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働いていたレストランの近くに新進堂という本屋があり、岩波文庫を読み切ることに情熱を燃やしていた。赤帯のフランス文学やロシア文学は読めても、それでも挫折することも多かった。厨房で働いていると言っても腕一本でやっていけるわけでもなく、当時、冷凍食品でいいものが出来てきて手づくりの店は大手外食産業に押されていた。休みと言っても何するわけでもなく、あっという間に時間だけが過ぎた。
そんな時に「資本論」に出会った。岩波文庫 向坂逸郎訳 全9冊を購入、抱えるようにして持って帰った。無謀だったが三か月ほどで全三巻を読み切った。ただし、中身がわかったわけではないが、一回読んでわかる本でもない。ただ、商品の価値は労働だというぐらいに漠然と理解出来た。それに剰余価値ー会社はこうして儲けるのかと思うと会社の頭の良さに感心もした。ただ、働くものは社会の主人公だと思うと嬉しかった。もっとこの本を理解したいと思ったが、しかし、それからこの呪われた本に生涯マルクスの幽霊に付き纏われるとは思わなかった。というのはマルクスは幽霊が大好きで共産党宣言の始めにもこんな風に書いている。Ein Gespenst geht um in Europa.
その話はともかく資本論を読んで初めてマルクスが誰であり、マルクスとソ連が関係があるとわかったような次第である。資本論を読んでから共産党宣言や賃労働と資本を読み出すと言う始末。ただ漠然と労働者というか働くものの社会がくればいいと思った。
しばらくして父に紹介してもらい近くにあった二月書房に行った。初めて行ったのは夕方だったと思う。小さな店の奥に入っていくとそこにご主人が座っておられた。そのお店にはずいぶん長く通った。街の小さな書店は大型書店のようにあちこち動かなくともいろんなジャンルの本が目に入る。同じ本でも棚の並びが変わると違う風に見える。そうして出会った本もたくさんあった。
当時は、バブルの余韻が未だ残るジャパンアズナンバーワンと思っている日本人もたくさんいた時代、マルクスなんか過去の思想家だった。未だそれでも社会主義圏も存在し、ソ連邦もあった。ロシア革命のオーラが世界を包んでいると錯覚されていた時代だった。
が、ともかく資本論だけを読んでいたのではダメだとわかり、哲学ではヘーゲルやフォイエルバッハも文庫本で手に入るものは読んだが分からなかった。マルクスの延長でもレーニンを読まなければならないようだった。マルクスの本の解説を読むと必ずマルクスとレーニンの名前が並べてあったが、これもある種の神話だった。するとレーニンとくるとスターリンになるが、この名前には僕のように大学に行かなかったものでも抵抗があった。マルクスの思想は正しいが、ソ連でおかしくなったというのはどうもいただけないと思ったからだ。ソ連の話しもそれほど薔薇色には見えなかったが、社会の安定という観点から見るといいと思ったことはあった。スターリンの問題は僕がマルクスと向き合う上でずっとネックになっている。
結局、資本論を読んでから反対に共産党宣言やドイツイデオロギーを読む始末。酷い勉強の仕方かもしれないが、しかし、そうするより他に道はなかった。これではメインデッシュを食べてから前菜を食べるようなものだった。が、かと言って正攻法で勉強すれば勉強していたかというと嫌になってやめていたように思う。そう人間うまく形にははまらない。
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