読売新聞を代表する有名な、「ナベツネ」という人が、20世紀の、あの 戦争について
『極めて悪質な戦争だった』と述べたことを憶えている。どのように悪質だったか、具体的に明らかに
されなければ済まないと考えます。何が問題であるかを見失っては、対処可能な活動の デザインは
描けません。それ故、世の中のために貢献出来ないと考えます。題名、「Really」で、自分独自の考え
方を述べてみましたので、どうぞご一読を 「謀(ハカリコト)は密なるをもってよしとす」
21世紀に至っては『純ちゃん(小泉純一郎元首相)はあの戦争の愚劣さを知らない』とも述べました。
極めて悪質である場合には、 詳しく解明されなければ、 極めて危険な事態に至ることになります。
1927年(昭和2年)3月3日までに、アメリカから、12.739体の「友情人形」、48体の「各州代表
人形」、1体の 「ミス アメリカ人形」 が日本に贈られました。アメリカ人宣教師 シドニー・ギューリック
博士(1860~1945)の提唱により、子供達がおこずかいを寄付し、母親達が協力して、人形を完成
させたのでした。この贈呈運動は、当時緊迫する米日関係を文化交流によって緩和させようという目的
で世界児童親善会が中心となって行われました。日本との戦争を望んでいない米国の意思表明でした。
朝鮮戦争時、原爆使用を願い出て、トルーマン大統領を激怒させ、連合国軍総司令官を解任されたダグラス
マッカーサーは、1951年5月3日、米国上院公聴会で日本人の精神年齢について、「like a boy of twelve」
12歳の少年と証言して、日本民族を大勢の人のいるところで笑い者にしたその冷酷さには圧倒されるのである。
「記憶に残るのは、ルールを守った者ではなく、破った者である。」ダグラス・マッカーサー(1880~1964)
しかし、日本各地、ここ、私が住む福島県でも、時々、ニュースの合間のドキュメンタリータッチのノンフィクション的な番組で、「戦前戦中の、アメリカから送られた青い目をした人形」について、ほんとに、八月十五日くらいの日頃に、地方のローカルニュースでは、やってる時がそういえば、あります(ありました)ねえ。あれなんでしょか。
その事実、その放映されていた実際の状況を、今日、ここで読んだ文章の実態には何にも気付かずに、私は、人生五十年、何をしてきたのでしょうか?
きっと、それらが放映されていた、夕方のニュースのドキュメンタリーの時間には、母と食事をしながら暢気に母とテレビのその、福島のどこかにある人形の実態には、一切分からず、知りもせず、その映像を肴にして、母とだべって食事をしていたかも知れないですねえ。
私にとって今は、そんな、今、施設に居る母との友情?愛情の方をとるような、気も致しますが、これらニュース記事の大事さも、当時の母と私の二人には、是非とも伝えたいな、とも思っている今日この頃です。
以上。よしなに。wainai