


でも26歳で美術教師であった鴇田登美子と結婚し、1年余りでパリ行のために破綻、二人目の妻はフランス人モデルのフェルナンド・バレエと31歳で。嗣治が三人目の妻「お雪」と名づけたフランス人女性リュシー・バドゥとは離婚して、45歳で愛人マドレーヌを連れて個展開催のため南北アメリカへ。2年後に日本に帰国、1935年に25才年下の君代(1911年 - 2009年)と出会い、一目惚れし翌年5度目の結婚、終生連れ添った。きっととてもまめなんだろうね。婦人を描く絵筆と関係があると思う。


「家族」 1917年 モディリアニに似てるよね

「五人の裸婦」1923年 左から触覚、聴覚、視覚、味覚、嗅覚を表わしているという説明あり

「校庭」 1956年 パリという多種多様な人々が住む都市の現実も表現されている

「ばら園の少女」1960年

「アッツ島玉砕」 1943年
戦争協力の罪を非難され藤田は、渡仏の許可が得られると「絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」との言葉を残しパリへ移住、生涯日本には戻らなかった。
嗣治の父・嗣章(つぐあきら)は、陸軍軍医として台湾や朝鮮などの外地衛生行政に携ったという。

「猫(闘争)」 1940年

「聖母子」まさにフジタが洗礼を受けた11959年(73歳)の作品

11/14公開:映画『FOUJITA』予告編
ネット上のこんな映画のPRもあった。そう言えば主演のオダギリ・ジョーは今日の音声ガイドやってたね。
私の母校(小学校)の大先輩で、わが家から歩いて10分くらいのところに、フジタが少年時代を過ごした旧居跡があります。戦前・戦中・戦後と国内外での彼の評価は大きく変化しますが、純粋に美術的な面のみで評価されるようになったのは、近年と言っても過言ではないようです。
藤田嗣治展、そうですか、ご覧になれて良かったですね。
私もずっと昔にかなり大規模な展覧会があって、見たことがありますが、
今回は「アッツ島玉砕」があったのですね、私は見たことがないのですが、ご覧になられた感想は如何でしたか?
物凄く上手い画家で、乳白色の下地に、これは石膏で下地を作った様ですね、面相筆を使っての細い線での裸婦像は有名ですが、
広島美術館に小さいスケッチの女性の横顔があり、それはもうすばらしいものでした。
それと同時に社交界で売り出し有名になる事にも大変達者な、そういう顕示欲も強い方だったんだろうと思いますし、
あの当時の日本画壇に受け入れられなかったのは、大いに頷けます。
やはり時代の狭間を駆け抜けていった画家、という想いがします。
はっはっは、NHKの日曜美術館では観ていたんですが、正直なところピンと来ませんでしたね。
顔の作りが現代的じゃないのもひとつの理由かも知れません。
それと多分何回となくテレビの情報に接していて、勝手に大きな期待をしていたのかも知れません。
>乳白色の技法は終生秘密にしたといわれていますね。
これは、会場の説明書きで読みましたね。
大芸術家なんでしょうが、変人でもあったように想像してしまいます。
いや、十把一絡げでは芸術は生まれないのかも知れませんが。
>私の母校(小学校)の大先輩で、わが家から歩いて10分くらいのところに、フジタが少年時代を過ごした旧居跡があります。
そうなんですか!
昨日wikiを斜め読みですが、すべて見ていたら「熊本」という文字があったのも見ていました。
>戦前・戦中・戦後と国内外での彼の評価は大きく変化しますが
会場でそんな印象も受けました。
モディリアニを親友と呼んだり、ピカソや島崎藤村なんかにも出会っているんですね。
ピカソ へ?のオーマージュと書かれていたか?そんな作風もありました。
>純粋に美術的な面のみで評価されるようになったのは、近年と言っても過言ではないようです。
そういうことでしょうか?
西洋画の展覧会で何人もの有名画家の名画をただたくさん並べてあるより、
この展覧会のように一人の作品を生涯の説明とともに解説されている方が面白いと感じました。
南米や中国の絵なんてまたまったく違いましたね。
人生ってそんなものだと思います。
>藤田嗣治展、そうですか、ご覧になれて良かったですね。
そうなんですよ。
絵を観るというより名前を見に行ったのかも知れません。
この方のロイドメガネにおかっぱ頭にちょび髭と裸婦は
ありとあらゆるところで見ますのでどんなんだろう?
よいういつものミーハーが頭をもたげました(笑)
「アッツ島玉砕」の説明には昔は観覧者が皆手を合わせていたというような説明もありましたね。
これもNHK日曜美術館のテレビで観た時の方がショッキングでしたが、本物はこれか~と思って通りすぎ、
たくさんの戦争画の内上の最後に追記しました
「サイパン島同胞臣節を全うす」にショックを受けました。
ほかにもボートで5人くらいの米・敗残兵が漂流している絵もありましたが、その絵は日本兵の顔や軍服を米兵に描き替えたものだという説明でした。
「アッツ島玉砕」は戻ってまた観たかも知れません。
それらの戦争画全体から生き地獄を感じ取ったはずです。
>乳白色の下地に、これは石膏で下地を作った様ですね、
そうでしたか!
>面相筆を使っての細い線での裸婦像は有名ですが
裸婦の体を含めてすべての輪郭に、鉛筆で描かれたような線がありましたが、それが面相筆なんですかね。
>社交界で売り出し有名になる事にも大変達者な、そういう顕示欲も強い方だったんだろうと
ははは、ロイドメガネの他のスタイルはトレードマーク作りだったのかと想像しました。
>やはり時代の狭間を駆け抜けていった画家、という想いがします。
そういうことでしょうか。
たまたま、少し前に「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一氏(77歳)が思い出の地を訪ねる番組の再放送を観ましたが、彼が太平洋を渡ったのが23歳、藤田嗣治がフランスに行ったのが26歳、同じような若い世代こそがなし得る成功?かな、なんて思ったものです。