NOSTALGIA/郷愁

団塊世代の日記
Nat King Cole の TOO YOUNG を
しみじみ聞ける世代のBLOGです。

真田丸

2016年05月09日 | 家族

 NHKの今年の大河ドラマは「真田丸」、いうまでもなく真田の根城は信州上田。父親の生まれたところでもある。
父は生前、上田城の門を通ってお城の敷地内にある学校(上田中)に通ったと言っていた。東大の赤門みたいだと自慢していた。

 松本にいたころ、篠ノ井経由で父の実家の上田に汽車で時々来た。上田駅に着く手前で、2階建ての櫓が見える。小さな私は松本城を見慣れていたので、天守閣のない上田城を小ばかにしていたが、父は熱く語っていたようだった。

 大河ドラマでは、信州がよく舞台になることがあるが、今回はまさにご当地上田。父が生きていたらさぞ喜んで観ていることだろう。


6対1 何で今年も負けるのか。。

2014年01月22日 | 家族
今年こそはと、見た年賀状の当選番号、また負けた。
かみさんと私、それぞれ100枚ほど、同じくらいの年賀状が届くが、
当選したはがきの枚数は、
かみさん6枚、私1枚。(すべて切手シート) もう4年負け続けている。

昨年も似たような日記を書いたが、今年も同じだった。
確率的には、私がたまには勝っても良さそうなのに、どうして負けるのか。
しかも今年は、大差だった。

もうここまで負け続けると、何かほかに要因があるのかと勘ぐる。
わからん。

つまらないことで、競争する私はちょっとおかしいか。。

まめまき

2012年02月11日 | 家族
mixiより転記


もう一週間前の事だが、例年のように我が家では豆まきをやった。

子供が小さい時からやっている。保育園に行っていた時は、だいたい鬼のお面を作ってくるので、子供3人と一緒に豆まきをしていた。

今年は、二人が家を出たので、末息子と3人でやった。面白いもので、嫌がらずに、玄関から居間から2階からと、全部の部屋から豆を撒いた。
以前は、どこからか「鬼は外」と声がしていたものだが、最近は聞こえない。

子供が小さいと、親も一緒になって日本の行事と言うことで、豆まきをやる家が多いかと思うが、子供が大きくなるとどうだろうか、やらなくなるのでは。

でも、我が家ではまだやっている。結構大きな声でやっているが、かみさんは小さな声でぼそぼそと。私が大きな声をだすと、近所に恥ずかしいと言うが気にしない。

終わった後は、恵方巻きを北北西(今年は)に向いて食べた。

実は恵方巻きは、私の実家では食べる習慣がなかったので私は知らなかった。でも毎年かみさんが買ってくるので食べている。


子供がまだ一人家にいるので、いるうちは毎年、豆まきをすると思うが、そのうち家を出てしまったらどうなるだろうか。



親の死

2010年01月03日 | 家族
AUTHOR: Phoenix
TITLE: 親の死(10)
DATE: 02/11/2008 00:53:42
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《最後に親から教わったこと》

 両親が相次いで亡くなりさびしい気持ちに変わりはないが、本当のところ心のどこかに、肩の荷が降りた気持ちもないではない。

 両親が高齢になり、そのうちいつか病気になって看病しながら亡くなる日が来る。そのときのことを考えることはもう2、3年前からしていた。父もことあるごとに、通帳のありか、印鑑のありか、社会保険証などの書類、そして亡くなったときに必要な当座の現金はここにおいてあるとか、金庫の開け方も教えてくれていた。また互助会にも入っていて葬儀の式場はどこそこがいいとかも言っていた。だがそのときは、私はそんなことは先の話で今聞かなくてもいいという顔をして半分聞き流していた。でも父は本気で聞かせようとしていた。
 しかしそれが現実となったとき、事前に教えてもらっていたことは本当に我々を助けてくれた。葬儀は迷わず父が契約していた互助会にすぐ頼めた。葬式の費用、戒名などの支払いには困らなかった。そして気がついたのは、昔持っていた株券は処分してあり、通帳も定期預金はすべてすぐ下ろせる普通預金に移してあった。書類も整理してあり遺族年金の切り替え(母がすぐ亡くなってしまったが)も私が苦労せず行えた。

