江戸時代(1603~1867)までの日本人の主要な関心事の中核的なコンセプトは、「人間とは何か」
「どのように善く生きるか」でありましたので、政治は民心や経済をコントロールし易かったと想いを巡ら
すことができます。古代ギリシャから連綿とうち続いてきたラブリーな文明観は世界共通でありましたが、
今や、18歳人口の減少その他の統計に基づくヒストグラム(横軸に変量、縦軸に度数)のグラフを
眺めながら、悩みが深くなってきました。 心は一つであります。そして、悩みも又世界共通であります。
19世紀の人々も、20世紀の人々も人類の平和と繁栄を願う心は同じでした。21世紀も心は同じです。
素晴らしい面もあり、過酷な一面ものぞかせる現代を正確に認識して置きたいと考えます
さて、産業革命は1760年代のイギリスに始まり、1830年代以降、西欧諸国に波及いたしました。
小規模手作業による生産は、大規模な機械設備による生産へと移行し、 社会構造を根本
から変化させました。日本にも影響は及び、明治新政府はプロイセンの憲法をモデルにした倒幕派執筆
による新憲法を公布しました(1889年発布、1890年施行)天皇親政の下、殖産興業・富国強兵・
国威発揚等が目標でしたが、戦争により、国民の尊い努力の全ては、アジア初の近代憲法とともに消えて
しまいました。憲法は国の歩みであり永遠性であり、国民の人生の歩みと繁栄のためにあると考える立場
からすれば、その国の憲法は他国の憲法をモデルとしたのでは構成出来ません。そして、条文に何が
記されているかだけではなく、その憲法は何の妙作用力を有しているか判断すべきであると考えます
天皇を主権者とあおぐ Imperial Japan としての大日本帝国憲法は世界的には極めて評判の悪い憲法
であり、日本の天皇が世界を支配する「八紘一宇」という考え方は純粋ではなく、正しくもなかった。
どのように正しくないかというと、この憲法は国家統治ではなく企業や宗教法人の統治の類だからである。
垂直統合型組織構造を特徴として、最重要権力から数えて、全7章76条で大日本帝国憲法とした。
下手な脚本を思わせるこの大日本帝国憲法は日本国民に二度とはない悪夢を見させて終わってしまった。
この大日本帝国憲法で、日本国は日本の歴史上初めて敗戦国の屈辱に沈み、すべて無に帰したのである。
立憲主義とは、憲法を制定し、憲法に基づいた政治をする主義であり、人権の保障、権力の分立等を
原理としますが、近代の立憲主義の手続きを経ていることで以って真実性に必ず適うとはいえません。
第二次世界大戦敗戦後、政治思想史学者である丸山真男(1914~1996)は、日本国民を隷従的
境涯に追いやった背景として、政治的・精神的な権威を、ともに天皇主権を国家の原理と定めた構造
に問題(カルトに支配された国民心理)があったためにと分析しました。実質は形式より重要であるこ
とは、日本の長い歴史が証明しています。憲法は国民に存続や幸福をもたらす産出装置に他ならない。
文学的才能があればいい憲法を書けるのにと考えるのは間違いであり、憲法は文学的才能とは関係ない。
「横(よこしま)に法制を作りて仏戒に依らず、是れを破仏・破国の因縁と為す」立正安国論1260年奏進