教養小説の傑作『 魔の山 』(1924年)を発表し、1929年には ノーベル文学賞を受賞した
ドイツの作家 トーマス・マン(1875~1955) は、1948年の 元旦に、日本の新聞社に
『 日本に贈る言葉 』 を寄稿した。その中で、日本の古く高貴な文化に対する好意を述べ、日本が
無謀な支配層のために危険な冒険に突入すること、そして、その結果は必ず良くないだろうことを
私はわかっていたが、敗北にも利するところがあって、戦勝国は自分たちのやり方は最良である
とする結論に陥りがちな傾向があると指摘し、結語として、日本が人類の召使いとして生きる時、
日本国民の上に栄光は輝くであろうと述べた。トーマス・マンはナチスによる迫害から逃れ、米国に
亡命し、1936年、自宅、日記、書籍その他財産をナチスに没収されたが、戦後はスイスに移住した。
戦後、日本人は勇気をもって、戦勝国のその時の決定事項があとあと人類にとって最悪のものに
置き換わり得る可能性を予見し、のちの世のために、断固として主張しなければならなかった。アジア
太平洋戦争が人類の致命傷になったのは、その戦争の原因を特定出来なかった弱さ、脆弱性にある。
21世紀を生きる人は、アジア太平洋戦争の「原因解明」この4文字は生存のための重要な情報になる。
敗戦後、1946年公布の新憲法によって、世界の発展に貢献する「日本株式会社」として、再出発した
のであるが、企業統治と国家統治には根本的な違いがあるために、戦後直後に制定された新憲法を原因と
して、日本は国家として、一種の内部崩壊を発生させて、それが世界各国に波及した。後、隠蔽に徹した。