6月5日(月)の月。
少し涙で滲んだような、
綺麗な月だった。
21:35、
父は永眠致しました。
享年76歳。
生まれ育った景色が、
良く見渡せる病院にて、
息を引き取りました。
もうそろそろ危ないよ
と連絡を受け、
病院に駆け付けたのは6/1(木)。
かなり呼吸が辛そうで、
意識がないかと思ったら、
まだしっかりあって、
何かしゃべろうと一生懸命だった。
私と母が
「そろそろ時間だから、もう帰るね」
と言ったら、
泣き出してしまい・・・
また明日も来るからと約束して、
帰ってきました。
6/2(金)もまた病院から連絡があり、
慌てて病院に駆け付ける。
前日と同じくまだ意識はあり、
一緒に行った姉が話しかけると、
うなづいて、
一生懸命、しゃべろうとしていた。
6/3(土)から、
短時間だけだけど、
自由に面会しても良いと許可がおり、
午後から母と行くと、
他の面会の人と重なり、
2人ずつ病室に入って行った。
母と私が入って行ったときは、
ちょっとぐったりしてて、
くたびれた様子で、
あんまり反応は無かった。
6/4(日)
39.6℃ぐらいの高熱が出ていた。
一時間ぐらい、
室内に居させてもらって、
ずっと声掛けするも、
意識なく全く反応なし。
このまま昏睡に入ったか?
6/5(月)
19:00頃から母と一緒に面会。
父、目がパッチリ開いていた。
「仕事が終わったから来たよ~」
と言ったら、
声は出なくとも、
口は
「ほうか、ほうか(そうか、そうか)」
と動いている。
意識ハッキリあるやん。
そうこうしてると、
看護師さんが飛んできた。
痰が絡んで、酸素が回っていないと。
そして痰吸入してもらい、
その後は、
めちゃくちゃスッキリした顔をしていた。
呼吸も穏やかになり、
楽になったのかウトウトし始めたので、
19:30に病室を後にした。
そして、21:00に急変したと連絡が入り、
病院に駆け付けた時には、もう・・・
さっき会って話をしたばかりなのに。
あれは、
母と私を待っていたとしか思えなかった。
父は大らかで陽気な人だった。
この似顔絵、
父の特徴をよく掴んでいます。
(姉の知り合いが描いて下さったと)
お酒好きの人だった。
私たち子供は怒られたという記憶は、
ほとんど無い。
子供の頃、
ギターで弾き歌いを良くしてくれたなぁ~~~
ケメコの歌をケメコを私たちの名前に変えて、
歌ってくれた。
何度、リピートしたことか・・・
お風呂でもなんだか変な歌を歌いながら、
洗ってくれたし。
仕事してる間は、
ラジオを聴きながら、
口笛をし、加工してたし。
私が歌好きなのは、
お父の影響かもしれないね。
と日にちが経つと、
良い事しか思い出せないのが不思議。
お父と過ごしたGWは、
絶対に忘れないよ。
ナンプレがとにかく好きだった。
デイサービスに通うのも好きだった。
野球・クイズ番組・バラエティ番組を観るのが好きだった。
6/7(水)、
葬儀を滞りなく無事に終えることが出来ました。
これまでのご厚情に
心から御礼を申し上げます。