【MIXIから転記・加筆/写真追加】
箱根の強羅温泉に一泊した後、翌日天気が良かったので、
宮城野へ急階段の「近道」で降りてから、明神ヶ岳に向かった。
明神ヶ岳は、あの大涌谷とは反対の北側にある。
天気がいいので、頂上に立って美しい富士の眺めを期待して
登った。別荘地帯を抜けると、湿った山道にはところどころに
霜柱が残っていた。
マップ案内だと山頂まで1時間半。もっと早く着くと思っていたが、
2時間近く掛かった。
期待した通り、山頂からの見晴らしは最高だった。
南西方向に、湯煙の上がる大涌谷と、芦ノ湖が見えた。
反対の北東方向には、小田原の市街地と海がうっすらと見えていた。
富士山はきれいに見え、その手前には、先の尖った金時山があった。
ここで昼食を摂った後、やはり気になる金時山に
行くことにした。マップだと所要時間は130分となって
いたから、3時には行けると思っていた。
だが、金時山山頂に着いたのは、3時半に近かった。
どうも、地図に書かれた行程時間より、私は遅いようだ。
昔は、早かったのに。。特に下りに時間が掛かる。
急いで降りると、膝に負担が来るので、かなりゆっくり
下りるようになっていた。
金時山(1213m)から見る富士は、日が西に傾きかけていたため、
白んではっきりは見えない。
あと1時間も待てば、逆に夕日を背景にきれいな富士が見れると
思ったが、下山した。4時を回っていた。山頂の茶屋も
閉まって、人影はない。
膝の痛みを和らげようとゆっくり降りた。
仙石原に着いたときはもう5時半になっていた。
帰りの電車の中で万歩計を見たら、約3万歩。
かなり歩いたほうだ。
高尾山に向かった。そこから城山に行き、弁天橋に下りて
相模湖駅まで歩いて帰ってきた。
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1週間前の台風15号の影響で、山の杉などの木がいたる所で
倒れていて、高尾山の1号路は通行止めだった。
6号路から登り高尾山でしばらく休んだ。
平日にもかかわらず、高尾山には多くの人が来ていた。
富士山が逆光のかすんだ空にうっすら見えた。
そこから小仏城山に向かった。城山は今回が初めて。
城山へ行く人はかなり減って、高尾山頂の雑踏から逃れられた。
城山には、電波塔があり、山頂は芝地で見晴らしがいい。
時間は2時を回っていた。さてここからどこを通って帰るか
思案した。小仏峠まで下りて旧甲州街道で高尾に向かう手が
あったが、以前通った道だったので止めて、東海自然歩道で
相模湖側に下りることにした。
倒木が道をさえぎっていた
高尾山頂
ここにも倒木
大木がやられていた。 ちょうど彼岸花が咲いていた。
小仏城山
相模湖側に下る。 急な峰 途中にあったお地蔵さん
弁天橋 相模湖では台風による流木がダムに詰まっていた
沢渡に車を停めて、タクシーで上高地に。12時頃到着。
釜トンネルが新しくなっていた。
河童橋を基点に、明神池→河童橋→田代池→大正池
同じタクシーの運転手に電話をして大正池から
沢渡に戻る。
田代池
大正池
乗鞍高原で一泊。
乗鞍岳には登らず、滝めぐりをした。
まだ時間があったのでパターゴルフをした。
モーターキャンプ場があって、キャンピングカーが
何台も停まっていた。羨ましかった。
乗鞍岳
善五郎滝
善五郎滝
三本滝(右側)
三本滝(中央)
紅葉の季節は過ぎていたが、まだところどころに、色付いたもみじが
残っていた。
塩原自然探索路のやしおコースと回顧(みかえり)コースを歩いた。
【やしおコース】
平坦の山道が多く歩き易かった。
途中の露天風呂に時間があれば入りたかった。
岩の湯
不動の湯
【回顧コース】
延々と2時間半ほど山道を歩いた。登りきった見晴台からの景色は
それほどでもなかった。
下りでは、紅葉したもみじが残っていた。檜?の巨木群もあった。
留春の滝
回顧の滝
回顧の吊橋
三頭山(みとうさん)1531m に登ってきた。
奥多摩湖に先ごろ行ってきて、周辺の高い山の中でちょっと気になっていた山。
車で家から1時間半で、桧原村の「都民の森」駐車場に着いた。
ここは、10年ほど前にも、来たことがあり、少し登った森林館で、子供と丸太切をしたことがある。
さて、駐車場について(10:30)すぐ登り始める。
記憶にある森林館を通り過ぎ、鞘口峠経由で、三頭山に向かう。
