験)を一つの点とし、
今やること(やろうとすること)を もう一つの点として繋ぎ合わせていけば
前に進もうかと思えるのではない
でしょうか。

そして、丁寧な生き方ができれば
いいですね。

ここまで読んで頂きまして
ありがとうございますm(*_ _)m
今日が良い一日となりますように。

朱禪記す