うろうろとする日々

高校生は勝つことで成長するのかな?(朝日新聞の感想)

朝日新聞の地方版になぜか高校野球の指導者が放談するコーナーがある。

今日は某有名選手を高校時代に連続敬遠した監督が放談している。曰く”勝ちに純粋にこだわることは悪くない””観客が過剰な?応援をすることも悪くない”んだそうです。

この方はまあ高校野球で勝ちを重ねることで大手全国紙で放談する権利を得たのでしょうから、この人にとって高校野球での勝利が非常に人生に役立っていることはわかります。

しかし、本当にこの人の下で高校野球をやった人たちにとっても同じなんだろうか?その点朝日新聞はどう考えているんでしょうかね、という感じです。地方版で普段は教育に関しての記事などもある場所なので、どっちかというと教育的なコーナーとして高校野球の指導者の話を載せているのでしょう。読んでいて不愉快なのは、卒業生も呼び捨てだったりします。親子じゃないんだから、という感じです。でもそういった疑似親子のような関係ができているのが日本のスポーツ界じゃないでしょうか。そういったことって朝日新聞的には問題なしなんでしょうか。もしかするとスポーツ記者で大学や高校の出身者は後輩を取材するときに呼び捨てだったりするのでしょうか、、、いろいろと疑問はわいてきます。

またチームとしての朝練はやってない、とか言ってましたが、練習しているけどチームの練習をしていないだけなんでしょう。これについてはAERAでトム・ホーバス氏が面白いことをいってました。彼は朝練をやめさせたかったそうなのですが、やめない。それならば、ちゃんと目標を設定してやらせるようにしたほうがよいと思ったそうです。自分の時間も大切にして、メリハリをつけることがいいという価値観です。そういったベースの価値観なしで、なんだか日本では朝練というと悪いことー>チームではやらない、というだけに流れていきましが、結局それだと逆に選手にとって時間を費やすだけになる場合もある、ということでしょう。価値観は一貫してます。また、常に選手が成長することを促しているのだなあ、ということを感じる話です。

このあたり、実は労働時間の考え方にも関係するんじゃないでしょうか。昔はサービス残業なるものがあって、自分で仕事をしていたけど、それを禁止されて、ある種の職種では、持ち帰り残業という形になっている。または、某劇団で飾りを夜寝ないで作ることが称賛されるなども同じかもしれません。とにかく日本では時間をその団体に長くささげることで忠誠心を試される、というような感じがあります。どうもなあという気がします。

その根源が合宿生活当たり前のような高校生のスポーツではないかという感じもあります。

ということでこういう高校野球の指導者の放談を載せる新聞社はそれを読む人がいるから載せるんでしょうし、指導者は勝つことでこういった機会も得て、おそらくは講演会などで稼ぐこともできると。まあ経済的にはいいことなのでしょう。やはり高校野球大したものです。

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