⑤
マルクスの「資本論」に入る前に、(と言っても第一章「商品」だけ〜全てについては僕の手には追えない〜)簡単に資本論という本について述べておきたいことがある。というのは、2巻、3巻はエンゲルス編集ということでだいたいそういう理解になっているが、一巻についても実はいろんなバージョンがあり、それについて簡単に述べておきたい。
マルクスが生前刊行した資本論は第一巻だけで、ドイツ語版は、1867年に初版が、1872年に二版が刊行され、さらに1872〜1876 年にかけてフランス語版資本論がほぼマルクスの手で翻訳されて世に出ている。しかし、今、世の中の書店で買えることが出来、読むことが出来るのは1890年にエンゲルスが刊行したエンゲルス版第四版をベースにしたデイーツ版と呼ばれている資本論。ところでエンゲルス版第四版は、スターリン時代に政治的に資本論第一巻においても定本とされ、それ以来資本論第一巻は他のマルクス自身が刊行したヴァージョンがあるにもかかわらず現行版でいいとされてきた。
しかし、例えば、ドイツ語二版と最後のマルクス刊行の資本論、フランス語版と比べてみると、資本論一巻全体に改訂作業はなされており、特に最後の本源的蓄積章においては相当重大な中身まで改訂されているにもかかわらず、フランス語版の改訂はマルクス自身の改訂であるにもかかわらず、従来から見過ごされてきた。
初版から二版に至る過程でも主に商品章を中心に書き換えが行われており、ドイツ語初版、二版、フランス語版のそれぞれの研究、さらには、それぞれを比較した研究は不可欠であるのに、皆無である。
例えば、ドイツ語初版、二版、フランス語版の章立てを書いて見る。
初版では、六章(章は現行版の編におおよそ対応する)のみという非常にシンプルなものになっていて、さらに小見出しも何もないので読みにくいことこの上ない。にもかかわらず、マルクスの当初の資本論に込めた意気込みが伝わり、資本論が何であるのかがよく分かる資本論である。
ドイツ語二版は、現行版にもっとも近い形の資本論で、7編25章になっている。
ところがフランス語版になると8編33章になっており、本源的蓄積章が編へと格上げされている。従来、資本論の議論というと重箱の隅をつつく瑣末な議論が多かったので、細かいことははぶくが、初版から二版、二版からフランス語版の改訂について、専門とする学者の手で今後研究が進むことを期待したい。
世の中は、またまた資本論ブームらしいが、こういう基礎研究を掘ったらかしにしてエンゲルス第四版をまだ使っているということ自体が資本論研究が商業主義あるいは資本主義に迎合していると言われてもおかしくはない。
最近、白井聡氏、斎藤幸平氏が資本論についての解説を書かれたが、一巻には違うバージョンがあり、それがマルクスの手で公刊された資本論であることを知っていながら現行版を使うというのは学者としての誠実さにかけるところがあるのではないか。僕は立ち読み程度しかしていないので、お二人の書物については論じる資格はないが、それにしてもやはりテキストについてはもう少し厳密さが必要ではないかと思われる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます