8年ぶりの中国。
今までは、海に近い、香港、広州、深セン、とか北京だったが、今回は内陸の都市に行ってきた。
西安は、シルクロードの東側の起点。旧市街を3kmx4kmで囲む城壁が圧巻。
44年前に農民がたまたま見つけた「兵馬俑」。掘り起こして1号館、2号館、3号館と保存されているが、まだ発掘されそう。
桂林は、以前から気になっていて行きたかったところ。昔は、中国ツアーの花形だったが、今は、黄山や武陵源も加わった。
兵馬俑
城壁と西の城門
鐘楼
桂林
遊覧船で漓江を川下り。奇峰を見ながら4時間の船旅
陽朔 の街並み
西安雑感
1.飛行機に搭乗の際のチェックは厳しい
バッテリー類をスーツケースに入れてチェックインすることはできない。手荷物に入れておかなければならない。電気カミソリ、タブレットは手荷物に入れた。
2.外食チェーン店
ケンタッキー・フライド・チキンとスターバックスは、目についた。
3.電動オートバイ
充電式のオートバイが横行。一見、ガソリンで走るオートバイと区別がつきにくい。電動オートバイは免許不要だから人気があるし、ヘルメットも不要。日本製はない。
4.マンションにはテラスがない
今回気が付いたが、中国のマンションには、テラスがあるものは殆ど見ない。「殆ど」と言ったのは、絶対ないとももって探していたらテラスのあるマンションも見たので。。
テラスがないのは防犯上もあるのかな。テラスがあっても多くは前面に網や格子が張ってあった。
5.内陸に行っても、人は多い
西安は昔は長安といっていて古い町だが、人の多い大きな都市だ。
桂林は、それよりこじんまりしていたが、広大な空き地に、新しい都市づくりが始まっていた。
以上
ミャンマーに行ってきました。
アジア12か国を見てきた旅行は、今回で一旦終わりにするつもり。
ミャンマーに行くには、先ずビザが必要。ネットでは申請できないと思って、旅行会社に頼んだが、一緒になった海外旅行の達人(女性)から、NETで申請できると聞いて驚いた。
いつものように、旅行していて気が付いたことを以下に挙げます。
1.青い屋根
ヤンゴン空港に来る手前、上から家並みを見ると、なぜか青い屋根が目立った。
2.ヤンゴンにはバイクがない。バカンでは結構走っている。
バゴーでも、バイクは結構走っていたが、どこで規制されていたのか、ヤンゴンの町に来るといつの間にかなくなっていた。
バイクは中国製なのか、日本製はほとんど見なかった。バイクのナンバープレートは「ミャンマー語」だった。
3.車は右側通行。だが、車は日本車の中古車が殆どのため、右ハンドルが多い。バスの扉が左側にあって、車道がわで乗降するので危険に思えた。
車体に日本名の名前が書かれたトラックやマイクロバスが見られる。
4.トヨタ車 90%
日本車の殆どが、トヨタ車。
今後、中古車輸入の規制が入って、新車が増えるらしい。
5.自転車は走っているが少ない。日本以下。
自転車は、たまに見かけたが少ない。暑くて漕ぐのが大変なのだろう。
6.オートバイのヘルメット着用は義務らしいが、ほとんどつけていない。
7.運転マナーはよくない。
車優先。追い抜きは頻繁。オートバイがセンター寄りを走るので危ない。譲り合いはしない。
8.トゥクトゥクはない。
と思っていたが、写真を整理していたら、3輪車が写っていた。でもタイやスリランカとは違って、車体が大きい。
9.トラックの荷台で乗り合い。
10.渋滞が多い
ヤンゴンでは、いたるところで渋滞。
11.電柱は四角柱と円柱と併用
スリランカで見られた、4角柱電信柱はここでもあった。
12.修復中の寺院が多い。地震で壊れた。
バカンの遺跡では、多くの寺院、仏塔(バゴダ)が修復していた。地震で壊れたそうだ。
13.電飾仏像
夜、見学すると仏像の後背を電飾でキラキラさせている。日本人にはどうしても違和感がある。でもこれがいいのだという。
14.顔のペインティング(タナカ)
女性の顔に白く塗る。年寄りも若者も塗っていた。独特の化粧だというが、最初は奇妙に見えたが、そのうち慣れた。
15.ロンジー
女性は足を見せないように、腰巻(ロンジー)をしている。
16.「お兄さんかっこいい」は定番
景勝地での売り子は、どこにもいた。若い10代の女子が多い。中にはかわいい娘もいた。「かわいいね」と言ったら、「お兄さんカッコいい」と返ってきた。ここで気をよくしてはいけない。そのあとどこに行っても、この日本語を言ってきた。