ブナ林の中を行く。風はなく次第に汗が吹き出てくる。
景色は全くよくない。
鞘口峠を過ぎ、程なく「見晴小屋」があると言うので注意して歩いていたが、右側の登山道にはなく、左側の方にあったらしく、合流点から戻って、「見晴小屋」に寄ってみた。しかしこの時期、木々が茂って眺望は全くなかった。
登り始めて1時間を少し回ったところで、三頭山・東峰に着く。東峰の見晴台から都心方向を望む。ここも木々が茂って完璧な眺望ができなかったが、ぽつんと飛び出た大岳山が見えた。
(東峰・展望台より)
(東峰1527m)
次に1531mの中央峰に出て、付近のベンチで昼食をとる。ここが一番高いので景色がいいかと思ったが、木が茂って視界は全くない。
(中央峰1531m)
がっかりして下りていくと西峰があり、大勢の人が休んでいた。それもそのはず、富士がきれいに見え、反対側の雲取もかすかに見えていた。
ここには、小学生の団体と、シニアツアーの団体が来ていた。
しばらく休んでから、帰路に着く。
ムシカリ峠を過ぎ、沢沿いの道を下って三頭大滝に向かう。沢はまだ水を伴っていなかったが、30分ほど歩くと、水が湧き出してきた。そして沢の水が増えてきたところで、渇いたのどを潤した。冷たくうまかった。
さらに30分ほど行くと、滝見橋が見えた。大滝にようやく近づいた。
滝見橋は、橋下25mあると書いてあった。下を見ると足がすくむ。滝は、右に細く長く見える。ダイナミックではないが見ごたえはある。
滝を見た後、木端を敷いた道を下り、森林館を少し見学して駐車場に向かう。
帰り、温泉に入ろうとガイドブックに載っていた「たから荘」に寄ってみたがあいにく休みだった。仕方なく来た道を戻って、道沿いに案内板のあった「三頭山荘」の風呂に入った。1000円出したが、はっきり言ってあまりいいお風呂ではなかった。
#三頭山 #奥多摩
この夏の暑さから少しでも逃れようとして出かけたが、奥多摩も暑かった。ただ日陰は、幾分涼しい風が来て凌ぎ易かった。
9時過ぎに車で家を出て、11時には、奥多摩駅前に着いた。
まず、駅前下の日原川に下りてみる。ちょっとした遊歩道になっていて散策ができそうだったが、時間もないので河原に下りてすぐ戻った。川は鱒つり場なのか川が石で仕切ってある。
次に気になっていた「むかしみち」に行ってみる。車は南氷川橋を渡った空き地に置いといて、「むかしみち」入り口に向かう。
少し歩いて、かつてダム工事のときに資材を運んだ鉄道の廃線跡を見る。
トンネルがあった。中を覗いてみたが、先は真っ暗で出口の光は見えない。一人では心細くて通り抜けるのは止めた。
(廃線跡)
むかし道を30分ほど歩いて、わき道から国道に戻り、車の置いた場所まで引き返す。
車に戻って、小河内ダムに向かう。10分ほどで着く。
水は、この暑さで水の消費量が多く、かなり減っていると思っていたが、意外と多く貯水量は、80%だと、「水と緑のふれあい館」のかわいい女性が話してくれた。
ダム周辺を一通り見て、藤棚下でお昼をとる。
「湖底は故郷」東龍太郎書
当日は平日で人は少なかった。昼食をしていると、奥多摩駅からのバスが着いて、5,6人降りてきた。そのうちの60から70歳代の女性が二人、私の座っている藤棚のベンチに来た。こちらから話しかけて、奥多摩湖の話などしていた。二人は知人同士でなく、それぞれ新宿と立川からひとりで来たという。
少し話してから別れて、たまたま目にした「倉戸山」の道標があったので登ってみる。途中でダムが見渡せるところがあればいいと思って登ったが、木が邪魔をして見れない。
とにかく2時まで、40分ほど登ったが頂上には着かない。(後で調べたら90分かかるとなっていた)
途中であきらめて、下山する。
今度は、浮き橋を見に行く。
湖畔から階段を下り湖面まで降りる。結構しっかりした浮き橋だったが、5Mごとの切れ目では沈み込んで揺れた。
向こう岸まで行って戻ってから、近くの小河内神社に行ってみる。
ここは、湖面に沈んだのを移設した神社らしい。
そのあと帰路に着くが、途中「鶴の湯の源泉」に寄る。
ちょろちょろ流れる源泉は暖かくなかったが硫黄の匂いがした。
脇には、「鶴の湯温泉」と書いたタンクローリーが止まっていて、源泉を入れ込んでいた。近くの旅館まで運んでいるようだ。
帰りも、吉野街道を通って帰る。
汗を流したかったけれど、多摩湖周辺は露天風呂が見当たらなく、お風呂に入れなかったのが心残り。
