潮風の囁き

日常での流れにおいて思うこと・感じたこと。
短文でも伝わる自分の閃きをブログにて…

時は流れ…田舎での日々を振り返る

2013-05-15 23:55:42 | 日記
先日、近くの江戸川に出掛けて長閑な水面と土手を眺めていた。

そこに見えたのは、昔の思い出が蘇る光景‥
…………………………

数年前、福岡にある田舎の家(父の実家)に行った折のこと。
長年、家長であった祖父が亡くなったのを機に家宅を建て替えたようだった。


昔、花火をして遊んだ庭が小さくなっていた。
元々、「典型的な田舎らしいだだっ広い庭」というふうに印象的に思っていたのだが、建物を新しく増築したのと引き換えに敷地を圧迫してしまったらしい。

全面リフォームされた玄関内に入ると、
「対面型のキッチン.フローリングの居間.スクリーン風の超大型テレビ.四角い長足テーブルの横に並んだダイニングチェア…」
これが、本当にあの家か!?


咄嗟にタイムスリップする記憶‥
「靴履きの台所.掘り炬燵に座布団を囲んだ膳.お座敷に置かれたブラウン管テレビ…」の光景は一体どこにいったのか!?


様相がすっかり変わったものの、久々の卓での昼食。
とびきりのご馳走でもてなしてくれて、実際すごく美味しかった。
しかし、
子供の頃、お昼に毎日この場所で食べていたのは「椎茸入りの山盛り素麺に麦茶+蒸かしたじゃがいも」だったはずだ。
楽しかった、あまりにも楽しすぎた夏休みのイメージが強いんだよ。

かつて薪焚きの風呂に入り、窓の外からはカエルの大合唱がコダマしていたのを思い出した。

家から程近い筑後川で魚釣りをしながら、長閑な水面と土手を眺めていたっけな‥

…………………………
時代は昭和から平成へと移り変わり、そこに建つ家も住む人も世代が変わったということ。

いつまでも、同い年の少年のイメージだった従兄弟の顔は、いつしか立派な大人へと変貌していて、傍らには元気な子供たちがいる。

そう‥
それが現実なんダヨな。


改めて、帰り際に「大きくなった家と小さくなった庭」を見渡して、
井上陽水の唄「少年時代」が頭の中を過ぎった。

『青空に残された
私の心は夏模様 夢はつまり想い出の後先
夏祭り 宵かがり
胸の高なりにあわせて
八月は夢花火
私の心は夏模様』


遠い日の、あの夏、
田畑で元気に働いていた祖父や祖母‥
そして都会に移ってきた父はもう居ない。


自分の人生は自分で作るもの。
未来の幸せも自分次第。
しかし、その終焉は心の原点に還ることを望みたい……と、僕は昔から考えていた。
当たり前のことだが、過去や現在がなければ‥未来もないんだ。

まさに日本そのものが転換期を迎えようとしている今、常に新しい期待感と大切な想い出だけは失わないようにしたいんだよ。