17.写真撮影
どこでも、写真撮影はOKだった。昨年行ったスリランカでは、釈迦像をバックに人物写真を撮ってはいけないと固く禁じられた。
18.寺院、バゴダに入るときは必ず裸足。
靴下を脱いで裸足になったのは、ミャンマーだけ。スリランカでは、靴は脱いだが、靴下はOK。インドのタージマハルは、靴カバーだった。日中は、石畳が熱く、足の裏がやけどになりそうだった。
この寺院は、床が石だらけだったので、交渉の末、スリッパで歩いた。
盗石の跡
19.釈迦像は、どう見ても女性に見えた。
20.スコール
6月になって雨季の始まりだったため、スコールにあった。たまたま移動中のバスの中だったため、旅行中傘をさすことはなかった。
21.マンションの窓から紐が下がっている
5階建てであっても、エレベータはない。新聞など受け取る場合は、井戸の釣瓶のように、一階まで下したバケツに物を入れてもらって、引き上げる。合理的だ。
22.ミャンマーの食事
正直、あまりおいしくなかった。
ただ朝食のバイキングは、いつもと同じでまあまあ。
サムネイル
以上
mixiより転記加筆
「アーユボーワン」
スリランカに一週間滞在した。
今年の旅行先はどこにしようかいろいろ迷ったが、アジアで比較的安全なスリランカにした。しかし、6年前まで人種間での内戦があったと後から気が付いた。
学校の地理では、セイロンで学んだが、イギリス統治から独立した45年前に、昔の呼び名のスリランカに変わった。でもセイロン紅茶など、一部で名前が残っている。
手続き(ETA)
スリランカの入国には、ビザ(ETA)が必要だ。旅行代理店に頼むと手数料に4,000円以上かかるというので、Web(http://www.eta.gov.lk/slvisa/visainfo/center.jsp?locale=ja_JP)から申請した。$35クレジットで支払うことになる。操作は難しくない。処理後、1週間ほどしたら、クレジットから落とされていた。うまくいったのだと確信した。
ちなみに、スリランカの入国時には、用意したETA取得書類は、入国管理官は見なかった。パスポートNOで、取得有無は分かったのだろう。
スリランカを回って気が付いたこと、知ったこと
1、車の運転が穏やか
隣のインドと比べて、警笛が少なく、町は騒々しくない。
車にへこみやキズがない。インドは、キズがあっても修理はしないが、スリランカ人は、気になって直す。日本車がほとんどだが、価格は日本の2,3倍。一般人は買えない。
イギリス統治の影響で、車は左側通行。
2、町を走る車の半数はトゥクトゥク
タイやインドなどにもある三輪自動車。これが、市民の足になっている。オートバイより多い。
3.自転車は、めったに見ない
ツアーで自転車は4台ほど見ただけ。走っていたのは2台。危険だということで、スリランカでは流行っていない。
4.子供の就学率は日本並み
スリランカは教育に力を入れていて、子供は小中学校ほとんど学校に行っている。従って、観光地での子供の売り子は見かけない。高校、大学まで学費は無料。(大学は有料もある)
ちなみに、インドは、50%程度。
女の子の白い制服がかわいらしかった。女の子はどの町でも白い制服だった。でもネクタイの色は違うようだ。
5.地方都市には、信号は殆どない。
車は、結構多いが、信号はない。但し環状交差点様式になっている箇所が多い。
さすがにコロンボは、結構信号はあった。
6、町から離れると野生王国
野生の象やヒョウ、水牛など様々な動物がいる。車で移動中、野生の象と遭った。
サルは民家にも来るので、ホテルの窓には、閉めておくように警告があった。
7.犬は放し飼い
どこに行っても、街中には犬がいる。日中は暑いので寝転んでいる。慣れたもので、人を嚙んだり吠えたりしない。野良犬が多いと思うが、帰るねぐらのある犬もいるようだ。首輪はない。
8.コンビニは見かけない
ほかの国ではよく見かけた、セブンイレブンとかファミリーマートの看板は、なかった。
コンビニはなくても、小さな店は、いっぱいある。
9.教会やヒンズー教寺院も
昔、学校では、セイロンは仏教、インドはヒンズー教、パキスタンはイスラム教と習った。でも、現在は、仏教徒は多くても、町によっては、いたるところにキリスト教会があったり、ヒンズー教寺院があったり、白い帽子をかぶったイスラム教徒の多い町もあった。
