
~動画ニュースから

築地市場の豊洲移転も平成の終わり、時代の変わり目の一つを刻むんだろう。みんな平成の生き証人なんだね!
小父さんは築地には行ったこともないのだが、小父さんの長兄が長くシンガポールで仕事をしていて、当時の部下の女子社員が日本観光のひとつに築地の競り市を見たいというので、兄貴も築地の近くにホテルをとり、早朝の競りに引率したと言っていたね(笑)。
一番上の動画ニュースのリンク先には、懐かしむ人、豊洲での意気込みを語る人、移転先では経費が掛かり過ぎるのでと廃業する人、それぞれの市場の関係者出てコメントされていた。
豊洲市場が「芸者の頭」(その心は下のコラムにあり)にならないように祈念しておこう!


余禄 東京・日本橋にかつて江戸の台所があった…
毎日新聞 2018年10月6日 東京朝刊
東京・日本橋にかつて江戸の台所があった。橋のたもとには乙姫(おとひめ)の像が建つ。竜宮城のように各地から魚介類が集まったからだという。像の前には「日本橋魚市場発祥の地」の碑がある
▲その碑には「江戸任〓(にんきょう)精神発祥の地」とも記されている。強きをくじき、弱きを助ける江戸っ子の気風はここで生まれた、と。碑文を書いたのは浅草生まれの作家で俳人の久保田万太郎(くぼた・まんたろう)。江戸言葉を用い、消えゆく下町の人情を描いた
▲日本橋市場は300年に及ぶ歴史を経て、関東大震災を機に築地へ移転する。その築地市場もきょう83年の歴史に幕を下ろす。11日に豊洲市場が開場する。すったもんだの末だが、築地に移る時も大混乱があった
▲江戸期の歌舞伎や講談に登場する一心太助(いっしんたすけ)は日本橋の魚屋だ。正義感あふれる江戸っ子の象徴だった。架空の人物といわれるが、昭和に入っても映画やテレビドラマになり、威勢のいい江戸言葉で啖呵(たんか)を切って人気を集めた。言葉は土地に根付いた文化である
▲市場には特有の言葉がある。例えば、商いが暇なことを「芸者の頭」。江戸っ子は「ひ」を「し」と言ってしまう。芸者の髪形である島田(シマダ)が「ヒマダ」の意味になったとか。粋で男らしいさまを表す「いなせ」は、日本橋市場の若い衆の間ではやった


▲日本橋から築地、そして豊洲へ。場所が変わっても、江戸っ子気質は魚河岸を支える人々の間で受け継がれていくだろう。
いなせ、で「め組のひと」が頭から流れました。(←だから何!?)
ちなみに昨日「テス」と言う文字を見たときに「てす、てす…」と頭の中で流れましたが、夫に「テスという映画を知ってる?」と聞いたら「てす、てす…」と言いました。思考回路が一緒!
お~っ!
>いなせ、で「め組のひと」が頭から流れました。
なんだか聞いたことがあると思ったら「ラッツ&スター」なんですね!テレビ観てた(笑)
>夫に「テスという映画を知ってる?」と聞いたら「てす、てす…」と言いました。
へへへ、ちなみに昨日の訪問者430 IP と低めでした(笑)