先日の、太陽、恒星意識である、聖アントニウスさまのメッセージ、いかがだったでしょうか。
それは、私には、わりと、すんなりと受け入れてしまえるものでした。もし、太陽という存在の方が居られるならば、まさに、そう考え、そういう意識でおられるのではないだろうか、と思える内容だということなんです。
今の私たちの社会では、地球のように文明を持つ惑星は他にはないだろう、などと思わされていますが、実際には存在するということで、まず、そのことを意識に上らせる必要があります。
それは、私には、わりと、すんなりと受け入れてしまえるものでした。もし、太陽という存在の方が居られるならば、まさに、そう考え、そういう意識でおられるのではないだろうか、と思える内容だということなんです。
今の私たちの社会では、地球のように文明を持つ惑星は他にはないだろう、などと思わされていますが、実際には存在するということで、まず、そのことを意識に上らせる必要があります。
そうすれば、宇宙の、より進化したと言われる惑星、極限まで進歩した文明、そうした世界がどういうものなのか、どういう状態なのか、そういう事を考える道が意識の中に開かれることでしょう。
そうしますと、それに比較して、私たちの世界、社会の在り方が、もっとどんなふうだったらいいのか、それを具体的に考えることが出来るようになります。そうなりますと、その例といいますか、ひな型といいますか、そうしたものを求め、それによって、その在り方をイメージして行くことが出来るでしょう。
で、地球の人類の未来が、いったい、どの様であればいいのか、そのことを考えさせてくれる例が全くないか、と言えば、実は、そうしたものは多くあります。それは、これまでに、本になっていろいろと出版されて来ているわけです。それが、どういう本かというと「他の惑星に行って来た」というような、まるでSF、空想科学小説みたいな本なんです。
宇宙人アミのお話を読まれた方は、多いと思います。あの本の中には、小説の形を借りて、地球の未来を考えさせる話題がいろいろと出てきますね。ああいう本は、他にも、いろいろとあります。
実際に進化した惑星に行って来たという人々が、その体験を本に書かれて、そうした本がいろいろと出版されております。そうしたものを読んでみると、文明というものの在り方、進歩した未来の世界というもの、それが、いろいろと具体的にそこに示されていて、自分たちの問題として考えてみれば、地球の社会が、もっとどうであればいいのか、そういう思いが出てくると思います。
さて、タイトルの「ルール社会」ということについてです。私たちの考える「ルール」や「決まり」そして「法律」ですが、それは本当に必然的に必要なものなのでしょうか。
私たちは、同じような考えを持つものが集まり、同じようにものごとを考えることを「善」とし、それに背く、あるいは同調しないものを「悪」とし、排斥する傾向があります。今の社会では、ルールや決まり、法律を守りましょう、とはよく言われることで、ルールを守ることは良いことで、ルールを守る人は良い人、正しい人という観念があります。それに対して、ルールを守らない人は、ほぼ自動的にいけない人、良くない人、もっと言えば無法者、そんな風にとらえがちなのではないでしょうか。
法律、ルールとは何でしょうか。これは、異論もおありかも知れませんが、「制限」なんですね。物事の許容範囲を決め、守らせることによる意識に対する「制限」、つまり認識を狭める、許容範囲を限定する為のトリックなわけです。
例えば、法律というもので、私たちに「認め」られている「権利」というものがありますが、私たちは、この法律が与えてくれる自分たちの「権利」というものを、法律あっての有り難いもので、それなしでは自分の権利は守れない、権利など存在し得ないかのように思っているフシがあります。
けれども、それって、逆に、自分たちの権利を制限させられているだけではありませんか?
例えば、土地の所有権というものがあります。この権利があるお陰で、私たちは自分の土地が持てる、と思っております。けれどもそれは、逆に、自分に権利が認められた土地以外の土地の権利を、自分から切り離して手放してしまうという事ではありませんか?
その「所有権」ゆえに、自分以外の人の「所有」する土地、権利には、手出しも通行も何も出来ない、その制限を受け入れざるを得ない窮屈な状況に却って嵌められ規制されてしまっているという事なんです。他の国の土地ヘ行く為に、どれだけの面倒な手続きが必要でしょうか?
これは何かの「物」でも同じです。財産権とかですね、自動車などの所有もですが、自分が所有しているはずの物なのに、なぜ税金という、言わば権利金を支払わなければならないのか、疑問には思いませんか?
