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もうくじけた

2013-09-23 22:07:45 | 無題
さっき書いた人にはライバルが多いことがわかって、

もうくじけた。


だめだ。私なんかじゃ。

そう言うことで、少し心が楽になれた。


私が見つけた私の新しい場所は、

もうまた私の場所ではなくなってしまうんだろうか。


前回行ったときに、少しわがままを見せたかなと思って、

なんだかちょっと1人で勝手に気まずい。


苦手なゲームで、

ちょうど新しいグループが来て、

人を求めていたから、移っただけなんだけどね。



私の新しい楽しめる世界が、

私の新しいせつない場所になったら、

いやだな。


私は今の会社では居場所がない感じがしていやだ。

苦手な犬はいるし、

女性たちのたわいない話もおもしろいと感じられない。

内容がないような着地点のない話と、

適当な相づちがやりとりされている。

つまらない。


ほとんどが既婚者だし、

会社自体好きじゃないから、そんな会社に勤めている人を肯定できない、

好きになれないでいるっていうのもある。

そもそも前の会社みたいに私を必要としてくれる人たちはいないし。

それが一番ネックだ。



ところで、

そういえば、前回の記事で結婚したと書いた女性と、

引き合いに出したキラキラ女子の方だが、

逆に彼女のほうは、とっても意外にも、

1人が好きなんだそうな。

ネット上での社交性と実際の社交性にギャップがあるのは、

別にめずらしいことでもないとのこと。

大学の授業も、ご飯も1人が好きだったなんて、

とっても意外だ。

近日にアップされた写真には、

ひさしぶりに大学に来たとありながら、

男性の中に1人だけ移っていた。

男性陣たちは高嶺の花をかこめていいだろうし、

彼女も気兼ねない男性陣との方が楽なのではないだろうか。


私はそうだ。

ということにさっきシャワーを浴びていて気づいた。


男女混合のグループに入って遊ぶのって、

その中に好きな人がいたら、

せつない思いをする可能性があるから、

とっても居心地が悪い。

へびの生殺しみたいなのもいやだ。

グループの中で自然と仲良くなれたらいいけど、

男女混合のグループにいるという時点で、

引け目を感じてしまう。

この中の誰かもきっと狙ってるって。

その人の目が光るのが分かるし、

ちょっと邪魔しないでよ的な感じや、

一緒にやりたいなら私とやろう?というような、

親切にしながら邪魔してくるこしゃくな感じが苦手だ。


女性だけのグループにいるのは、

男女混合のときより苦手だ。

いや、中学時代は女性ばかりの部活に3年間入って、

その部活内では、楽しくすごせた。

そうだ。

女性ばかりがいるところでは、

私はイケメンな立場になってしまう。

それか笑いを取ったりして、

そういうのが楽しい。


でももう、そういうのは終わりにして、

今は、ぶりっ子している方が自分らしくいられる感じで、

いいのだ。

男性の前だと自然と甘えたり頼ったりできる。

そしてそうしている自分の方が自分らしくいられる感じがして楽だ。

以前は逆だった。

自分が気を引くためだとしてもぶりっ子をするなんて。

できなかった。

かわいこぶっている自分を想像するだけでオエーって感じだった。

不自然な感じがしたし、他人だってそんなの見たら気持ち悪いだろうって思っていた。



でも、ここ2、3年は女の子らしく、

女性らしくしている方が、

自分にあっているし、周りもその方がコミュニケーションとってくれた。

男性も女性も。

特に去年いた会社では。

今の会社では違うけど。

やっぱり外に出ると、女性らしくしている方が、

うけがいい。

しかも重要なのは、うけがいいからしているのではなくて、

そうしている方が自分らしくいられて楽だからだ。

うけを考えてやっていたら、やっぱり自分の不自然さに

嫌になるだろうけど。


その答えがわかったのが、

一昨年あたりに見たビデオだ。

ピアノの発表会に出ている小さい私が幼なじみたちと映っている。

発表会が終わるとみんなで記念写真ということで、

テープの最後の方にはステージに上がって写真撮影を待つ様子が映っている。

私は幼なじみと(((なんと!!)))いちゃいちゃしていて、

その子の方ばかり見ている。

手をにぎりあって、誰かに見られた!と気づくと、

2人はスッと手を離すのに、