10.電信柱は四角柱
日本では円柱だが、ここではすべての柱が四角だった。ほかの国でも四角は見なかった。
でも、積んであるところを見たら、四角は合理的だと思った。
11.離婚はないとのこと
スリランカでは離婚はしないと添乗員が言っていた。
12.仏教寺院で徹底されていたこと
寺院に入るときは、必ず帽子をとり靴を脱ぐことが徹底されていた。また、仏像をバックに人の写真を撮ってはいけない。これは、仏像に対してお尻を向け、また、人の後ろにあることで畏敬の念が失われるとのこと。
13.涅槃仏の足
横になった涅槃像、その足をよく見ると上の左足の指が少し短くなっている。これは、人が亡くなると、上の足が短くなるのだそうだ。もし同じなら、その仏陀はまだ生きているのだという。
14.シギリヤロック
思ったより、簡単に登れた。壁面にある有名なシギリヤレディは撮影禁止だった。この写真は、麓の博物館にあったレプリカ。
ここには、尻押しサポータがいる。歳を取った方で登りづらい人を見ると腕をとって助けてあげる。断るときはきっぱり「ノーサンキュー」と言わないといつまでも付いてきてチップをせがまれる。
15.カレー料理は・・
朝昼晩、毎回同じカレーの煮つけで正直飽きた。後半の朝食はカレーなしにした。ビーフの入った日本のカレーの方がおいしいと思う。フルーツはおいしくて口直しによかった。
スリランカ
以上
【mixiより転記、加筆】
いつものように、旅行先で気がついたことを書いてみます。
オーストラリアへは、中東など何かと不穏な動きがある昨今、比較的安全ではないかということで、1ヶ月半前に決めて行った。
ブリスベン、ゴールドコースト、シドニーと周り、途中郊外の、スプリングブルックやブルーマウンテンの国立公園を見た。
出発前
オーストラリアに行くには、ETAS(ビザ)が必要だったが、いろいろ調べて安上がりな代行業者にwebで申請して取得(540円)した。うまく手続きされたかちょっと心配したが、入国時に問題はなかったのでよかったのだろう。ちなみに旅行業者だと3,240円、オーストラリア政府webサイトだと20AU$(2,000円弱)
さて、旅行しながら見聞きして思ったこと
1、町がきれい
特にゴールドコーストは、中心部は高層ビルが建ち並ぶが、一歩郊外に出ると整然とした住宅地が別荘のように並ぶ。
2、赤の矢印信号
信号に赤色の矢印信号があった。日本には青しかないが、赤でも点灯すると一瞬行ってよいものと思ってしまう。
3、HWYは無料
制限速度は110kmとなっていた。日本でもところによってはそうした方がよいかも。
4、イギリスの植民地だった影響で、車は左側通行
5、日本車が半数以上
トヨタ車が目だつが、意外にもマツダ車をよくみかけた。地元の車のホールデン、ライオンのマークがある、は少ない。
6、歩行者の青信号はすぐ赤になる
横断歩道の青信号は、点いたと思ったらすぐ赤の点滅に変わって、渡り終わった頃、赤になっている。
7、横断歩道の標識が変わっている
足だけの絵はちょっと不気味
8、子供は車で送迎
オーストラリアは、車社会で小中学生は、親が車で送迎するのが普通だという。高校生になると、免許を取って車で通学するとか。
9、ユーカリの木が80%以上
道路の並木道もユーカリがほとんど。ユーカリの葉を擦るといい匂いがする。
10、2000万年前 火山国
大きな大陸だが、高い山でも2000mそこそこ。地震はないというので、火山はないと思ったら、2000万年前は火山があったという。ニュージーランドは、地震や温泉があるが、近くても全く環境が違う。
<外輪山のあと>
11、なじみの看板を見ると、ほっとする
セブンイレブン
マクドナルド
12、TATTOOの店が、普通に出している。
若い子の入れ墨が多い。
腕や肩に、ちょっとした入れ墨をしている子をよく見かけた。軽い気持ちで入れ墨をするようだ。ゴールドコーストの町を歩くとTATTOOの看板をよく目にした。
13、WiFi環境が整っていて助かった
観光地では、無料のWiFiスポットがあり、自由にインターネット接続ができた。ホテルでも泊まったホテルはいずれも無料でWiFiが使えた。
出国時のセキュリティーチェック
特に問題ないのに、見せしめなのか、厳重なチェックを受けた。
