アセンション アシスト ASーAS

地球とは、本当はどういう所でしょうか、情報を集め、知っていくページです。

虚心というツール

2019年06月23日 | 雑感

虚心という言葉があります。

虚心坦懐とかですね、難しい言葉もありますが、空虚という言葉もあります。

「空虚」は、わりと分かりやすいですね。空(むな)しい、虚(むな)しい、と、同じような意味の文字が並んで、いかにも空っぽな感じがしますが、これは、一般に、ちょっとネガティブな意味に使われているような気がします。

では、「虚心」は、どうでしょうか。直訳的に考えれば、心が虚しい、ということでしょうけれども、それほどネガティブな感じはしません。虚心に物事に取り組む、と言えば、予断や雑念を持たないで、意識を集中させるという意味合いになるのではないでしょうか。「虚しい」というのは、「無為(むな)しい」の意味ではないか、などと思われます。つまり、無と為す、無にする、中に入っているものを、出してしまって空っぽにする、ということの形容詞ですね。

で、何の為にそうするのか? 虚心、心の中に入っているものを空っぽにする、というのは、どういうことなのか、という事なんですが、私には、経験上、これが、とてもよく分かる気がするんです。

といいますのは、私自身、このことに、ずっと幼い頃から悩まされて来たからなんです。

例えば、兄弟ですが、私には兄たちがいますが、彼らは、とにかく威張っている。もう、幼い頃からお兄ちゃんの言うことは絶対なわけです。幼い兄弟です。その兄貴が「兄」の権限を振りかざしているわけですね。で、少し考えれば分かるはずのことですが、幼い、兄の権力?権限?そんなものは、社会的に見ても、家族の中で見ても、どれ程のものがあるというのでしょうか?同じ家に、何年か先に生まれたことが、それほどの絶対的な差異なのでしょうか?ところが、彼ら兄たちにとっては、それが、金科玉条のような絶対的な物事の基準になるようなんです。

そして、これは、社会においても、学校などにおいても同じ様なことが結構ありますね。年齢、会社や学校などの先輩後輩。男女の差異。そうした場所場所によっていろんな違いはありますが、とにかく差異を気にして、立場の上下をつけ、上とされる立場の者が優位性を享受する、そういう事があろうかと思います。

で、そういう事が、私たちの人生に、どういう影響をもたらして来るか、という事なんですが、これは、ひと言で言いますと、お互いの「進歩を妨げる」ということに尽きようかと思います。

例えば、先ほどの兄弟の例で言いますと、兄は、その立場というものにこだわる余りに、弟から決して何事をも学ぼうとはせず、何か有益な、例えば、弟だけが持っている情報とか、スキルとか、何かそういうことも、それなりにあると思いますが、そういうことを共有して、お互いの為に活かして共に進歩していこうという姿勢が全くない、という事なんです。

まず、世間話レベルのことさえ成立しないほどだという事です。兄弟縁戚が集まった時に、私が何気ない世間話などをすると、弟のくせに黙っていろ、のような感じで、苦々しそうなふうにしている感じが伝わって来ます。先のいわゆる法事の時など、何と私の会食の席は、襖の陰にしてあったくらいです。まあ、いかに彼らが自分の「兄」の立場にこだわっているか、ということの表れなわけです。

これは、大なり小なり、どこにでもある事でしょうけれども、世の中には、こうした立場というものを気にする人が、あまりにも多いように思います。そして、その結果、何が起こって来るかと言えば、やはり物事の進歩の停滞なんです。

下請け会社を下に見ている「上」の会社が、下請けが優れたテクノロジーを開発した時に、それを高く評価して共有し、自らもそれを受け入れ、進歩していくという姿勢があるのかどうか、ということですね。それがないと進歩ということが限られてくるわけです。

先立って帰省した折に、私は、実家の家の台所に元からあって今は床下に閉じられている井戸の、汲出し用のポンプが、妙に頻繁に起動しているのに気が付いたんです。そして、母にも、それを指摘して、井戸の覆いを取り外して見ると、果たせるかな、ポンプのタンクに穴が開いて、床下が水浸しになっておりました。私がポンプの交換の工事までして、費用も最小限に収まったということがありました。

実は、母は、そうした工事業者のような仕事を、ちょっと見下している所があって、息子の私がそうしたことをするのを嫌がっていた部分があるのですが、その時ばかりは助かったという思いがあったようで、私も面目を施したということがありました。私はプロではありませんが、そうしたことを自分でやることには、興味がある人なんです。私が仕事の地位立場というものにこだわっていたら、そういう事はしないでしょう。

その、見下している部分というのが、ここまで言って来ました、立場の上下、のことになるのではないでしょうか。自分の立場が、ある人よりも「上」だと見る人は「下」の仕事は、その見下した人にさせるわけです。反対に言うと、そういう人は、自分が「上」だと見る仕事を、自分が見下している人にされたくない、ということになるわけです。自分の後輩や自分より学歴の低い人が、先に昇進して上役になると、面目が立たないと思うようなことと、同じような感覚ではないでしょうか。

さて、「虚心」について、ですが、何を心から除いて、心を空っぽにするかと言いますと、こうした、上だ下だ、地位だ何だ、何が貴い賤しい、優劣、そうした差異の感覚、思い、それを心から取り除く、ということだと、私は思うわけです。それは、この世に出てから植え付けられた価値観だから、という事なんです。エネルギー体(霊)としての本来の意識体には、そうしたものはなく、それがエネルギーの重りになっているということなんです。

社会的な価値観といいますか、差異感覚、そうしたものを意識から取り除くと、自分の本来の望みに、真っ直ぐ、素直に向かって行ける、そうすると、心が非常に軽くなる、そのように思いますが、いかがでしょうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