(帰ってから調べたら、新氷川トンネルの近くに「もえぎの湯」があった。残念)
天気予報が外れて、今日(2010/04/14)は朝から快晴。甲府の単身赴任は来週で終わるので、休みを取って「西沢渓谷」へ。家を出たのが遅かったので、現地に着いたのは12時を回っていた。
実はこの時期、西沢渓谷はまだ未整備で、一番奥の「七ツ釜五段の滝」まで行くのに木が倒れて道をふさいでいるところもあった。(本当は途中にロープが張ってあって五段の滝まではいけないことになっていたが。。)
やはり、西沢渓谷は、初夏か、紅葉の秋に訪れるのがよさそうだ。ただ、その時期、多くの人が来て山道は渋滞するらしい。私が来たこの時期は平日でもあったので、出会った人は3組、4人だけ。
山道入り口に来ると「滝めぐり」は「折り返し可」と掲示があった。あまり調べないで、ここに来たが、先に進みながらこの掲示の意味することを察知した。 たぶんこの先通行止めになっているのだろう。また、この細い山道はシーズン時は一方通行にしないと通れないな、と。案の定、前からアベックに出会った。聞くとロープがかかって通れなくなっているとのこと。やはりそうだった。兎に角行けるとこまで行こうと進んだ。
「三重の滝」を越えると大木が道をふさいでいた。いたるところに落石が散乱していた。そして、川を渡る橋にロープと通行止めの看板が。「七ツ釜五段の滝」はまだこの先だ。自己責任でくぐって橋を渡ると、反対側にもロープと同じ看板が。ということは、この先から逆に来る人もいるのかな、と思い、多少気が落ち着いたが、不安はあった。ほどなく「七ツ釜五段の滝」着く。さすがに100名瀑だけあると思った。あのアベックはこの滝を見なかったかと思うとかわいそうな気もした。
もう引き返す気はなく進んだ。しばらく行くと凍結箇所が山道を覆っていた。鎖につかまりながら慎重に越える。それでも滑って危なかった。不動の滝をちらりと見て、急坂を一気に登る。上の折り返し点についた時は、心臓破りというだけあって、しばらく横になって休んだ。
帰りは、旧トロッコ道を通って帰った。いたるところにむき出しのレールが、廃線後42年の崩壊の跡を残していた。帰宅してからこの林鉄の探検Webを知って見たが、40年以上も経つと枕木、橋脚は朽ち、地盤は雨雪で崩壊した様子がわかった。
今回、軽い気持ちで「西沢渓谷」行ったが、ここはハイキング気分で行けるところではないとわかった。崖の中腹を開いた山道は一歩踏み外すとがけ下に真っ逆さまというところも何箇所かあった。雪はなくなっていたが、落石箇所があり十分気をつけて歩いた。
柳生博の「八ヶ岳倶楽部」に行ってきました。
平日の火曜日は、休業のレストランが多いのですが、ここは年中無休らしい。ギャラリーとレストランがあり、木道を敷いた裏庭(かなり広大な雑木林)では、バードウォッチングができる。但し、この時期野鳥は少なかったが、食事をしていたサンテラスの窓に2羽遊びに来ていた。
ここでのお勧めは、フルーツティー。ティーポットの中に、イチゴ、メロン、ぶどう、りんごなどを入れた紅茶。実は、最初コーヒーを頼んだのだが、周りの席のお客がみんな「フルーツティー」を頼んでいるのを見て変えた。メニューにこのフルーツティーの「はなし」が載っていた。20年前に柳生夫人が、遠方はるばる見えた来客の方にもてなしたのがはじまりとか。ミックスされたフルーツの甘い味が口に合いました。
そのほかに、わさび入り山菜スパゲティーも辛味の効いたここにしかない味でよかった。ゴマ入りモンブランもよかった。(そのほかのメニューは食べていないのでわからない、のが真実)
山の上から富士を見たいと思いつき、毛無山(1500m)に登る。はじめから登る予定はなかったが、たまたま見た案内板に毛無山があったので、気楽な気持ちで登った。案内図には、上り90分、下り50分になっていた。90分と言っても1時間で登れるかとタカをくくっていた。河口湖畔の長浜に車を止めて登り始める。道は意外と急だった。疲れて汗がだらだら。3回ほど休憩した。雪は積もっていなかったが、落ち葉が積もっていて歩きづらい。ようやく登りついた山頂からは富士が絶景。河口湖、西湖も見える。自衛隊の演習場が緑の中に茶色く四角にかたどっていた。