セキュリティーチェックで並んでいる人から適当に、ピックアップして、別口のチェック口で身体検査をさせられた。CTの検査のように両手を上げて回転ドラムに入り金属検査をした。何も出てくるわけがない。
パスした後、今度は、30人ほど並ばされた。私の横の女性に、何やらポシェットのようなものを首にかけられた。「ベンチマーク」と係員が言っていたがそのときは何のことかわからなかった。
そのうち、犬が来て並んだ人をかぎ回った。やっとわかった。麻薬犬だ。それとも火薬の臭いでも。私の横の首にポシェットをかけた女性のところで止まった。ポシェットに何か臭うものが入っていたようだ。ベンチマークと言った意味がわかった。
このところのテロ騒ぎで、セキュリティーが厳重なのはうれしいが、自分にやられると複雑な気持ちになった。
スライドショウ
<mixiより転記、加筆>
旅行先:インドネシア(バリ島、ジャワ島)
インドネシアには、実は15年前に一度来たことがあった。ただ、シンガポールから船で1時間ほどのところで、1万数千の島のうちの小さな島(バタム)だった。今回はインドネシアでもメインの都市を回った。
1.車は左側通行
インドネシアの車は左側通行。これは日本の影響だったらしい。
インドネシアは、戦前長い間オランダの支配下だったが、オランダの右側通行ではなく、戦時中の日本の統治とその後の独立時の日本の影響で、左側通行になったそうだ。
2.車の運転は穏やか
中国やインドのように、警笛をやたら鳴らしたり、ちょっとでも遅い車がいると追い抜いたりすることはない。車の車体も傷がなくきれいだった。インドとは大違い。日本人の運転に似ていると思った。
3.車は99%日本車
自動車は、トヨタ(多い)、ホンダ、スズキ、トラックは三菱
二輪車は、ホンダ(多数)、スズキ、ヤマハ、カワサキ(少ない)
バリ島では、日本車以外見かけなかった。
二輪車は以前、安い中国製が入ってきたが、故障が続出して、使わなくなったそうだ。
4.コンビニは、mini mart、Alfa mart、circle K だけ
バリ島では、この3店しか見かけなかった。コンビニは、どこの国も買い物がしやすく便利だ。
5.選挙中
ちょうど、インドネシアの大統領の選挙中で、町のところどころに大きな顔写真のポスターがあったが、大騒ぎをしている様子はなかった。選挙当日、添乗員の左手の小指が青く染まっていた。朝、投票してきたそうで、一週間は 消えないとか。TVではお昼から、候補者の得票率が放映され接戦だった。投票締め切り前から放送されていて、日本では考えられなかった。
6.イスラム教
バリ島では見かけなかった、女性の頭の髪の毛を覆うスカーフ姿は、ジャワ島に来ると、多くの女性がやっていた。島によって文化が違った。話によると、最近このスカーフ姿が流行になったそうで、イスラム教徒以外の人もしているとか。
断食:旅行中ちょうど断食の期間で、日の出から日が沈むまで、
水も含めて何も口にしてはいけない。もっとも、子供老人や病人
は許されるとか。添乗員もイスラム教徒で一切食べなかったよう
です。
お祈り:いろいろな所に、お祈りの場所が用意されていて、スー
パーマーケットでも、トイレの脇にあった。男女の表示板があっ
たので、危うく入りそうになった。
モスク:ジャワ島に来ると、ところどころにモスクがあり、スピー
カー塔からお祈りの声が大音響とともに流れていた。ただモスク
は、マレーシアなどでよく見る丸いとんがった屋根のものは見当
たらなかった。
7.T字路が目立つ
ジョグジャカルタにて
T字路がヤにめだった。意図的にそのような道路にしているのかと思った。
8.ガソリンはボトルで販売
バイク用のガソリンは、ボトルに入れて、店先で売っている。日本では禁止されている。
9.バス停
ジョグジャカルタにて
バス停は、電車のようにプラットホームがあって、切符もその中で売られていた。
10.キンタマーニはやはり困る
店頭で
バリ島にある景色のいいキンタマーニというところ。やはり添乗員が案内するときに、ニヤニヤしていた。女性だったら、なお困るだろう。
11.親日
東南アジアは、親日が多いが、ここもそうだった。
オランダ統治の時は、住民に教育もさせないでいたらしいが、戦時下、日本が開放した3年間で住民に教育をさせ喜ばれたとか。オランダからの独立戦争でも、日本人が協力した。ベトナムのフランスからの独立と似ている。