 父が亡くなってみて、改めて父の几帳面さや死んだあと我々が困らないようにいろいろ教えてくれたり整理しておいてくれたことに気がつき、そのありがたさがわかった。
 ただ生前に聞き逃してしまったことがある。お墓の種類、仏壇、戒名、宗教だ。これだけは、結局私の判断で決めてしまった。冗談でも元気なときに聞いておけばよかったと思ったが、もうどうしようもない。

 親が亡くなり死というものの現実を知り、人の命のはかなさ、死んで後に何が残るのか、人の一生とは何かが、今まで考えていたものより、より鮮明に自分なりにわかった気がしている。そして自分の生活への影響として、健康で親以上に生きたいという気持ちになり、妙に健康に気を使うようになった。それから自分は死んで残せるものがあるのか、なければ何を残したいのか、何も残さないで死んでいくのはむなしいと思うようになった。そして僅かになってきたこれからの人生をより有意義に過ごすにはどうすればいいのかも、本気で考えるようになった。

 親は死んで最後に子どもたちに人生の大切さを教えてくれた気がする。



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COMMENT:
AUTHOR: 津熊携帯より
EMAIL:
DATE: 02/11/2008 03:39:20
私は両親が亡くなり7年になりました。霊的な何かで繋がっているかの様に父が亡くなり二か月後に母が亡くなりました。物質的な物は何も残してくれませんでしたが愛して貰った思い出を残して貰いました。今も両親の無償の愛を受けて育てて貰った事を思い出して感謝の涙を流します。子供たちにも愛されていたと思い出して貰える思い出を残しているだろうと?思います。親は生きていてくれるだけで心強い存在なんだと今は寂しくなりそう思います。
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COMMENT:
AUTHOR: phoenix
DATE: 02/11/2008 13:20:56
私の両親も父の2ヵ月後に母は逝ってしまいました。父が呼んだんでしょうか。津熊さんがおっしゃるように、私たち子どもを一応それなりに(自分で言うのもおかしいが)育ててくれたことは大きな存在です。ありがたいです。

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何とか先生と呼ばれるように。。

2010年01月03日 | 家族
DATE: 05/07/2006 20:10:44
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 今年卒業した娘、所沢の中学校から補助要員の声がかかり、2週間前から通い出した。3学年で16クラスの、今時だと大規模の部類の中学校だが音楽の先生は一人と言っていた。さすがに部活動まで手が回らなかったので募集したとのこと。
 音楽の授業補佐と、部活動(吹奏楽)の指導を担当するらしいが、引継をして自分の力のなさに困惑している。端から見ていて勤まるかどうか不安だ。補助要員なので、期間は1年、1日4時間の勤務だが、「力を付けるための勉強と思え」と言って励ましている。
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卒業

2010年01月03日 | 家族
DATE: 03/20/2006 23:56:42
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 先週の土曜日は、娘の卒業式だった。いつものように家内と二人そろって出かけた。
ついこの前、入学式に行ったと思ったらもう卒業だ。早いものだ。女子学生が多いので、会場は華やかだった。殆どの子は袴姿で、娘も成人式の着物に袴をはいた。
 世間知らずでまだ社会には出られず。どうしても先生になりたいので勉強する、とは言っているが、どうしたものか。
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教育実習

2010年01月03日 | 家族
DATE: 05/24/2005 23:50:30
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 母親を見て決めたのか、娘は教師(音楽)希望で、昨日から市内の中学校に教育実習に通いだした。今日も疲れたと言って7時頃帰ってきた。つい少し前まで自分もそうだったのに「1年生はまだ小さくてかわいい」なんて言っている。生徒から「先生」とか言われているそうだ。笑ってしまう。
 運良く教員免許が取れても、都の採用試験に受からなければ先生にはなれない。競争が激しいので先生は難しいだろうと思っても、頑張る娘の姿に応援したくなる。兎に角この3週間、教育実習で生徒と歌い、少しでも生徒に慕われるようになったら、それだけで嬉しい。
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介護