しばらくすると幼なじみの男の子の方が肩を叩いて、

手を求めるしぐさをするので、

私も喜んで手を握り、頬に当てては幸せそうにはにかんでいるのだ。

すると、

「◯~◯~◯~ちゃ~ん」と客席の方から私を呼ぶ、

男児の声が聞こえてくる。


と私はここで、

あまりのことに驚愕しながら、

忘れていたなにかを思い出した感じがした。


そういえば幼なじみたちと遊んでいた頃は、

なんだかんだいって、男の子たちに優しくされたり、

助けてもらったりしたな、と。


もともとは女の子らしかったのに、

小学3年生のときに書いた詩がうけて、

笑いを取るということに目覚めてしまってから、

女を捨てたような行動を取ったりしたなと。

あと、小さい頃はおもちゃだけど宝石やアクセサリーが大好きだったのに、

大人になってアクセサリーに目がいかない自分を不思議に思っていたのは、

自分がアクセサリーを物色するのさえ

おこがましく卑屈に感じていたのは、

母の影響だということを感じている。


母はアクセサリーや宝石を持っていたし、

ほしいと言っているのを何回か聞いたことがある。

でも華奢で本当に繊細で綺麗なアクセサリーはなかった。

時代かな。

いや、それらのせいで私がアクセサリーに隔たりを感じていたわけではない。

原因は、そうだ、父だ。

父が母に、誕生日プレゼントだよとか、クリスマスプレゼントだよとかいって、

こぎれいな箱にアクセサリーを包んでプレゼントしているところを、

私は一度も見たことがない。


本当ならそういうロマンチックな贈り物のはずなのに、

どこか私には不釣り合い、不似合いに感じていたのは、

そのせいだった。

本当はそういうロマンチックなのがお気に入りだし、

憧れであり、それが普通だと私は思っているのに。

ほしくてほしくてたまらない幻想を抱いているような、

なのに現実ではそれが普通という、

変な状況になっているのは、

父が母に女性らしい素敵でロマンチックな贈り物をしなかったからだ。

バッグや靴といったものをわざわざプレゼントとしてあげているところも見たことがない。

母は家計と相談して勝手に買ってあとで報告するか、

事前に買ってもいいかと聞いて自分で買うかしていた。

父の手からそういったものがわざわざ手渡されるところを見たことがない。

母が女性らしく、ネックレスをつけてと父に背を向けて、うなじを見せるところも

ほぼ見たことがない。あったとしても私が生まれたばかり=新婚に近い年だけだ。


私はとってもロマンチックで、

よく雑誌の特集やドラマで描かれているような、

いかにも理想なデートがしたいと思っていた。

でもその反面、

自分にはそんなの無理と思っていた、

そんなことしてる私、きっと気持ち悪いんだろうなって。

小中学生のときに、笑いをとって恋愛対象の女子としてみられなくなったり、

(でもそれはまだよかった。みんな笑ってくれたし、明るくて元気なやつということでそこそこ、

人気者だった。)

中2のときに、男子にきもいと言われてクラス全員からはぶられたりしたことが、

その後かなりの年数、私を女性らしさというものをわからなく、

自分の居場所じゃないものにさせていた。


笑いを取るのをやめようと思って、

学生時代の人と接点がなくなって、

みだしなみを自分の価値観ではなく、

雑誌に載っているような女子をめざしたら、

声をかけられるようになった。


悔やまれるのは、大学生のときからそうすればよかったということだ。

2つ結びが自分らしいと思ったり、

3つ編みをわっかじょうに結うのがかわいいと思ったりしてがんばっていたけど、

よく雑誌を見れば、まったくそんな女子はいない。

みんなダウンスタイルで、ウェーブがかかったり、

茶髪にしたりしていた。

結い上げるスタイルは私の角張った骨格を丸出しにして、

気持ち悪いのに、私はなにをやっていたんだろう。

それをしたかしないかで、

大学ライフも、もっと違うものになったかもしれない。

あはは、うふふの世界があったかもしれない。

そこそこの青春があったかもしれないのに。

あ~あ、もったいない。




どうしよう、ひさしぶりに

頭の中がいっぱいだ。

進展させたいけど、

どうすることもできないもどかしさが、

余計に中毒のようにさせるよ。


いかん、

いかん、いかん。

忘れねば。






でも、楽しそうでいいなぁ。












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