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高嶋ちさ子さんが感銘したという本、藤原正彦著「若き数学者のアメリカ」をひらくとこんなエピソードが、書いてあった。
(1972年、氏はアメリカのミシガン大学に研究員として1年行く途中、本土に着いた時のショックを和らげるため先ずハワイに立ち寄って、真珠湾観光に参加して日本軍の蛮行を繰り返し聞かされるうち、では広島、長崎の原爆、東京大空襲はどうなんだと反発して居直った。そして今度はロスアンゼルスからラスベガスに入ってカシノに行ったそうだ。)
2.ラスヴェガス I can't believe it. (抜粋)
(先ず、ルーレットにちびりちびりと25セントずつ賭け、数時間後100ドル失い、自室に戻って、いざという時の100ドルを持ってきてつぎ込んでしまい、部屋に帰っても悔しくて寝れない。その間約10時間。とうとうミシガンで使う最初の生活費200ドルのうち150ドルを持って再びカシノにもどってすっからかんになった頃には、東の空が白みはじめていた)
かなりの間、私は、なぜ、あの時、ラスヴェガスであれほどに我を忘れて、数学的に負けることのはっきりしているギャンブルを続けたのか分らなかった。相当経ってからはっきりしたことは、その時、単に勝負に負けて悔しいというだけでなく、アメリカ人になめられて悔しい、という思いを強く持っていたことだ。
異国の地に一人でいる心細さ、言葉の障害、人種問題、数学研究に関する不安・・・。もろもろの精神的重圧を支えるための手段として、アメリカに対する優越感を身につけることが最も手っ取り早く効果的であることを、特に意識したわけではないが本能的に知っていた。あらゆる機会を捉えては優越感を心のうちに形成しようと狙っていた。その意味で、ギャンブルに大敗を喫したことは、まことに歓迎されざる出来事であった。
信じ難いことに、その程度のことが、一時的にせよ、私を劣等感の虜にしたのである。ハワイで真珠湾を見た頃から、心の底に根強く定着し始めた“アメリカ対私”という奇妙な対抗意識が、時と場所を選ばず頭をもたげては、私を悩ませていた。
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