50代、60代くらいだろうか。
こぎれいで、物優しそうな、
胸に社証のバッチが光ったのサラリーマンの格好の男性が、
リニューアルオープンしたスーパーで、
夜7時頃、
「今晩の夕食はなんですか?」
と携帯で電話をしていた。
かしこまった封であり、
でも笑みをこぼしつつ、
幸せそうだった。
私はすれ違いながら、
ああやって毎晩、帰る前に電話をして、
夕食を聞いたりしているんだなと思った。
ほほえますく、
そして、うらやましかった。
私のもうずっと昔の幼馴染みは、
エリート大学で知り合った後輩と結婚して、
今幸せそうにしている。
結婚する2年くらい前のこと、
もう何年かぶりに、
ひさしぶりに偶然ばったり会った。
家は近かったが、
中学から私立へ行ったその男の子と、
会う機会はなかった。
偶然再開してから、
偶然ばったり会うことが何回かあった。
駅まで一緒に歩いて話すことは、
もっぱら彼の彼女の悩みだった。
悩みといっても、
よくよく聞いてみると、
恋愛をしている当人が不安に思うだけで、
至極順調にいっているようだったから、
私はこれはのろけに近いなと思いながら、
はぁ、このまま結婚するんだろうなぁと思って、
いろんな思いが駆け巡った。
一緒に遊んだこと、
ピアノの発表会に他の幼馴染みと共に出たこと、
小学校に上がって、あまり遊ばなくなったある日、
たまたま公園に遊びに行った時間が一緒で、
2人で石ころを土手から転がして、
ぶつかったら仲良しという遊びをしたこと。
そのとき大変思いがけなかったのは、
「僕、大きくなったら、(私)ちゃんと結婚したい。」
と言ったこと。
なんかを思い出して、
せつなくなった。
そんな思いがけないプロポーズのとき、
嬉しいと共にとっさに思ったのは、
それはまだ小さいからそう思うんだよ。
もっと大きくなって、いろんな人と出合ったら、
そうじゃなくなるよ。
と未来の彼女の影が浮かんで見え、
とてもせつなくなった。
こんなに嬉しいことなのに、
かなわないことなんて。
そして、
小学校に上がって、
世界が広がったはずなのに、(他の女の子と出合ったはず)
私の方がいいの?
なにかいやなことでもあったのかなぁ。
と思った。
私はたしかにその人のことをいいなと思っていた。
幼馴染みの中でも一番落ち着いていて、
端正な顔立ちだった。
でも、幼馴染みの中一番カッコいいから、
私なんかじゃなくて、
痩せている(幼馴染みの)Aちゃんのことが好きだと思っていた。
―私はそのときから、
劣等感というか、自分の不釣り合い、
自己否定の傾向があったということだろうか。―
それでも、
その子が有名私立中学へ行くような人―というのは、
もっとあとになって解ったことだった。
幼馴染みの中でさほど変らない格差だと思っていた。
少し裕福で、少しエリート"風"と感じていただけだった。
実際は、本当に裕福で、エリートの家庭だったのだ。
今、彼は結婚して、もう手の届かない、
簡単に会話のできないところに行ってしまった。
その彼が結婚する前の話。
その相談なのか、のろけなのかな話の中で、
彼女と電話すると、電話のときだけ、
お互い敬語になってしまう
というものだった。
具体的なことは忘れてしまったが、
そのときは覚えていた仲のいい老夫婦のあり方を、
どこかで見かけて、
いくつか質問をした。
その結果、明瞭だったのが、
そんなことは大丈夫ということだった。
まさしくその仲のいい夫婦の人たちと
話を聞いて浮かび上がる像が一緒だったのだ。
そんなわけで、
つい最近見かけたスーパーでの老紳士とも呼べるサラリーマンは、
きっといい夫婦なんだろうなと容易に想像できて
うらやましかった。
震災直後の電車で見かけた似たような光景がある。
3.11から何ヶ月か経った頃だったと思う。
余震で電車が止まった。
お昼のうららかな陽気の日だった。
座席に座っていて、
右の方には3人連れのおばさま方が、
少し話しで盛り上がっていた。
内1人は話し好きで、
もう1人は少し話し好きで、
もう1人は聞くのが好きなのか静かなだった。
「あら、止まったわぁ。」