12.オーストラリア人の観光客
バリ島では、地理的に近い、オーストラリアからとみられる観光客が、場所によっては半数以上来ていた。
13.カレーはおいしくなかった
「ジャワカレー」で、日本ではカレールーが売られている。バリ島で食べたカレーは、黄色の水カレーで、甘ったるくてさほど辛くなく、私の口には合わなかった。
以上
インドネシア(バリ島・ジャワ島)
インドを旅した感想
ただ、広いインドの3都市(デリー、アグラ、ジャイプル)を、遺跡を見ながら歩いただけだけど
1.インド料理はカレーのワンパターン
朝昼晩、カレー料理で、どのレストラン、ホテルも同じカレー料理で似た味。思ったより辛くはない。はっきり言って日本のカレー料理店の方がおいしい。これは、インドでは、牛肉、豚肉が使われていないことにもよる。(マトンや鶏肉が使われている)ちなみに、カレー料理に飽きて中華料理も食べてみたが、豚肉のない酢豚や青椒肉絲はおいしくなかった。
このパターンで料理が出る
朝食もカレー味
2.車の運転は譲らない
車は日本と同じ左側通行。トラックから、乗用車から、傷のない車は殆どない。左側から右側から、どちらでも空いていたらクラクションを鳴らして、追い抜き、追い越しをする。すれすれで追い抜くのでぶつかってもおかしくない。でもこれは普通らしい。日本のように抜かされたからと言って、絡んでくる車はない。
歩行者が道を横断するのも一苦労。勿論歩行者用の信号はない。赤でも左折はOKなので、青になったからと言って渡ると轢かれる。
決死の覚悟で横断するのも何回かするうち慣れてきた。
3.オートバイはHONDA、車はSUZUKI
8割がた、オートバイはホンダ。これは台湾、ベトナムなども同じだが、オートバイがほとんどで、スクータはあまり見かけない。インドの女性は外にあまり出ない風習と関係がありそう。オートバイだから運転しているのは男性。ただ、オートバイの後ろに乗ったサリーを身に着けた女性はよく見かけた。
乗用車は、スズキが多い。これは地方ほど顕著。ただ首都のデリーに近づくと、ホンダ、トヨタ、韓国の現代も多く見かけるようになる。
4.賢そうな顔立ち
インド人の彫の深い浅黒い顔立ちは、賢く見える。昼間から当てもなく?街を行きかう人、道端に寝転んでいる人、、誰も賢く見えるから不思議。
5.サムスン、ペプシの看板が目立った
電気製品はSAMSUNG、コーラはPEPCIが車からよく目に入った。韓国のLGもあった。コンビニはない。ほっとしたのは、ジャイプルの街を歩いて、電気街らしいところで、なじみのある看板に出会ったこと。
6.ガソリン価格が所得に比較して高い
インドでは、日本と同じように石油は輸入していて、価格は140円/L。日本と同じだった。車は高価な乗り物。まだオートバイの世界。
7.ホテルにスリッパなし
これには閉口した。今まで旅行したどこの国のどんな安いホテルでも、薄っぺらい紙のスリッパくらいはあった。3か所のホテルともなかったので、インドの習慣かなと思った。不便だったので街に出かけたが、内履きのスリッパは見つけられなかった。仕方ないので風呂上りは靴下を履いていた。
外履きサンダル
8.街は汚い
一見、近代的な街並みのように思われるが、歩道は工事中のような有様。マンホールのふたは取れていたりしている。裏道に入るとゴミの山がいたるところにある。ハエは、どんな高級レストランでも飛んでいる、と思う。(一応ガイドブックにあったレストランに入っていたが)
以上
スライド
【MiXiより転記】
ベトナムを旅して思ったこと
(2012.07.05-10)
【ベトナムはオートバイ天国】
オートバイは自家用車。一家全員乗れるように、大人2人、
子供3人まで許される。50ccバイクは免許はいらない。
ヘルメット着用義務あり。
バイクはHONDA車が殆ど。特に南部が多い。
「ホンダ」はオートバイの代名詞になっている。
【横幅4メートルの家】
ベトナムの民家は、横幅4メートルの4,5階建てが多い。
隣とつながっているので、窓は道路側と裏しかない。
真ん中に階段を入れて風通しを良くしているらしい。
フランス統治下の影響が残る。
【道端はゴミだらけ】
郊外に出ると、道端のゴミが目立つ。街中はある程度清掃し
てあるが、郊外まで目が届かないようだ。
