朝日記200426 経済価値評価としてのエントロピーについてと今日の絵
昨年のいまごろ、書いたものです。 現代物理学の華でもある、プリゴジンなど非平衡動学的熱力学をこの一年レビューして 経済系へモデリングを模索してきました。 日暮れて道遠しですが、すこし眺望が利いてきましたので、そろそろまとめを執筆する段階です。そのために、この表題のメモを再度 掲載し、こちらの意識を整えることにしました。 問題を共有できれば、幸甚です。
きょうの絵は、森の祭りです。
徒然こと 価値評価としてエントロピー
敬愛する学校の先輩KY氏への手紙から
荒井康全2020/4/26
出典[i]
桜もおわっていまは八重の桜そして百花繚乱ですね。
上野にご一緒して、このあとメールで、KYさんからエントロピーと経済の命題を
いただきました。 ありがとうございました。
3万円の修理代の懸る車が、廃車解体市場で30万円で買い取るという
ときにその価値評価をどういう尺度で測れるか、エントロピーの概念
さらにその尺度(エントロピ生成)はそれに応えることが可能であるか。
まことに学問的にも奥行きのある命題で、ソクラテスのデーモンではありませんが
その瞬間から、それこそ立ち尽くして、思考の世界にはりこんでしまいました。
さすがに、よい質問であると脱帽しました。そして、それからこの命題が私を支配しています。
ちなみに私の研究課題は「システム思考における目的論構造と社会倫理について」ですが、課題の領域として近接しているので、個人的にも興味があります。
*先回友人のドイツの経済学者Carsten Herrmann-Pillath教授(Erhurt大学MaxWeber研究所)を引合いにだしましたが、彼の命題は、技術が進歩して自動車などのエネルギー効率が飛躍的に上がっているのに、なぜエネルギー消費量が減少しないのか、GDPは、なぜ大きくなり続けるのかという命題です。
*資本や労働そして、モノ(製品)は市場経済の論理のなかで有限量(経済流量)として、とり取り扱われ市場価値のメカニズムのなかで、動的(時間および空間上での)数量的な論理モデルのなかで、投入と効果について動向など日常的に世論をにぎやかにします。
彼によると、これが主流経済(Standard Economics)ですが、それでは、この主流の経済の枠組み(boundary line)はなにかというと、これまでいわゆる自然環境としてよばれているもので、エネルギーや資源は、その所有権が及ばないかぎりで自然環境から非有限量供与として(無尽蔵として)取り扱ってきました。 また、廃棄物や廃熱は、このboundaryの外への非有限量排出の受容体として(無尽受容として)考えられてきました。
*エネルギーの価格というのは、従ってまことに国際政治力学的にきまるようであり、あとは市場経済力学のメカニズムにのります。エネルギーの利用での効率を高かくして、製品原価を下げることで市場は競うことになります。技術進歩がそれに大いに貢献します。その中核は、機械的動力や電気・化学的動力です。ここでは、如何にエネルギーから動力(流れ)への変換効率を高くするかです。硬貨の裏表にたとえるならば、その裏側として損失量(流れ)つまりエントロピ流があります。技術者はその方策のために(摩擦損失など)むしろエントロピに着目することが多いとおもいます。(データ情報もエントロピーで蓄積されます)市場系では、要は有効エネルギーが如何なる形態と如何程の量かで、取引されますが、エントロピーはまずは技術改良や革新という形で技術専門者間にて論じられることになります。
*経済取引は基本的には価格と数量だけであり、それが社会として、あるいは国としての意味あるエネルギーの使い方かどうかは、不問にしています。(Millの原則としての各人の幸福感を充たせばそれ以上のことはひとます問わないことになります。もっともMillは、幸福の質を気にしてはいました)
結果として、経済的流れが増大すれば、仕事が増え、GDPが増え、皆が幸福に与かるいう論理となります。
*とはいえ現在のように、政府が中央銀行と一体となっているシステムでは、当然、財政投融資(福祉厚生、教育学術、国土交通整備、安全保障など)で、金融財務の経済量流が大きくさえあれば、力学的システム的に市場を活性化するとします。これからの利益があれば、課税で、目的インフラに還元していくことでよしとするものです。
*ところで最近、三橋貴明著「日本経済 2020年危機」を読みました。安倍政権は消費増税10%を先延ばしの理屈を見つけたいようです。 三橋氏の理屈は、政府と日銀はただ額面のおおきな債権発行をして、その多くがそのまま政府が買取りをしている部分であるという。形式的には財政赤字が増大するが、これは実質的に危険なものではないという。なぜなら、外国の所有の債権比率は小さいことと、日本は国内消費が中心の経済であるからであるという。この二つのことにより、財政赤字は深刻ではあるが、国にとって破滅的にはならない、ギリシャやスペインなどと異なるという主張です。しかし、私は思い出しました。両親が戦時国債を息子の学費のために買ってそれが戦争に負けて、実質蒸発してしまったことです。結局、日本国民が戦時国債を買い、戦勝を信じているようなもので、ある日、政府が「負けました」と宣言すれば、国民の財産が一気に蒸発することになります。さすがに安倍政権はそうは言えないが(言えばその時点で「敗戦」です)、安倍さんはどうも三橋氏の理屈を使いたい、信じたいようにうかがえます。
債券を発行して市場を通過せず、政府―市中銀行-日銀(-政府)に経済流と実際に市場に回っている経済流との比率を、非有効(経済量)と有効(経済流量)として 金融熱力学的に金融の質を評価する理屈があってもよいようにおもっています。これを三橋氏は触れていない。唯、資金量といういわば経済エネルギー流量の構造収支にのみ言及していて、
質つまりエントロピー流に相当するところに気が付いていないのではないかと思います。