と話して相変わらずおばさんたちの様子だった。
このままぎゃーぎゃー騒ぎだすのかなぁと思って、
そうなるのはちょっとやだなと思って外へ目をやったところ、
「はい、もしもし」
と右の方で聞こえた。
おいおい、電話かよと思ったが、
まぁ、こんなときだし。
と思って、いいかと思った。
「はい。はい。大丈夫ですから。はーい。」
え?とあの中の誰が話しているのか目をやった。
すると、
あの3人の中でも物静かな女性だった。
プチッと携帯を切ると、
「もう。」
と言って、
「だんなさんから?」
と言う隣りに座っていた少し話し好きの友達からの質問をきっかけに話しだした。
「そうなの。大丈夫かって。
すぐ電話かかってくるのよ。なんでもかんでも。
もうやになっちゃう。」
あら~いいじゃな~いというその友達と同感。
その後もこんなときもくっついてきて等、
べったりされる話をしていたが、
私もその話を聞いて、
そりゃぁ、そんな風にしょっちゅうされるのはいやだろうけど、
ほおっておかれるよりいいよぉ~と、
周りのおばさん達と同じ様に思った。
そして、
この年になっても、
そういうことがあるのかぁと、
うらやましく思った。
私はデパートの地下食品売り場で、
大変仲のいい老夫婦を初めて見たことがある。
どれにするか決めるのも、
どれがいい?と同時に聞き合い、
阿吽呼吸でそれがいいねと決め、
同時に声を出して注文をし、
同時にお金をそれぞれのお財布から出し、
包むのを待っている間も、
小鳥のつがいのように顔を向き合わせて、
なにか話をしている。
そして、2人で手を伸ばして、
同時にそっくりににっこりと笑顔してありがとうと言い、
次はどこへ行こうと
仲睦まじく意思疎通するように、
2、3言葉を交わして、会話しながら
デパ地下の人ごみの中へ消えていったのである。
私はいつまでも見ていたい気分になって、
がんばって目で追ったのだけれど、
人ごみ中に、
その背の引き老夫婦はあっという間にいなくなった。
意思疎通できているから、
2、3の少ない静かな(他の人には聞こえない程の)会話で、
あとは人ごみをうまく通りぬけるのに集中できる程だったから、
いなくなるのもあっという間だった。
仲睦まじくして、
周りが見えていないわけではない。
その感じの好い、仲のいい老夫婦を、
お手本にしたくて、
その後どんな風にするのか、
一挙一動を見たいほどだった。
その場を離れられたら、
私は着いていっていたところだった。
もう私は3回、目の前で、
理想的な仲のいい老夫婦を目撃した。
そして、
きっとそうなるであろう彼女のことを愛してやまない幼馴染みだった人。
私は何回か偶然会ったときに、
こんなことも聞かれた。
料理する?
私は男性が開口3番くらいで聞いてくるこの質問にうんざりしている時期だった。
そして、次聞かれることがあったら、
「しない」と答えることき決めていた。
それで、まさかこの人が聞いてくるとはと意外に思いながら、
そのように答えた。
結婚して1年経つその彼女は、
どうやら料理ができないらしい。
元旦に現代風のおしゃれなおせちの写真をアップしていた。
コメントに友達から作ったの?と聞かれて、
内緒にしているんだけど、実は夫君が作ってくれたの。
と明かしていた。
アップ時のコメントにはそんなことなんにも描いてないから、
まるでその人が作ったのかと思うところだ。
その彼女はブランド物好きで、
小さい頃は外国にいた帰国子女だから、
明るくはきはきした性格。
Facebook上で少し愚痴みたいなのも言いかけちゃうところもある人だけど、
その元幼馴染み君とは自分の好きなダンスの世界大会を見に海外旅行へ行くほど、
うまくいっているみたいだ。
同窓会で何年かぶりに再開したまた別の幼馴染みは、
後日食事に誘ってくれたとき、
その結婚した幼馴染みの話がてら、
こんなことを聞いてきた。
やっぱり女子はブランドものとかがいいのかな?
その私への質問なのか、
それとも誰かを想っての相談なのか分からない話に、
((他にもそんな話ばっかりだった!
男友達が一番!を何度も言って。
じゃぁ、目の前の私の立ち場はなに?
