レーニンも、マルクスを読んでから「国家と革命」やら「何をなすべきか」を読んだが、どうも好きになれなかった。レーニンに対する第一印象は学校時代の教師の目、ひとを見るときのあの嫌な上から目線を感じた。例の「何をなすべきか」の外部注入論で労働者は労働組合意識しか持てず、社会主義意識は外部から注入しなければならないというものであった。ロシア革命を変質させていったのもレーニン主義に一端があるのではないかと思ったが、そういうことは大きな声で言いづらい雰囲気があった。よくも悪くもスターリン書記長に社会主義の悲劇の責任を押しつけて終わりということではないかと思った。ポーランドでは連帯労組が社会主義政権から弾圧をされていた。よくポーランドの連帯の記事が週刊誌にも乗りそこに出てくる連帯労組の組合員に同情したのを覚えている。ただ、レーニン選集を読むぐらいの知的誠実さは僕にもあった。
当時、シモーヌ・ヴェイユというフランスの女性思想家の本も読んだ。最近になって岩波文庫でも読めるようになったが当時はハードカヴァでないと読むことが出来なかった。シモーヌ・ヴェイユはフランス共産党ではない民主共産主義のグループにいたようだった。ヴェイユの彼氏で、ポリス・スヴァーリンというひとがいるが、このひとはドイツ共産党の創立者ローザ・ルクセンブルクの影響を受けていたようで、そのスターリンの伝記は、ロシア革命の悲劇と社会主義の問題の原因を遠く1903年のロシア社会民主労働党の分裂と「何をなすべきか」に見ている点で、ドイッチャーの「スターリン伝」より優っていると思う。シモーヌ・ヴェイユは1930年代に革命ロシアを追い出され、フランスに亡命していたトロツキーとも論争し、一歩も譲らなかった。シモーヌ・ヴェイユの周辺にはジョルジュ・バタイユがいたり、当時のフランスの第一級の思想家がいたようだ。ただ、第四インターナショナルがシモーヌ・ヴェイユの家でトロツキーとともに結成されたというのも面白い話しだ。
それに、当時は書簡集でしか読めなかったローザ・ルクセンブルクの思想に触れたことも、コミュニストではなく、ひとりの労働者として物事を考えようという立ち位置のようなものを僕に与えてくれた。岩波文庫で、「獄中からの手紙」という小さな本が出ていて社会主義者というとレーニンのような文章が標準だと思っていたが、ローザのその文学的な文体には知性を感じ、またその音楽や文学の趣味もモーツァルトやベートーヴェン、文学ではゲーテやレッシングといったものでロシアの革命家にはないものも感じた。後にローザ・ルクセンブルクの「ロシア革命批判」を読んだが、時間があればまたその話しをしたいと思う。マルクス主義といえばボルシェビキだと言うのが相場だが、実は違った。そんなことも驚きだった。
僕自身は、レーニン主義との対決を通して、もう少し平たく言えば左派系活動家との対決を通して自分なりにマルクス、それも資本論を読んできた。マルクスの資本論も、最初は教科書通りマルクス経済学として宇野経済学の影響を受けながら学んでいたが、どうも学者が研究室で考えることは、労働現場の中で労働者が考えることとずれるらしく、次第に宇野弘蔵を読むよりは資本論そのものを読む方が生きる指針になった。そういえば、資本論をなぜ読むかと言えば、生きるためであり、生きる指針としてだ。資本論の副題にもKritik der politischen Ökonomie ー経済学批判と書いてある。
そうこうしているうちに天安門事件が起こった。1989年6月4日、人民解放軍が人民の集まる広場に戦車を突入させた。テレビに写る中国の民主化を願う学生・労働者の叫びには心から共鳴した。昨年だったか、ブックオフで天安門事件関連の書籍を二冊入手した。あの時の記憶が蘇った。中国共産党の独裁に抗して闘う若い中国の民主派の活動家たちの姿が、声が蘇った。しかし、今でも中国で中国の民主化を望む活動家は生きている。中国共産党の腐敗した姿だけを見て中国を批判するのは一面的だと思う。
Segui il tuo corso, e lascia dir le genti !
さらにハンガリー、チェコ、東独で社会主義政権はドミノ倒しのように倒れた。10月8日ベルリンの壁が崩壊した。一年前誰がこのことを予想したであろうか?
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