速攻野郎Gチーム!B2富山グラウジーズ応援ブログ

日本プロバスケリーグ・Bリーグの
富山グラウジーズと選手、志ある関係者を応援するブログです!

期待

2007-03-03 13:04:06 | バスケットボール
最近6位に浮上したとはいえ、
その順位は薄氷の上にいるがごときあやふやさで、
ついこないだまで、潮崎のシンカーなみの下降線で
最下位街道まっしぐらだったチームが、
シーズン終盤のこの時期に、
倍近い勝ち星を挙げているディフェンディングチャンピオンに


ニ連勝!

なんてことになったら、面白いと思いませんか?


ミスター・グラウジーズ

2007-03-02 01:02:12 | バスケットボール
この人のことを書いておけば
ヒット数も伸びることでしょう。
うちのバンドの女子がリーグナンバーワンのイケメンと
狂喜乱舞する、この選手。

2chから拾った記事。
バスケ 黒田 祐 富山グラウジーズ選手 29
競技普及にも熱い男


冷たい雨が降りしきっていた昨年11月11日夜、
富山市秋ヶ島の県総合体育センターの中は、熱気が立ちこめていた。
バスケットボールのプロリーグ「bjリーグ」に参入した
富山初のプロスポーツチーム「富山グラウジーズ」のホーム初戦だった。

駐車場には、試合開始の1時間以上前から車が長蛇の列を作り、
約2300人の観客が埋め尽くした客席は、
チームカラー「赤」の応援タオルで揺らめくようだ。

「こんなにお客がいるなんて」。
チアリーディングチームに導かれて
スタンドに入場した黒田祐(たすく)(29)は驚き、胸が熱くなった。
「ゴー! グラウジーズ」。
割れんばかりの歓声に包まれ、プロとしての挑戦が始まった。

     ◇
上市町出身で、上市中学校時代は県選手権3位。
富山商高時代は、全国高校総体に3年連続で出場した。
長野県の信州大在学中の2000年には同県代表として富山国体に出場した。

就職してもバスケットボールに専念したかったが
当時は、富山県内に受け皿は少なかった。
なかばあきらめかけていたとき、転機があった。

1998年の長野冬季五輪でスピードスケートの
特別コーチを務めた信州大講師の結城匡啓氏(現助教授)が開いたゼミに参加し、氏が、スピードスケートの清水宏保ら一流選手を育てる一方で、
スケート選手育成のNPO法人を作り、
草の根でスポーツ普及を続けた活動を聞かされた。
「バスケをやって、選手を育成して地域にも受け入れてもらえる道があった」と、目を開かれた。

帰郷後は、砺波市で酒造会社に勤務しながら、
当時社会人チームだったグラウジーズに入団した。

当時のチームメート関剛史(29)は、
「普段は寡黙で、感情を表に出さないけれど、
コートの中では人が変わったみたいに熱い男。
言い合いになることもたびたびあったほど」と振り返る。
主将として指導力を発揮し、
2003年には、全日本クラブ選手権で優勝を飾った。

選手としての活動の一方で、バスケ教室を開くため体育館と交渉をしたり、
1000枚のチラシを、小中学校のクラブに配るなど地道な活動も続けた。
チームメートも協力し、小中学生向けの教室を設立、
05年6月には、教室を念願のNPO法人にできた。

達成感に浸っていたちょうど同時期に、
チームにbjリーグ参入の話が持ち上がった。
「選手として、挑戦する舞台ができた」。
思わずプレーヤーとしての心がうずいた。
選手年齢としてはぎりぎりの28歳。
「このままNPOの活動を続けるべきか」とも迷ったが、
教室の子どもたちに、プロリーグの話をすると、目が輝くのが分かった。

決意は固まった。
「よし、バスケで食っていく。プロとして挑戦を続ける姿を見せることが、
子どもたちの目標にもなるはず」

NPO活動の合間を縫って走り込みやウエートトレーニングを繰り返し、
テスト前は入念に調整した。

昨年6月15日に行われたチームの選考会。
試合形式のテストで、持ち前のスピードを生かした切り込みが評価され、
見事合格。
昨年12月現在で4試合に出場し、地元ファンをわかせた。

現在は、午前中は個人トレーニング、
午後からはチーム練習が3時間と練習漬けの日々。
さらに教室でのコーチを務め、
NPOの経理や企画で夜遅くまで仕事をすることもしばしばあるというが、
「本当にあわただしい毎日。でもバスケを広めるためには何でもしたい」と、
充実の笑顔を見せた。(敬称略)


すばらしい。
彼がいなければグラはbjに参戦していなかっただろう。
先日の富山ホームで、初めて出場しているところを生で見ました。
・・・速いぞ。
スピードは十分他の選手と渡り合える。
身長差を感じさせないDFにも好感が持てる。

もうちょっと出場時間があれば、存在感を出せると思うんですが・・・

彼が出ただけで会場がゆれますからね・・・

決して出場時間には恵まれていないけど、
TO時は真っ先に選手を出迎え、労をねぎらい、
TO明けは、みんな黒田選手に触れてから出て行く。
厚い信頼を受けていることがひしひしと伝わってきます。
HC・ACに次ぐ第三の頭脳という存在か。

ばっさんとセットで出場する姿は、マジンガーZと兜甲児を
髣髴とさせるw