もっとも、日本だって幹線道路からのポイ捨てがある。
【四季があるとのこと】
年中暑いようだが、北部の山岳地帯では、冬は0度近くに
なると、ガイドの話。四季の移り変わりがあるらしい。
【朝食の外食は普通】
都市部の一般家庭では、朝も外食が多い。
道端にテーブルを出して、どんぶり飯を食べている光景は、
東南アジアでよく見られるが、ここも同じ。
【コインは使われていない】
コインは、現在使われなくなったそうだ。以前は、コインで
自動販売機を利用していたらしいが、自動販売機はなくなっ
た。コインは重くて嫌ったとか。
【コンビニは見当たらない】
バスの車窓から見る限り、どこにも、日本で知るコンビニの
看板はなかった。台湾にも、韓国にも多かったのに。
【電柱には切れた電線が絡まっていた】
引っ越しとかでいらなくなった、電線、電話線は、撤去せず
そのまま放置するので、電柱には絡まった電線が。
【信号機はLED】
信号機はまだ少ないが、見たものすべてLEDが使われてい
た。電力事情が悪いことで、せめて信号機はLEDにしている
のだろうか。
【田植えの苗は一面に】
水田の稲は一面に一様に植えられていた。日本のように間隔
をあけて直線的に植えつけていない。
ちなみに、ベトナムはコメは2期作、3期作までできると
か。
【日本の援助】
日本の支援で、道路トンネル、橋、火力発電所などのインフ
ラ建設が行われてきた。トンネルの入り口には、日本の国旗
が飾られていた。感謝されて気持ちがよかった。
【トロピカルな朝食】
南国の果物には事欠かない。朝食のバイキングはつい多めに
取りがち。
【期待したアオザイ姿は】
レストランの女性のみだった。横の割れた間から、腰の肌が
ちらりと見えるのは、セクシー。
【ベトナム人は穏健】
ガイドが、ベトナムの歴史を熱心に話してくれた。
ベトナムを「越南」と書くように、過去、北(中国)から攻
められることが多かった。元の時代までさかのぼる。
近年は、フランスが統治。フランスは、ベトナム人に教育を
させなかった。そして太平洋戦争時代の日本。敗戦後に再び
フランスが来て、南北ベトナムに分かれた後、例のアメリカ
によるベトナム戦争。
もう、ベトナム戦争が終わって、40年になろうとしてい
る。ベトナム戦争を知らない世代が多くなり、その爪痕も消
えかけている。
そんなつらい経験があっても、ベトナム人の性格は、穏やか
な人が多い。中国人のようにガッツク人は少ない。
【10年後が楽しみ】
今、正にベトナムは発展途上。
田舎の町にも真新しい学校が建っていて、教育に力を入れて
いることがわかる。
ハノイには地下鉄やモノレールができ、今は高い車の関税が
FTAで撤廃されると、中国のようにやがて車社会になると思
われる。フエやハロン湾の海岸には大規模な高級リゾート地
が作られていて、益々、発展しようとしている。
ベトナムの辛い過去を知り、これからのベトナムを応援した
い気持ちになった。
#ベトナム
【スライドショウ】
mixiより転記、加筆
韓国は東アジアでベトナムを残して、まだ行ったことのない国。出発一週間前に、ツアーに申し込んで行ってきた。
早速、韓国語のハングル文字を急遽覚えようとしたが、多少読めても、だんだん組み合わせが複雑になってくると、もう読めなくなった。
ソウル3日間のツアーだが、実質1日半滞在。
ソウルは、緯度的には日本の新潟と同じ位置だが、気候は蒸し暑くなく、街を歩いていても汗をかくことがなかった。
ソウル市内の見物は、兎に角、何も分からなかったので、オプションの1日ツアーで街を回った。だがツアーの内容が貧弱で、今思えば、もっとガイドブックで調べて自分で行動した方が良かったと反省。
タクシーは使わず、地下鉄で何度か移動してみた。
漢字とアルファベットとガイドブックを頼りに、行き先を間違えないように乗換えをした。次第に慣れてはきたが、ハングル文字だけの表示のときは、大変苦労した。
【ソウルの町を歩いて気が付いたこと】
1.スカートをはかない
若い女性は、殆ど全員ホットパンツ(というのか短パン)だった。
KARAなんかがはいているように、パンツ姿が多く、きれいな足の子もいたし、太い足の子も恥ずかしげもなくはいていた。
だからスカートをはいた子は見なかったし、いても良く見ると日本人観光客だった。
2.地下鉄はホームドア
