毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

書評・日本を護った軍人の物語

2019-09-02 15:19:36 | 軍事

このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。

○日本を護った軍人の物語・・・近代日本の礎となった人びとの気概・岡田幹彦・祥伝社  

明治維新から大東亜戦争の時期までに活動した日本軍人の物語である。正確に言えばただひとりだけ、民間人であるが陸軍の特別任務班員として刑死した、横川省三がいる。ひとつの特徴は、戦前からの著名人もそうではない人も、高官から下級将校もまぜこぜになっているのにもかかわらず、東郷元帥のように派手に陣頭で勝利に貢献した人はいないということである。 

さらにこの人選には著者が意識せぬ偏りがある。9人のうち陸軍関係が、7人である。また、大東亜戦争の軍人の中に海軍軍人は一人もいない、と言う事である。このことは大東亜戦争当時の海軍軍人に後世に残すべき貢献をした人物がいかに少なかったか、と言う事を物語っている。特にインド独立に貢献した藤原岩市少佐とインドネシア独立に貢献した柳川宗茂中尉の物語は、多くの人が否定する、大東亜戦争の目的のひとつは欧米からのアジア解放であったと言うことが真実であったことを立証する。 

確かに国家は負ける戦争をしてはならない、国家は自国のエゴを優先すべきであって、他国のために犠牲になることなど政治としてあり得ない、というのは一面の真実である。しかし明治以来欧米諸国と付き合って分かった事は、アジアの解放なくして日本の自存自衛はあり得ない、と言う事であった。その結果最終的には日本の自存自衛のために負ける戦争を始めると言う矛盾に陥ったのである。確かに韓国と台湾の併合は日本の独立を守ると言う国家エゴである。 

しかし併合による近代化の内容は、単に国家エゴではなく、奉仕の精神もより多く含まれていたのも事実である。植民地として効果的に支配するのなら、欧米がアジア各地で行ったように、民族の分断支配や産業を欧米の搾取しやすいように変える、という方法を取るべきであった。アメリカのように独立派のフィリピン人をパターン半島に追い込んで40万人も餓死させる、という恐怖政治を行うべきであった。 

それをせずに、「植民地支配」した地域を近代化し、戦時に占領した地域に独立のための教育などをする必要はなかった。日本も国家である以上自存のためのエゴはあった。かし、それと同時に、国家としては他に比較できない位にアジア地域に献身的であったのも事実である。その精神をこの本は教えてくれる。 

日本は敗北したのが悪いのではない。負けて戦前の信念を喪失して、誇りを持たない、経済だけの大国に成り下がったことが悪いのである。悪いのは戦争を決定し、あるいは戦って敗れた人々ではない。戦後に生きてこのような日本を作った我々が悪いのである。 

日本は他のアジア諸国のように唯々諾々として欧米に侵略されるほど愚かではなく、西洋文明を取り入れた国としては考えられる限り最も良心的な国であった。戦後の東洋の指導者には優れたリーダーがいる。しかし考えてみれば、何故そのようなリーダーを輩出している国が西欧の侵略を許したのか。これはパラドクスである。戦前の日本を正当に評価しないから生じたパラドクスである。

内村鑑三の「代表的日本人」は言う。日本には、幾多の西郷隆盛がいた。つまり西郷隆盛は、あまたの日本人の象徴なのである。本書の「日本を護った軍人」も戦陣に散ったあまたの日本軍人の象徴なのである。

この記事に興味がある方はここをクリックして、ホームページ「日本の元気」もご覧ください。

 


戦時国際法のクイズの解答です

2019-08-21 07:27:59 | 軍事

 国際法とは、元々はヨーロッパにおいて、国の争いのやり方のルールについての慣習から始まったものです。ですから、戦時国際法は、国際法のルーツとも言えるものです。詳細は述べる余白がありませんが、国際法とは国際的条約と積み上げてきた慣習の総合体系と言うべきもので、明文化されているものはほんのわずかです。その解釈は事例の積み重ねで、専門家によってもかなり幅があります。

