

【三山春秋】 牛肉を使った牛鍋(すき焼き)が日本ではやり始めたのは明治に入ってから。が、…
2014/12/01上毛新聞ニュース
▼牛肉を使った牛鍋(すき焼き)が日本ではやり始めたのは明治に入ってから。が、それ以前にも盛んに食べ、広めていた人物がいる。幕末・明治期の啓蒙(けいもう)思想家、福沢諭吉である
▼緒方洪庵が大阪に開いた蘭学塾「適塾」の塾長を務めていた20代半ばのころ、牛鍋の店に行ったと、 『福翁自伝』にある。江戸で塾(後の慶応義塾)を始めてからも、塾生たちの部屋に牛肉を持ち込んでは、鍋を囲んだ
▼フードジャーナリストの向笠千恵子さんは新著 『日本のごちそう すき焼き』(平凡社)で、福沢の逸話を取り上げ、「この頃から福沢流は具だくさんで、味と栄養のバランスが考えられていた」とたたえている
▼欧米諸国を訪れた福沢はその経験をもとに、著作などで精力的に西洋文明を紹介した。肉食の推奨をはじめ食文化への言及も多い。注目したいのは、栄養だけでなく食の精神的な効用にも触れていることである
▼たとえば愛飲したビールについて、「胸膈(きょうかく)(胸のうち)を開く為(ため)に妙なり」( 『西洋衣食住』 )と、人と人の心をつなぐ役割を強調した。すき焼きを群馬のおもてなし料理とする取り組みを県が始めているが、福沢流はその「もてなし」の基本を教えてくれるのではないか
▼今日から師走。鍋ものが恋しくなる季節だ。福翁にならい、旧友を誘ってビールで胸膈を開き、牛鍋をつつこうか。

キリンホールディングスのHPにはこんなページがあった。

土曜日には飲み会があるが、メニューはすき焼きがいいな!胸の内を明かした談論風発な宴席になればいいが、どうも荒れそうな悪い予感がする。先に酔った方が勝ちかな?(笑)。それにしても、福沢諭吉ってこんなことまで紹介していたとは粋な人だね。
実家では桜肉ですき焼きをしてたので、牛肉でするって事を始めて知ったのは実家を出てからでした。
たまに祖母が作ってくれました
そうして主に 肉を食べるのは私で、、祖母がそんな様子をじっと見ていたのを すき焼きを見ると思い出します。
私も初めて知りました。
その頃、人はどぶろくか地酒でも飲んでいたんだろうと思っていました。
>牛肉でするって事を始めて知ったのは実家を出てからでした
所によっていろんな違いがあるでしょうね。
日本の獣肉食の歴史を見ると、「食用の家畜を育てる習慣が少なく、
主に狩猟で得たシカやイノシシの肉を食していた」
とあります。
私も貧乏な子供時代をおくりましたが、不思議とすきやき鍋を囲んだ記憶がけっこうあります。
その点が謎です(笑)
>そうして主に 肉を食べるのは私で、、祖母がそんな様子をじっと見ていたのを
祖母さまはいじーさんの食欲が楽しみだったんですね。
なんだか分かるような気がします。
福沢諭吉がそんなにお酒が好きだったとは・・・・
すき焼き・・・牛肉でするものと思っていましたから、子どもの頃、食べられるのは1年に1~2回でしたね。
何しろ関東は牛肉が高いですから・・・
父の転勤で茨城に行ったとき、よく会社の若い寮生が晩御飯を食べにきていました。
ある時、何が食べたいかと聞いたら
『すき焼きが食べたい』と言われ、母は顔が青くなったとか・・・・
でも、茨城では牛ではなく、豚でする豚すきでした。
それを知ってからは、顔が青くなることもなかったそうです。
我が家も、普段するのは
お値段の安い、肉じゃが用のお肉で作る『風煮』ですから
本物(お高め牛肉)のすき焼きって、お正月ぐらいです^^A
今年のお正月は、カニ鍋でしたので
来年のお正月には、『すき焼きにしよう』と決めていました☆
今から楽しみです^^
これ面白いですね。
>子どもの頃、食べられるのは1年に1~2回でしたね。
そうですか、やっぱり高価なメニューなんですね。
どのくらいの回数で食べたは思い出せませんが、貧しかったのに家で食べられた理由を福岡の姉にでも聞いてみることにします(笑)
>『すき焼きが食べたい』と言われ、母は顔が青くなったとか・・・・
はっはっは
そう言えば、私も上司の家でご馳走になったことがありましたね。
それと近所のお金持ちの家でも・・・。
でも具が少し違うと思ったのでやっぱり家でも食べていたんだ!(笑)
>それを知ってからは、顔が青くなることもなかったそうです。
なるほど、父上も母上もいろいろ努力されていたんですね。
お料理上手のさっちんさんならば、お茶の子さいさいでしょう!(笑)
>肉じゃが用のお肉で作る『風煮』ですから
えっ、そんな違いもあるんですか!
我が家は、私が退職して、息子が出て行ってからは鍋ものはしなくなったと思います(笑)。
>今年のお正月は、カニ鍋でしたので
なるほど!
義母が元気な時、正月にはおせち料理とすき焼きが出ていたのを思い出しました。