この時期、山に登る人は誰もいない。木々の茂った薄暗い道で、異様な物音がしたりする。まさか熊に出会うことはないとは思ったが、声を出しながら登る。頂上にはなかなかでない。峰の反対に来ると風が吹いていてうなっている。心細くもなる。頂上に近づくと立ち木もなくなり明るくなった。視野が開けて富士の裾まできれいに見える。山頂で富士の絶景に浸る。写真を撮っていると尾根を歩いてきた男性と会った。何かほっとした気持ちになって話しかけた。
10分ほど休んで下山する。登ってきた道を間違えないようにして歩く。上がってきたとき異様な物音(動物のうなり声?)がしたところで、また何かさっきとは違った音がした。少し不安になって急いで駆け下りる。ようやく車を置いてある場所にたどり着いた。登り80分、下り40分の山行だった。
久しぶりに晴れたので霧ヶ峰と美ヶ原に行ってきました。
紅葉は既に過ぎ、道路には木々の葉が落ちて路肩に積もっていた。風が強く寒かったが八島湿原を一周してから、美ヶ原の山本小屋へ。ここは、50年前、小学生のときに学校で来て泊まったことがあるが、そのときのかまぼこ型の宿舎はもうとっくにない。40年ほど前にも会社の旅行で泊まったことがある。松本側に降りて町を眺めてから帰った。縄手通りは、きれいな町並みに変わったが人出がなく裏寂しかった。小学生のころの松本はもっとにぎやかだったような。六九もすたれた。松本に来たのは今年4回目になった。
写真は、(八島湿原)(美ヶ原)(縄手)
(華厳の滝)
(小田代が原)
(戦場ヶ原)
今年の夏の家族旅行は、一泊で奥日光にした。家族全員で、私が一番気に入っている「尾瀬」に連れて行きたいのだが、子供たちが嫌がったので、ちょっと尾瀬に似ていそうな、戦場ヶ原を選んだ。日光は、30年ぶり。子供たちは小学校の修学旅行で来ていたらしいが、全員あまり記憶にないようだった。
1日目は日光街道杉並木を走って、東照宮、二荒山神社、輪王寺をじっくり見て回った。いつも駆け足で見学していたが、今回は1泊したので時間に余裕があった。団体さんの流れに混じって案内人の説明をしばらく聞いていた。やはりいろいろ知らないことが聞けてためになる。最近観光地にいくと、よく団体さんの中に入って案内人の説明を聞くことが多い。いけないことかな。
2日目は、華厳の滝を見てから戦場ヶ原へ。車を、赤沼駐車場に置いて、小田代が原を回って、戦場ヶ原に出て、湯川に沿って戻ってくる道を歩いた。起伏がほとんどないので、疲れなかったが、2時間半ほどかかった。ところどころに木道があり、尾瀬が原を歩く気分を多少味わえた。 帰りは、金精峠を通って丸沼に寄った。「日本ロマンチック街道」といつ名づけたのか山間の道を下った。夏の片品スキー場を過ぎて沼田インターに出た。 -----
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久しぶりにハイキングをした。
ハイキングといっても、旧甲州街道を歩くもので高尾から小仏峠を越えて相模湖まで歩くルート。電車だと15分足らずだが、6時間かかった。
車で行く甲州街道は大垂水峠を通るルートで、江戸時代の旧甲州街道とは違う。
この甲州街道、本当に昔人が行き来した街道かと疑うほどの山道で、小仏峠付近は登山道のようだった。ただ、関所跡などの史跡があったから本当なのだろうと納得して歩いた。
遠くに中央道の高架橋を見ながら、中央線と並行して舗装された緩やかな街道を登っていく。「小仏」のバス停を過ぎるとほどなく舗装がなくなり、そして中央道を通る車の騒音がトンネルに入ったのか小鳥の鳴き声が聞こえる静けさになる。やがて人一人が通れるほどの道になり急な山道を峠に向かう。小仏峠には茶店の跡と思われる廃屋が残っていた。峠を境に東京側とは違い、神奈川県の相模湖町は古道の案内標識が整備されていて「観光」に力を入れているようだった。
峠でお昼を食べてから一気に下った。しばらくすると車の騒音がまた聞こえてきた。いつも通っている中央道だ。山を降りると実際のところ街道らしい道はなく手にした案内地図で確かめて歩いた。相模湖駅に着いて、ちょうどきた電車に乗り、車窓から今歩いた道を確認しながら高尾に戻った。八王子で飲んだビールはうまかった。
写真:
・小仏峠から高尾方向を望む。
廃屋茶屋
小仏峠から相模に下る
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