ソウル市内の鉄道は全て地下鉄(一部地上を走る区間はあるが)。その地下鉄は、私の知る限り全ての駅のホームには乗降ドアがあって、ホームに転落することはない。
日本も一部ホームドアの地下鉄が増えてきたが、ソウルのようには徹底していない。
負けたと思った。
以前、ソウルに地下鉄を張り巡らせているのは、北朝鮮からの攻撃のシェルターの役割を果たすためだと聞いたことがある。
3.車内の光景は日本と同じ
地下鉄では、男女を問わず携帯、スマホでメールをしたり、サイトを見たりしている。
地下鉄の走行中も通信できているかは分からない。
4.道路は車渋滞
広い道路が整備され、高架道路も多いが、朝晩は各所で車渋滞していた。韓国も車社会になっている。
5.車は韓国製
街を歩いて見た限り、日本車を一台も見つけることができなかった。
台湾とは全く違う。
6.日本人観光客の3分の2は若い女性
時期として夏休みをとった女性のグループが多かった。カップルも何人か見かけた。定年を過ぎた夫婦は皆無。
ツアー料金の高いこの時期は避けているのだろう。
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どちらかと言えば、ソウルは、食べ物と買い物の街だと、思った。
また、私が接した店員、ホテルマン、旅行ガイドなどの韓国人は、きつい感じの人が多く、決して印象のいいものではなかった。
景福宮
民俗博物館
南大門市場
国立中央博物館
ソウルタワー遠望。(中央博物館より)
ソウルタワー(アベックが多かった)
旅行して見聞きしたこと。
ガソリン価格は日本の半値
日本と同じ輸入なんだから同額でもよさそうだが、
ガソリン税の差かな。
奥にパチンコ屋が
ガソリンスタンドはこのCPCが殆ど。
外資系のなじみのマークは全く見なかった。
車は右側通行。鉄道は日本と同じ左側
車は中国本土と同じように右側通行。
鉄道は、日本の統治時代の名残で、
日本と同じ左側通行。線路の幅も同じ。
自動車は日本車99%?
2輪車はスクーターが99%
2輪車はヘルメット着用が徹底している。
スクーターが多いのは、何人も乗せられるためか?
台湾人は親日
満州、韓国と同じように戦前は日本が台湾を統治して
いたが、台湾は親日だと、ガイドが盛んに話していた。
中国、韓国には反日感情があるのとは違うと。
戦前、日本人が教育したり、鉄道を敷いたり灌漑した
りした功績が大きいらしい。
忘れてしまったが、何人か感謝されている日本人を
紹介してくれた。
反面、台湾人は中国を相当嫌っている。
(ガイドの話)
超高層ビル
台北にある101階ビル(101ビル)
世界で2番目だと誇らしげにガイド。
高速エレベータは東芝製。日本製は優秀だと絶賛。
初めシンドラー製だと冗談。
101ビルに行くツアーがあったが行かなかった。
日本で一番高いビルはどこ?と聞かれて
誰も答えられなかった。(横浜ランドマーク)
高い建物は勿論知っていたが。(スカイツリー)
原住民
台湾の原住民は9部族いるとのこと。
中国本土から来た漢民族との交流は少ないらしい。
首狩族の話
この部族は、毎年豊作を願って、他民族の首を
捧げていた。この風習を止めさせようと働きかけた
人がいた。説得して止めることになったが、4年後
飢饉になり、首を捧げなかった祟りだと騒いだ。
そして、自ら犠牲になって鎮めたと。
白馬に乗った人はその人
教会が目立つ
田舎町に行くと十字架を付けた建物が目についた。
キリスト教の信者が多いようだ。
コンビニ
台湾のコンビ二は殆ど「セブンイレブン」が独占。
田舎町から台北、台中、高雄などの大きな都市まで
ほぼ行き渡っていた。
田舎の町に来て「セブンイレブン」の看板を見る
と、なんだかホットした。
ただ、大都市には、ファミリーマート(全家)も
見かけた。
どちらも看板は日本と殆ど変わらない。
檳榔(びんろう)
露出度の多い若い女の子が嗜好品を売っている。
田舎町でも道路端に小さな小屋を出して売っている。
でも、台北に近づくと全く見かけなくなった。
帰って調べたら風紀上と美観の問題とかで、台北では
禁止されたとか。
檳榔は椰子に似た木から取れる実で、食べると口が
赤くなるとか。嗜好品でなぜか若い女の子が店先で
売っているので気になった。友人に食べない方がいい
言われていたので口にしなかったが、興味はあった。
愛人檳榔って??
