昭和21年11月3日公布、翌年の昭和22年5月3日から施行された日本国憲法であるが、GHQと
幣原喜重郎(1872~1951)、吉田茂(1878~1967)、鈴木貫太郎(1867~1948)
らによる西洋文明風憲法であることは否定できない。「憲法だけは学問の進展とは関係ない」とは
断言できない。学問の目的は真理を探究して世の中のために役立てることである。故に、堅固なスタート
から出発すると良い。憲法は更新されるべきかについて、10月25日、投開票の参議院補欠選挙で、
どのように民意は反映されるであろうか。49対51で、人が生まれて来ることは、やや、有利
ではない。崖の淵で子を産み育てることは出来ない。幸福は実現出来ない状態を、せめて、50対
50のフィフティフィフティにまで改善するためには、これから先、50年も60年もの、聖域なき
構造改革の努力が尽くされなければならない。先日の亀井静香氏の大企業極悪説は正しくない。
ステレオタイプから始まり、その後、文芸化してしまった憲法は大企業の経営理念に悪影響を与え
ていると観るべきである。大臣が過度に因果関係不透明な発言をするのは危険だ。失敗した政治を
帳消し(功罪も損得もなくしてしまうこと)にするためには特別工作や破壊指令を出す以外なかった
かと疑われる。足利事件なども、もみ消し工作の初歩であると思われてくる いずれにしても、
戦勝国の利害と敗戦国の利害の調整で立てられた憲法を、そのまま放置して来た政治家達の「つけ」を
支払うのは、国民。そして、あまりにも高すぎると嘆くのも日本国民であるのです
「愛のオルゴール」:フランク・ミルズ作曲はカバー曲「潮騒のメロディー」として、1974年
鹿児島出身の高田みずえが世界の終末のこの歌を歌いました。今も大災害の時には人々の心に蘇る。
日本国民は長い間、憲法ではないものを憲法であると信じ込まされ続けて来たのであるが、本音は、
「憲法のことなんかで失敗なんかしなければいい国だったのに」と残念に思う日本国民も多数なのです。
旧日本軍の一億玉砕と天皇陛下万歳突撃は、天皇支配の絶対性を日本国憲法第一章として、明文化
させましたが、天皇陛下万歳突撃は、日本の歴史に通底する価値観でも国家観や文明観でもありません。
日本全国津々浦々、大小の神社が栄えに栄えることに何らの疑念もなかった昭和20年代に国民の文化的
統合のために象徴天皇制を利用したのですが、今は日本全国どの地域も人口減少は災害級であり、神社を
維持出来ない状況です。このような環境変化がありますが、日本国は古来から立憲天皇制だったような
ことを考えている人も多数ですが、違います。立憲主義であり、仏法に基づく憲政が始まりでした。
「天皇を中心とする神の国」という考え方と在り方は「構造と破壊」を爆出させることを歴史から学んだ。
映画やテレビドラマの脚本を思わせる憲法を原因として、国民は自分では認知し難い甚大な災害を被り、
ごまかしの憲法と政治や行政によって国民が被る最大の災害が「善良な人がほとんどいない国」なのです。
「嫌な国になった」司馬遼太郎(1923ー1996)
賢明に、そして、ゆっくりと Wisely and slow;they stumble that run fast.William Shakespeare