2010年01月03日 | 家族
DATE: 04/10/2005 14:52:35
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 今日は、今年になってはじめてか、朝からゆっくりエコログを読んでいる。

この1月から、子供の受験と親の介護に追われる日々だった。親は、90と85になる。私の家から車で3時間ほどかかるところに二人で暮らしている。いままで比較的元気だったので、こちらもあまり気にしていなかったが、この1月に母親が急に動けなくなった。トイレにも行けない状態になり、救急車を呼ぶ事態に。ただ、単に風邪をこじらせて脱水症状になって力が入ら無くなったから歩けなくなった、と言うことで帰宅させられた。薄情だ。(こちらとしては入院させたかったのに)

 私も、会社から駆けつけたが家に帰されたので、実のところほとほと困った。それでも前から要介護の審査を受けていたので、翌日市役所の担当に来てもらいケアサービスの手続きをした。勿論会社は休んだ。このとき気が付いたが、意外と地域にはケアサービスの施設が多い。全国展開しているサービス会社もあった。最近TVのCMをやっているところにもお世話になっている。

 介護保険制度が始まってしばし紙面を賑わせてはいたが、保険のお世話になる方だと大変ありがたい。1割の負担で、介護のサービスが得られる。私も、今のところ親と一緒には暮らせないので、ケアサービスは大変助かった。
 現在、毎日1時間半の在宅サービスと、週2回、施設のリハビリサービスを受けている。家中、手すりを付けたりして、自分で多少用ができるようになり、今は何とか落ち着いてきてはいるが、実家に行く回数はグンと増えた。
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受験戦争

2010年01月03日 | 家族
DATE: 03/25/2005 01:05:39
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 我が家の長かった"受験戦争”が、ようやく今日終った。高3の息子はあと1年を覚悟していたが、最後の最後、滑り込んだ。
 二人の受験生を抱え、昨年末から始まった受験日程に、周りも気遣った。家族旅行も行けず私には物足りなかった。中3のは、早々と推薦で決めた。大学の附属なのでもう受験で悩む事はない。兄の大学受験の大変さを見て、弟はちゃっかり、附属を第1志望にしてしまった。
 とにかく3人とも、もう“受験”で悩む事はなくなった。ただ、上の娘の、今度は“就職”が心配だ。親の悩みは尽きない。
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卒業式

2010年01月03日 | 家族
DATE: 03/22/2005 23:50:05
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 先週、息子ふたりの卒業式に出かけてきた。いまだに子煩悩な親だ。高校の方は、整然とし過ぎて涙も出なかったが、中学の方は、子供たちの語る3年間の思い出話に涙が出た。この時期、花粉症だと妻にはごまかした。
 
 自分自身の卒業式には、私は縁が薄い。幼稚園から大学まで5回あった筈だが、卒業証書を演台で受け取った覚えはない。唯一、幼稚園では代表に選ばれて受け取る筈だったが、当日なぜか嫌がって遅刻したためできなかった。小学校では、一人でもらったのか、代表がもらったのか忘れてしまった。中学では、3学期の学級委員でなかったので代表になれなかった。高校は、受験で欠席。大学は大学紛争があった時代で、卒業式は行われなかった。
 私の世代は、人数が多かったのか、一人一人が壇上で卒業証書をもらう事は少なく、代表がもらうのが殆どだった、と思う。その点、私の子供たちは今のところみんな前に出て校長先生からもらっている。大変いいことで、今はそれが普通なのだろう。

 卒業式に壇上で証書をもらうという儀式は、本人にとって一生思い出に残る出来事だ。残念ながら私には、その思い出がない。・・私だけなのだろうか。
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不要品

2010年01月03日 | 家族
DATE: 01/17/2005 21:28:10
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 我が家の物置には、使わなくなった自転車、オーブンができなくなった電子レンジ、まだ使えるスピーカ、暮れにやっと動かなくなってくれたwindows95のパソコンがある。また洋服ダンス、押入には、5年以上袖を通していない洋服、子供が小さいとき使っていた服や布団、学校で作った数々の作品がしまってある。それになぜか溜め込んだ袋類や古いかばんもある。さらに食器棚には、お祝いものの食器類や使いそうもないいくつものタッパーがある。