足裏マッサージ
最終日は疲れたので、足裏マッサージに行ってきた。
30分で700元(約2000円)。全身だと1500元と書いて
あった。顔マッサージもあった。女性はやった人もいた。
足裏をマッサージしながら、睡眠不足だとか言われていた
人もいた。私は最後に「健康です」とそっけなく言われた
だけだった。まっ、いいか。
トイレで
台湾のトイレでは、ウォシュレット式のものは見当たら
なかった。格安ツアーで高級ホテルでなかったせいかも
しれないが。。 私には辛かった。
日本では最近ではビジネスホテルでも付いているのに。
トイレでもうひとつ。拭いた紙は流さないで、備え付け
の入れ物に入れてくださいと表示。ええっ、女性のアレ
でもないのに、と思った。(高級そうな免税店のトイレで)
紙でも水洗が詰まると言うことらしい。
目から鱗のはなし
ツアー参加の海外旅行は、今回で7回になるが、参加者は今までで
最も多い75名だった。台湾で手ごろなところだったせいなのか。
参加者が多かったので、2班に分けて行動した。夏休み前で、
参加していた人は、殆どが定年を過ぎた夫婦連れ(と思われる)で、
そのほかに我々の班には男同士2組、女同士1組、家族5人グループ
2組、ひとり旅の人は2人だった。私はどの組でしょうか?
さて、5日間案内してくれた現地の添乗員は、冗談の上手な48歳の
男性。日本に1年半来て日本語を勉強したとのことだが、日本語は
上手かった。もっとも彼のお父さんは、戦前日本の教育を受けたとかで、
日本語は達者だと言っていたので、その影響もあったかもしれない。
台湾は初めてだが、以前、台湾とは目と鼻の先の沖縄の西表島まで
来たことがあった。ガイドブックは買ったが、殆ど読まず、あまり
台湾の知識が無いまま来てしまった。
目から鱗の話は、
高い山が多いということ
日本の九州より一回り小さい(6/7)には、富士山より高い山があり、
3000mを超える山が100以上あると言う。日本は20そこそこ。
サツマイモの形の小さな島に高い山が多くあるとは思いもよらなかった。
あいにく、山岳の方はいつも雲がかかってその高い山は見えなかったが、
晴れたら麓から見えるのだろうか。
次に驚いたのは医療費が安かったこと
実は旅行中、具合の悪くなった人がいて現地の病院に連れて行った。
外国人でしかも保険も利かないので相当な金額を請求されると
思っていた。でも海外旅行傷害保険に入っているからと心配は
していなかった。。
病院は、街中にある診療所風のところだった。時間は夜9時を過ぎて
いた。受付でパスポートを見せて初診料を払った。金額は350元。
日本円だと1000円くらい。後でまた請求されるだろうと思っていた。
ちなみに現地人は、150元と書いてあった。(日本円で400円ちょっと)
台湾にも健康保険はあるそうだ。
予約して行ったが、若い医者がいて親切に診てくれた。夜遅かったので
他の人は誰もいない。
単なる風邪との診断だった。薬は日本と同じように処方箋をもらって
隣の薬局に行った。病院にいた受付の女性が裏からまた顔を出した
ので、お互い苦笑い。
薬は3日分だったがお金は請求されなかった。
結局、350元だけで全て済んだ。後で聞いたら、診療、薬代が
基準の範囲以内ならそれ以上請求されないとのこと。
風邪をひいたら台湾に行って診てもらうといいと思った。
北京は平和だった。
滞在した4日間は天気が優れなかった。
雨には降られなかったが、どこも景色はかすんでいた。
万里の長城は霧で300m先が見えなかった。
故宮(太和殿)
天壇公園(圜丘壇)
八達嶺長城
頣和園
天安門
明の十三陵
北京動物園
11年ぶりに中国に来た。但し今回は華南の広東省地区でなく北京。
以前から、南しか知らなかったので、一度上の方に行きたいと思っていた。
北京は首都だけあって、町並みは整然としている。
幾重にも故宮を中心に環状線ができている。
環状線と言っても、東京の環7、環8の比でなく、100m近い幅の道路。それでも所々で渋滞していた。
北京は始めてなので単純に比較はできないが、私の知っているシンセンや広州の町とは違って、騒音はあっても車の警笛がほとんどなくなって、騒々しい町と言う印象はなかった。また、自転車も大勢で走っている光景はなくなっていた。殆ど、バスや地下鉄を利用しているようだ。
シンセンや広州も、もう同じように変わっているかもしれない。
でも、車優先社会は変わっていない。
だから、赤信号でも右折はOK。歩行者は、青だからと言って横断歩道を歩いていると、交差点が左側の時は、左後方から、右から、そして左前方から車がつっこんでくるので、
気を付けなければいけない。(中国は車は右側通行)
車は、フォルックスワーゲンが目に付いた。
日本車は、ホンダか日産、トヨタはあまり見かけない。
現地の車は、性能が悪いのか、万里の長城にいく山道では、
オーバーヒートしたのか、何台もの車が、路肩に止まっていた。