じゃぁ、男友達と遊べばいいじゃん、と想った。))
うんざりしながら、
ブランドに固執しない私は、
別に、ブランドじゃなきゃダメってことないんじゃないの。
ブランドものじゃなくてもお気に入りはあるし。
と素直に答えた。
でもその人とは長いつき合いにならなかった。
そんなことがあって私は、
料理ができる女性がいいとか男性はいうけど、
ぞっこんに愛したら、
そんなこと、
どうでもいいんだなぁと結論づいた。
ブランド物好きの女性は敬遠しちゃうとか、
どうでもいいことなんだろうなと。
そして
せつないとかとは違うような似てるよな、
霧のようにあるようなないような
なんだろう、この気持ちは。
こぎれいで、物優しそうな、
胸に社証のバッチが光ったのサラリーマンの格好の男性が、
リニューアルオープンしたスーパーで、
夜7時頃、
「今晩の夕食はなんですか?」
と携帯で電話をしていた。
かしこまった封であり、
でも笑みをこぼしつつ、
幸せそうだった。
私はすれ違いながら、
ああやって毎晩、帰る前に電話をして、
夕食を聞いたりしているんだなと思った。
ほほえますく、
そして、うらやましかった。
私のもうずっと昔の幼馴染みは、
エリート大学で知り合った後輩と結婚して、
今幸せそうにしている。
結婚する2年くらい前のこと、
もう何年かぶりに、
ひさしぶりに偶然ばったり会った。
家は近かったが、
中学から私立へ行ったその男の子と、
会う機会はなかった。
偶然再開してから、
偶然ばったり会うことが何回かあった。
駅まで一緒に歩いて話すことは、
もっぱら彼の彼女の悩みだった。
悩みといっても、
よくよく聞いてみると、
恋愛をしている当人が不安に思うだけで、
至極順調にいっているようだったから、
私はこれはのろけに近いなと思いながら、
はぁ、このまま結婚するんだろうなぁと思って、
いろんな思いが駆け巡った。
一緒に遊んだこと、
ピアノの発表会に他の幼馴染みと共に出たこと、
小学校に上がって、あまり遊ばなくなったある日、
たまたま公園に遊びに行った時間が一緒で、
2人で石ころを土手から転がして、
ぶつかったら仲良しという遊びをしたこと。
そのとき大変思いがけなかったのは、
「僕、大きくなったら、(私)ちゃんと結婚したい。」
と言ったこと。
なんかを思い出して、
せつなくなった。
そんな思いがけないプロポーズのとき、
嬉しいと共にとっさに思ったのは、
それはまだ小さいからそう思うんだよ。
もっと大きくなって、いろんな人と出合ったら、
そうじゃなくなるよ。
と未来の彼女の影が浮かんで見え、
とてもせつなくなった。
こんなに嬉しいことなのに、
かなわないことなんて。
そして、
小学校に上がって、
世界が広がったはずなのに、(他の女の子と出合ったはず)
私の方がいいの?
なにかいやなことでもあったのかなぁ。
と思った。
私はたしかにその人のことをいいなと思っていた。
幼馴染みの中でも一番落ち着いていて、
端正な顔立ちだった。
でも、幼馴染みの中一番カッコいいから、
私なんかじゃなくて、
痩せている(幼馴染みの)Aちゃんのことが好きだと思っていた。
―私はそのときから、
劣等感というか、自分の不釣り合い、
自己否定の傾向があったということだろうか。―
それでも、
その子が有名私立中学へ行くような人―というのは、
もっとあとになって解ったことだった。
幼馴染みの中でさほど変らない格差だと思っていた。
少し裕福で、少しエリート"風"と感じていただけだった。
実際は、本当に裕福で、エリートの家庭だったのだ。
今、彼は結婚して、もう手の届かない、
簡単に会話のできないところに行ってしまった。
その彼が結婚する前の話。
その相談なのか、のろけなのかな話の中で、
彼女と電話すると、電話のときだけ、
お互い敬語になってしまう
というものだった。
具体的なことは忘れてしまったが、
そのときは覚えていた仲のいい老夫婦のあり方を、
どこかで見かけて、
いくつか質問をした。
その結果、明瞭だったのが、
そんなことは大丈夫ということだった。
まさしくその仲のいい夫婦の人たちと
話を聞いて浮かび上がる像が一緒だったのだ。
そんなわけで、
つい最近見かけたスーパーでの老紳士とも呼べるサラリーマンは、
きっといい夫婦なんだろうなと容易に想像できて
うらやましかった。
震災直後の電車で見かけた似たような光景がある。
3.11から何ヶ月か経った頃だったと思う。
余震で電車が止まった。
お昼のうららかな陽気の日だった。
座席に座っていて、
右の方には3人連れのおばさま方が、
少し話しで盛り上がっていた。
内1人は話し好きで、
もう1人は少し話し好きで、
もう1人は聞くのが好きなのか静かなだった。
「あら、止まったわぁ。」
と話して相変わらずおばさんたちの様子だった。