国民に日本をよくするという気概がなく、ただ目的もなく消費に呆ける事態に警鐘をあたえることもない鈍感な状態を見ます。
それについての議論をここでは控えますが、発想としてあるべきであるとおもいます。
*とはいえ、主流経済学は、基本的にエネルギー量と価格の世界でうごいていうるとみます。 (Millの言う幸福の質の論理は歴史的にはどうなったか。John Rawlsの最大格差補償か。)
エントロピーが経済学として表だって登場するのは、エネルギーの排出受容体である自然環境系が、非無限(つまり有限)であることに人類が気づきはじめたことによります。
大発電所や都市からの排出エネルギーは、地球圏で拡散してしまえば希釈され、巡り巡っての影響がないとみることに、科学的根拠あるのか、ないのかに目下論議中にあると言っておきます。しかし、人間叡智としては、学問としてもしっかり取り組む意味と必要があります。
*経済学で、この視点にいるのがHerrmann Pillathらが立つ「エコロジー経済学(Ecology Economics)」です。主流経済(市場経済)での排出エネルギー流は、自然環境系(エコロジー系)の入力流であり、出力はどこにいくのか。 これが人間生活圏や自然環境系を通過して、もう一つの入力である太陽エネルギー系の炭酸同化作用で吸収・再生・分解できる経済システムとして成り立ちうることを考えることでもあります。
主流経済系とエコロジー経済系は、双対(dual system)としてのみ意味があり、その意味で主流経済系へのエネルギー流は量的にも質的にも制約条件として、これまでより強い制約を受容することになるべきこと。
*人間生活の内容の価値が、この構造のなかで当然に変革を受けることになる。この価値は、エントロピ流(または循環再生自由エネルギー流)で定量尺度化されることになる。
たとえば、とことん高価な高級なホテル、世界の珍味を集めたグルメなど TVで見よがしに見せてくれる消費に質について、ひとこと語りたいひとは多いのではないであろうか。これが、小生が気の付いたエントロピーと経済学です。
*ピラースの著:
Herrmann Pillathは650ページ余にわたる彼の以下の経済学の著を送ってきていました。;
Carsten Herrmann-Pillath; Foudation of Economic Evolution ~A Treatise on the Natural Philosophy of Economicx
Published by Edward Elgar Publishing Limited, UK. 2013 ISBN 978 1 84720 474 5
(研究するもののために、ネットで無料でよむことができます。ご希望の方は荒井までご連絡ください)
なお、以下が、関連記事ですので ご覧ください。
朝日記190219 ドイツ・エコロジー経済学ヘルマン・ピラース教授の手紙と今日の絵
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/c/6f618dbf6d7fb964388f005f6c7a71a0
*KYさんの三万円の修理費と三十万円の解体市場の問題について、
実務的に役にたつ答案はまだ用意していません。
異なる効用の選択、つまり手段効用か収入効用かの選択です。
これも懐が豊か(affordance)があるひとは、二者択一でなく、portfolio的に
選択する問題でもあり、単なる取引問題になります。
*もっとも、自動車という組み立て製品のもつ価値が、経年劣化して
その効用が、部材だけに解体した部品群あるいは素材分よりも
経済価値が下がるというのは、異常なことですね。
*どういう経済世界が考えられるでしょうか。
戦時中に贅沢は敵とされ、飛行機や軍艦のための材料を統制価格で流通する世界か。
低開発国で、自動車の自己消費のインフラがない状況の経済か。
さまざまな思考の刺激を感じます。
*再度振り返って、Pillathのstandard-ecology dual market economyでは
KY命題は登場し得るかもしれません。
*荒井君は、Pillathの経済学をどう評価するのかということ、つまり態度の
問題がのこります。
彼はおもしろい例を挙げています。人間はなぜ、カウンタック・ランボルギニやカルマンギアのような最高速車を買って、なお市中の速度制限の場で運転するのか。
彼の経済理論は、結局、広い意味の進化論の支配を受けるというものです。
その中心は、非平衡エントロピー理論(エントロピー流がある状態の場)で
特に自己触媒化学とつながって論を展開します。(文系の人の科学知識ですこしかったるいところはありますが、言わんとするところは的確に突いています)
そのなかで、エントロピー流理論の構成は二つであり
ひとつは、エネルギーや情報は拡散していって空間的に平準化される。(社会全体がある平均的共存系になる)
ひとつは、エネルギーを生存保持のために使う、エネルギー使用は最強集中的な差別化される(防衛の最新軍備は、最強のエネルギー発揮の設計となる)
換言すれば、賢者に従うか、強者に従うかです。
今日の答えは、両方の組みあわせで、それを支配する賢者をよしとするところでしょうか。
書き下しで、雑駁ですが、KYさんからの期末試験への答案とします。
以上。
[i]出典 荒井康全
朝日記19421 三万円の修理代の車が、廃車解体市場が三十万円で買い取る、その価値評価としてエントロピーについてと今日の絵
2019-04-21 18:21:25 | 社会システム科学
https://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/958d4e161b242b17bc50cb67baa003c9
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