 自転車やレンジ、パソコンは、捨てる手続きが面倒でずるずる来ているのだが、意外にかさばる洋服は何とかしたい。私のものは、エイ、ヤーで捨ててしまうが、私の権限がない子供のものと妻のものは、いっぱい残っている。
 性格だろうが妻は採っておきたがる。子供のものは、孫ができたら使うのだとバカなことを言う。私がしつこく「捨てろ」と言うのでたまに廃棄しているようだがそれでも多い。しまいには、増築したいとか、物置を買い足して欲しいとか言う。その前にやることがあるだろうが、と喧嘩になることも。と言う私も、本は処分できずにそこら中に積んである。

 ただ、「使わないものは捨てろ」と言っていて、そのうち「あんたを捨てる」なんて言われないようにはしたい。
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X'masプレゼント

2010年01月03日 | 家族
DATE: 12/25/2004 23:49:36
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harumamaさんの、娘さんとのほほえましい会話を読んで、書きたくなりました。

 我が家のサンタごっこは、21年続いている。昨夜もサンタが子供たちの部屋のドアの前に贈り物を置いていた。昔は、子どもの枕もとに置いたりしたがさすがに今はできない。勿論、子どもたちは親からの贈り物と知っている(と思う)が、お互いサンタクロースから贈られたという事で会話をする。去年サンタからもらったセータ、もう小さくなった、とか。でも時には、“サンタからの贈り物”を“正式”に買ってあげたものと間違えて、子供に「それはサンタさんからもらったものでしょ」と言われることも(笑)

 21年間、サンタの贈り物ではいろいろ苦労した。絶対、贈り物を買うときは子どもと行かない。親子でおもちゃを買っている姿を横目で見ながら、私1人でおもちゃを何回買ったことか。何が欲しいか子どもたちに聞くときも、サンタにお願いするからとか言って聞いたものだった。
 子たちも、まだ小さいときは、サンタを信じていて、一番下の子は、小学校4,5年まで信じていたようだった。それはchibiharuちゃんのように、親へのポーズだったのかもしれないが、私たちもそれを楽しんでいる。子どもの純真な心がいつまでも続いて欲しいと願いながら。
 これからも、夫婦で子どもに隠れて贈り物を毎年買うことでしょう。
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両親

2010年01月03日 | 家族
AUTHOR: Phoenix
TITLE: 両親
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DATE: 11/14/2004 17:06:31
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 りょうさんのお母さんのお話を読むたびに、自分の母親が不憫に思えてなりません。すべて自分がいけないのですが。

 私の両親は、大正4年と9年生まれ、まだ健在です。しかし、寄る年波には勝てず、この1,2年でかなり老け込んで、父は耳が遠くなり、また母は足が悪く、半痴呆で言動がおかしくなってきました。ふたりは私の家から電車で2時間半ほどの所に暮らしていますが、それでもまだ父がしっかりしているので、我々と一緒に暮らすことはしていません。
 今のところ2ヶ月に1度、実家に帰っていますが、情け無いかな、母親につらく当たってしまいます。たまに帰っても、母親の訳のわからない言動を受け入れられないのです。年を取った親をまだ昔の頃の親のように話してしまうからです。それでも、何かしてあげると「ありがとう。ありがとう」と言ってくれるのが、心なしかわびしくさえ思えてしまいます。
 「豆ちゃん」の話はこういう私を反省させてくれます。 今のうちにもっといたわってあげないと、後で本当に後悔することになると。
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子供のサッカー

2010年01月03日 | 家族
DATE: 06/19/2004 19:58:59
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今日は、大変暑かった。
 一番下の息子のサッカーの試合があったので、応援に行って来ました。子煩悩というか、試合があったり、娘のピアノの発表会があったりすると、どうしても都合をつけて行ってしまう。その回数は、妻より私の方が多い。
 さて、サッカーの試合も、大会となると殆ど応援に行くのだが、冷静に見ようとしても、いい年してつい大声を出してしまう。息子も中学3年なのでこの地区夏季大会と、都大会予選を残して終わりとなり、熱も入る。
 今日は、1-0で勝った。明日も決勝進出をかけて、朝から試合の応援です。
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