このままぎゃーぎゃー騒ぎだすのかなぁと思って、
そうなるのはちょっとやだなと思って外へ目をやったところ、
「はい、もしもし」
と右の方で聞こえた。
おいおい、電話かよと思ったが、
まぁ、こんなときだし。
と思って、いいかと思った。
「はい。はい。大丈夫ですから。はーい。」
え?とあの中の誰が話しているのか目をやった。
すると、
あの3人の中でも物静かな女性だった。
プチッと携帯を切ると、
「もう。」
と言って、
「だんなさんから?」
と言う隣りに座っていた少し話し好きの友達からの質問をきっかけに話しだした。
「そうなの。大丈夫かって。
すぐ電話かかってくるのよ。なんでもかんでも。
もうやになっちゃう。」
あら~いいじゃな~いというその友達と同感。
その後もこんなときもくっついてきて等、
べったりされる話をしていたが、
私もその話を聞いて、
そりゃぁ、そんな風にしょっちゅうされるのはいやだろうけど、
ほおっておかれるよりいいよぉ~と、
周りのおばさん達と同じ様に思った。
そして、
この年になっても、
そういうことがあるのかぁと、
うらやましく思った。
私はデパートの地下食品売り場で、
大変仲のいい老夫婦を初めて見たことがある。
どれにするか決めるのも、
どれがいい?と同時に聞き合い、
阿吽呼吸でそれがいいねと決め、
同時に声を出して注文をし、
同時にお金をそれぞれのお財布から出し、
包むのを待っている間も、
小鳥のつがいのように顔を向き合わせて、
なにか話をしている。
そして、2人で手を伸ばして、
同時にそっくりににっこりと笑顔してありがとうと言い、
次はどこへ行こうと
仲睦まじく意思疎通するように、
2、3言葉を交わして、会話しながら
デパ地下の人ごみの中へ消えていったのである。
私はいつまでも見ていたい気分になって、
がんばって目で追ったのだけれど、
人ごみ中に、
その背の引き老夫婦はあっという間にいなくなった。
意思疎通できているから、
2、3の少ない静かな(他の人には聞こえない程の)会話で、
あとは人ごみをうまく通りぬけるのに集中できる程だったから、
いなくなるのもあっという間だった。
仲睦まじくして、
周りが見えていないわけではない。
その感じの好い、仲のいい老夫婦を、
お手本にしたくて、
その後どんな風にするのか、
一挙一動を見たいほどだった。
その場を離れられたら、
私は着いていっていたところだった。
もう私は3回、目の前で、
理想的な仲のいい老夫婦を目撃した。
そして、
きっとそうなるであろう彼女のことを愛してやまない幼馴染みだった人。
私は何回か偶然会ったときに、
こんなことも聞かれた。
料理する?
私は男性が開口3番くらいで聞いてくるこの質問にうんざりしている時期だった。
そして、次聞かれることがあったら、
「しない」と答えることき決めていた。
それで、まさかこの人が聞いてくるとはと意外に思いながら、
そのように答えた。
結婚して1年経つその彼女は、
どうやら料理ができないらしい。
元旦に現代風のおしゃれなおせちの写真をアップしていた。
コメントに友達から作ったの?と聞かれて、
内緒にしているんだけど、実は夫君が作ってくれたの。
と明かしていた。
アップ時のコメントにはそんなことなんにも描いてないから、
まるでその人が作ったのかと思うところだ。
その彼女はブランド物好きで、
小さい頃は外国にいた帰国子女だから、
明るくはきはきした性格。
Facebook上で少し愚痴みたいなのも言いかけちゃうところもある人だけど、
その元幼馴染み君とは自分の好きなダンスの世界大会を見に海外旅行へ行くほど、
うまくいっているみたいだ。
同窓会で何年かぶりに再開したまた別の幼馴染みは、
後日食事に誘ってくれたとき、
その結婚した幼馴染みの話がてら、
こんなことを聞いてきた。
やっぱり女子はブランドものとかがいいのかな?
その私への質問なのか、
それとも誰かを想っての相談なのか分からない話に、
((他にもそんな話ばっかりだった!
男友達が一番!を何度も言って。
じゃぁ、目の前の私の立ち場はなに?
じゃぁ、男友達と遊べばいいじゃん、と想った。))
うんざりしながら、
ブランドに固執しない私は、
別に、ブランドじゃなきゃダメってことないんじゃないの。
ブランドものじゃなくてもお気に入りはあるし。
と素直に答えた。
でもその人とは長いつき合いにならなかった。
そんなことがあって私は、
料理ができる女性がいいとか男性はいうけど、
ぞっこんに愛したら、
そんなこと、
どうでもいいんだなぁと結論づいた。
ブランド物好きの女性は敬遠しちゃうとか、
どうでもいいことなんだろうなと。
そして
せつないとかとは違うような似てるよな、
霧のようにあるようなないような
なんだろう、この気持ちは。