憲法というのは、国民にとって、この上なく有難いか、はなはだ有難くなく大災害を被るに至るか、
どちらか一方になってしまうようだ。100点か、0点か、All or Nothing になってしまうようなのだ。
大日本帝国憲法から「軍隊」の二文字を引き抜いて、「自衛隊」に差し替え良しとしただけの現憲法。
そして、人々の人生は過ぎてゆく。晩秋の木の葉のように、だれとめぐり逢うこともなく
しかしながら、何者が ! それは、上述の不合格物が、、全てよく判っていて、孤独に耐え、親を介護する
義務を果たし、散々な目に遭わされたくて生まれてきたわけではないのであるが、何かいいことがあるの
で生まれてきたのであるが、政治上の都合により、ですね。十七条憲法は歴史の真実に基づいて制定され、
普遍妥当性にかなう法でありましたので、健やかな世の中が形成されて、未来は確約されました。
具体例の一つが、584年に朝鮮・百済から持ち込まれた弥勒菩薩像の災厄をに防ぎたい人々の思いです。
妙法蓮華経如来寿量品第十六には、是時菩薩大衆 弥勒爲首(是の時に菩薩大衆弥勒をはじめとなして)
弥勒菩薩がこの世を救うのだから拝みなさいというものに対して、六が3つの弥勒であり、怪しい限りだ。
前年の583年には、悲田院・施薬院・療病院・敬田院から成る福祉施設である四箇院を設立しました。
日本国民が遥かな昔から、人生を誠実に生きるべき時間として捉えて来た理由の一つとして言うならば、
「王は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を亡ぼす。」聖書箴言29章1~13章
日本の長い歴史を最も簡潔に表現すれば、この聖書箴言で十分である。国を亡ぼす者たちが権力者である。
本当に、「平和憲法」と言えるのは、十七条憲法だけであって、時代の変化を言うのであれば、十九世紀版
二十世紀版、二十一世紀版と国家特別基本法か準憲法でも制定して適宜改版して来れば良かっただけのこと。
それは、自主自立の精神を基調とし、国民にご迷惑をおかけしないように、権力の乱用を防ぐ機能を有する。
所詮、人間のやることは「兎と亀の競争」でしかない。憲法のことは、聖文である憲法十七条が一番優れて
いた。憲法は物語であってはならない。人は決して「二度とは戻れない橋」を渡るべきではない !
この憲法は人生観として「有終の美を飾ること」「名を惜しむ」ことの重要性を日本人に示し続けてきた。
憲法は国家の設定情報であるので暗号化されているべきである。その国の人間にしか判らないように暗号化
されているべきである。そして、50年や100年で終わってしまって良い地球環境ではないということだ。
Everything permanent is based on careful planning,therefore,it is important to start from a solid base.
永続的な物事はすべて綿密な計画に基づいている。それゆえ、堅固な土台からスタートすることが重要である。
日本人が十七条憲法を棄てるのは西欧の人間が聖書を棄てるに等しく、文化的アイデンティティが不明になる。
日本人一人ひとりの人生のプログラムと整合性を保つのは十七条憲法以外ないことがどうしてわからないのか。