この8月で誕生日を迎え、90への上り坂を登る齢となり、加えて一昨年夏の右膝に続き今年の1月には左膝半月板の手術をうけた。家の中とか近所の散歩程度は歩けるが、四方山に囲まれた甲府盆地に住みながら山歩きは諦めざるを得ない状態です。
その山梨県内や関東周辺の上ったことがある山々については書いたが、最後にその他の地域の記録について書き留めておきたい。
【東北編】
会津磐梯山(1818.8m)
1回目=1957年8月、職場の先輩と2人で。猪苗代町のバス終点から登り、北側に下りて五色沼を散策、檜原湖畔のビヤ樽ロッジに泊まる。
2回目=その数年後、代田教会青年会の一行と上りは前回と同じルート。北側に下りて曽原湖畔にて自炊の1泊キャンプを楽しむ。
東北主稜縦走・八甲田大岳(1584.6m)、八幡平縦走~秋田乳頭山(1477.5m)
=1959年8月、同じ下宿先の東大生との2人旅。
上野から夜行急行列車で青森へ、同行者は遅れて次の列車に乗るとの電報を車掌から受ける。青森駅でドッキングできたが、彼は卒論の整理があるとかで蔦温泉へ先行。私は国鉄バスの酸ヶ湯で別れ、単独で八甲田大岳へ上る。蔦温泉で再び合流し大町桂月の墓などを散策。
翌日も国鉄バスの休屋乗り継ぎで十和田南へ。国鉄花輪線を陸中花輪まで、バスで終点玉川温泉に行くも宿は満員でトロコ温泉まで引き返し御生掛温泉まで歩いてオンドル式宿舎に泊まる。
翌日は尾根伝いに蒸ノ湯を覗いて八幡平山頂(1613.6m)から南への尾根歩きを続け、モッコ岳(1577.8m)、諸檜岳(1516m)、険阻森(1448.2m)、大深岳(1541.5m)、三石山(1466m)へと小さなピークを縦走して滝ノ上温泉(鳴声の滝)まで約8キロ歩く。
翌日は烏帽子岳(秋田乳頭山1477.5m)を越えて乳頭温泉郷を片目に蟹湯バス停から秋北バスで国鉄生保内駅へ。大曲から国鉄奥羽本線の夜行急行列車で上野へ帰京。
早池峰山(1917m) =1983年7月、もどき会有志。
盛岡市内でわんこそばを楽しんでから雨の降るなかを登る。その日は網張温泉まで足を延ばして泊まる。翌日はリフトで岩手山の西に続く尾根まで訪れたが、相変わらずの曇天なので途中から引き返す。
【その他の地方】
霧ヶ峰・車山(1925m) =夫婦2人ずれ
駐車場からリフトを乗り継いで山頂へ、気象レーダー観測所は見学できず。下りは草原の散策を楽しみながら駐車場へ戻る。
加賀・白山(2702.2m) =もどき会。
北陸鉄道の終点(当時)白山下からバスで終点へ。雨の中を山頂手前の山小屋に泊まる。同行していた息子(中学生)は同行の高校生と2人で頂上まで往復したが、大人たちは小屋で乾杯?
白馬岳(2932.2m) =もどき会
栂池から白馬乗鞍岳(2436.7m)脇の大池山荘に泊り、小蓮華岳(2768.9m)から白馬山頂へ。大雪渓を下りたが当方は途中で足がガクガク、先に下りてしまった同行の娘(中学生)が心配してリーダーと一緒に引き返しザックを預けることに。八方の民宿に泊まって体の痛みを癒し、翌日帰宅する。
乗鞍岳 =1982年5月、もどき会。
積雪多く位ヶ原山荘(冷泉小屋?)に泊り、翌日は雪渓遊びを楽しんだだけで下山した。
戸隠・飯縄山 =1985年10月、もどき会。
戸隠山荘に1泊、翌日に登り、その日のうちに帰京。
谷川岳(1963m) =勤め先のゴルフ愛好家たちと谷川保養所に1泊。
同行者と2人、翌日ロープウェイに乗ってから山頂を目指す。幼稚園の遠足組など登山道は大賑わい。戻りは下山者の混雑を避けて三又に下りたが、途中で真っ暗に。谷川沿いの道は前の台風の影響で河原が荒れて夜道は危険、途中でビバークを決めた。夜中に同宿の仲間が心配して探し回り、発見されて懐中電灯の明かりを頼りに保養所へ戻れた。
仲間の皆さんに迷惑をかけてしまい、翌日のゴルフは遠慮して二人だけで帰京した。
この時以来、山歩きはしていない。
【スイス編】
スイス・ユングフラウヨッホ(登山電車終点駅 3454m)
=1993年6月、定年を2カ月前にして年休消化を含めての夫婦2人旅。主な目的はスイス国内の登山鉄道に乗る旅だが、高い山を訪れた思い出にこの項で記録をメモしておきたい。
クライネ・シャイデックからユングフラウ鉄道で山頂駅へ、ほとんどが山腹を掘りぬいたトンネルだが、天気も良くてアレッチ氷河など見渡せた。クライネ・シャイデックからグルンドへの下りは、首の鐘を鳴らしながら近づいてくる牛に追われながら途中駅まで牧場をのんびりと歩いた。
ピッツネイル(3056m) =ゼルマットでは雲に隠れがちなマッターホルン(4478m)を宿から眺めただけで、ブリーグから氷河急行を乗り通してサンモリッツまで。
翌日は町はずれの駅からケーブルカーを乗り継いでコルヴィリアへ。ロープウェイでピッツネイル山頂駅(3030m)へ。少し歩いて山頂へ(3056m)、イスラエルから来られたという老人と3人だけ。写真を撮り彼の住所も聞いたので帰国後に送ったのだが、返事はなかった。着いたのかどうか。
ロープウェイで下りたコルヴィリアからケーブルカーを乗り継ぐ駅チャンタレッラまで高山植物の咲くお花畑を散策、野の花が好きな妻も満足気味だった。
= 思い出の山々・終わり =
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