所有などという観念は、単にそう思わされているだけで、あらゆるものは、実は単に一時的に占有しているだけで、本来は、そうした権利は必要ないのではないでしょうか。必要な間だけ無償で借りられれば、それでいいことなんです。幻想である所有権というものを得る為に、私たちは、どれ程の人生の時間を空費していることでしょうか。
「宇宙の法」については、既に触れました。これは、宇宙では、宇宙の全ての存在に対する、無制限の自由が認められているというものでした。つまり私たちは、宇宙的な観点からすれば、本来ならば、無制限の権利を認められているという事と同じでしょう。言わば、宇宙は、全てが私たち自身のものなわけです。宇宙自体が私たち自身なわけですから。
そうしますと、それに比較して、私たちの世界、社会の在り方が、もっとどんなふうだったらいいのか、それを具体的に考えることが出来るようになります。そうなりますと、その例といいますか、ひな型といいますか、そうしたものを求め、それによって、その在り方をイメージして行くことが出来るでしょう。
で、地球の人類の未来が、いったい、どの様であればいいのか、そのことを考えさせてくれる例が全くないか、と言えば、実は、そうしたものは多くあります。それは、これまでに、本になっていろいろと出版されて来ているわけです。それが、どういう本かというと「他の惑星に行って来た」というような、まるでSF、空想科学小説みたいな本なんです。
宇宙人アミのお話を読まれた方は、多いと思います。あの本の中には、小説の形を借りて、地球の未来を考えさせる話題がいろいろと出てきますね。ああいう本は、他にも、いろいろとあります。
実際に進化した惑星に行って来たという人々が、その体験を本に書かれて、そうした本がいろいろと出版されております。そうしたものを読んでみると、文明というものの在り方、進歩した未来の世界というもの、それが、いろいろと具体的にそこに示されていて、自分たちの問題として考えてみれば、地球の社会が、もっとどうであればいいのか、そういう思いが出てくると思います。
さて、タイトルの「ルール社会」ということについてです。私たちの考える「ルール」や「決まり」そして「法律」ですが、それは本当に必然的に必要なものなのでしょうか。
私たちは、同じような考えを持つものが集まり、同じようにものごとを考えることを「善」とし、それに背く、あるいは同調しないものを「悪」とし、排斥する傾向があります。今の社会では、ルールや決まり、法律を守りましょう、とはよく言われることで、ルールを守ることは良いことで、ルールを守る人は良い人、正しい人という観念があります。それに対して、ルールを守らない人は、ほぼ自動的にいけない人、良くない人、もっと言えば無法者、そんな風にとらえがちなのではないでしょうか。
法律、ルールとは何でしょうか。これは、異論もおありかも知れませんが、「制限」なんですね。物事の許容範囲を決め、守らせることによる意識に対する「制限」、つまり認識を狭める、許容範囲を限定する為のトリックなわけです。
例えば、法律というもので、私たちに「認め」られている「権利」というものがありますが、私たちは、この法律が与えてくれる自分たちの「権利」というものを、法律あっての有り難いもので、それなしでは自分の権利は守れない、権利など存在し得ないかのように思っているフシがあります。
けれども、それって、逆に、自分たちの権利を制限させられているだけではありませんか?
例えば、土地の所有権というものがあります。この権利があるお陰で、私たちは自分の土地が持てる、と思っております。けれどもそれは、逆に、自分に権利が認められた土地以外の土地の権利を、自分から切り離して手放してしまうという事ではありませんか?
その「所有権」ゆえに、自分以外の人の「所有」する土地、権利には、手出しも通行も何も出来ない、その制限を受け入れざるを得ない窮屈な状況に却って嵌められ規制されてしまっているという事なんです。他の国の土地ヘ行く為に、どれだけの面倒な手続きが必要でしょうか?
これは何かの「物」でも同じです。財産権とかですね、自動車などの所有もですが、自分が所有しているはずの物なのに、なぜ税金という、言わば権利金を支払わなければならないのか、疑問には思いませんか?
所有などという観念は、単にそう思わされているだけで、あらゆるものは、実は単に一時的に占有しているだけで、本来は、そうした権利は必要ないのではないでしょうか。必要な間だけ無償で借りられれば、それでいいことなんです。幻想である所有権というものを得る為に、私たちは、どれ程の人生の時間を空費していることでしょうか。
「宇宙の法」については、既に触れました。これは、宇宙では、宇宙の全ての存在に対する、無制限の自由が認められているというものでした。つまり私たちは、宇宙的な観点からすれば、本来ならば、無制限の権利を認められているという事と同じでしょう。言わば、宇宙は、全てが私たち自身のものなわけです。宇宙自体が私たち自身なわけですから。
ということで、本来、私たちは、既に、全てにオールマイティな権利を持っている、全てを共有しているという事なんです。本来ならば、それで全てが、こと足りるはずなんです。逆にそういう前提の下に、どうやって、そうした土地や資源などの利用を分配していくか、その事を決めて行けばいいことなんです。
ですから、地球の法律のようなものによって、自分たちの極めて制限された権利を受け入れてしまっているということは、まさに自縄自縛で、本来からすれば、全くの不当な奇態なことなわけです。それによって自分たちで自分たちを制限し合い、進化を妨げ合っている。宇宙の方々は、チャネラーを通したメッセージで、その事に気付けよと促されているということですね。
ですから、地球の法律のようなものによって、自分たちの極めて制限された権利を受け入れてしまっているということは、まさに自縄自縛で、本来からすれば、全くの不当な奇態なことなわけです。それによって自分たちで自分たちを制限し合い、進化を妨げ合っている。宇宙の方々は、チャネラーを通したメッセージで、その事に気付けよと促されているということですね。
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