 例えば日清戦争で、東郷平八郎艦長の軍艦浪速が英国船籍の、高陞号撃沈事件では、英国国内で国際法違反の声が上がりましたが、英国の国際法の権威のウェストレーキ教授が国際法違反に非ずとの見解を公表すると、一挙に沈静化したと言う有名な事件がありました。明文化されて解釈が判然としていたのならこんな混乱はありません。条約と事例と専門家の見解の積み重ねなのです。

 従いまして、以下述べます解答は、小生の考える標準的解釈だと考えていただき、それを参考に皆様の戦時国際法解釈、ひいては歴史解釈の一助としていただきたく思います。決して正しいひとつだけの答えだなどという考えは持っておりません。小生のブログに回答をいただいた「テレビ倒さん」さんの貴重な見解も、そのまま掲載させていただくことも参考になると思います。まず質問を再掲します。

 

 映画プライベートライアンのストーリーでの戦時国際法のクイズです。

 ライアン二等兵を救出に行った部隊は、ドイツ兵Aを捕獲しました。小隊を指揮する主人公は「任務に邪魔だから殺しちまえ」と言いますが、通訳兵が、国際法違反だと主張します。それで仕方なく、今後戦闘に参加しないと誓わせてドイツ兵Aを解放しました。

 ところが、何日か後の街中の戦闘中にドイツ軍を追い詰めると、ドイツ兵Aが出てきて、銃を捨てて、降伏すると言いました。すると誓約を破って戦闘に参加したことに怒った、通訳兵は、手を挙げているドイツ兵Aを殺してしまいました。

 そこでクイズです。通訳兵が、降伏しようとしたドイツ兵Aを射殺したのは、戦時国際法に違反しているでしょうか、いないでしょうか?!理由を説明の上回答ください。ヒントは、ドイツ兵が降伏を申し出たのは、戦闘の継続中です、ということです。

  まず、理解しやすいよう、戦時国際法での捕虜となる手続等を下記のように整理しました。

①捕虜は抑留場所に拘束する以外は人道的に取り扱わなければなりません。②で述べる捕虜となるべき資格を喪失した者は、その限りではありません。

②捕虜となるのは敵対する兵力の戦闘員と非戦闘員からなる交戦者です。非戦闘員とは武器等を持たず軍務として補給に当たる者等を言います。純粋な市民等の民間人は非交戦者として、この中には含まれませんが、敵対行動を取らない限り無条件に保護されるべきものです。ただし、交戦者が非交戦者のふりをしたりした場合には、捕虜となるべき資格を喪失します。

③捕虜となるのは降伏した場合です。ただし、降伏が受け入れられても、武装解除を確認されて抑留場所に着いて始めて捕虜の身分となります。それまでは戦闘の継続中なので、途中の射殺は合法です。これは降伏したふりをして、隠し持った武器で反撃する例が稀ではないからです。

④降伏を申し出ることが出来るのは、その戦闘区域内での最高指揮官だけです。最高指揮官が戦死などの理由で不在の場合には指揮権を委譲された者とします。ただし、降伏の申し出があっても相手方は必ず受け入れる必要はありません。英軍バーシバル将軍に山下中将が降伏の「イエスかノーか」を迫ったという逸話があります。実際には威嚇的ではなく、イエスかノーかを返事するように聞いてくれ、と通訳に行っただけのようですが。

⑤原則として一個人や一部の部隊が降伏を申し出ることはできません。これを可とすれば、戦争が嫌になった者が勝手に降伏するからです。ただし、戦闘不能状態や状況により捕獲した場合には、適宜判断により捕虜とすることができます。ただし、③の手続きが終わって始めて捕虜となりますから、それまでに射殺は可です。理由は③に記したものと同じです。

 

 以上の捕虜の説明で答えは出ました。ドイツ兵Aの射殺は米軍において合法です。③の捕虜とする手続きが終わっていないからです。また戦闘で追い詰められたドイツ兵Aを捕虜とすべきか否かを判断するのは、捕獲した通訳兵の任意となります。Aは元々降伏を申し出る資格を有さないのです。実際には、約束破りに頭にきて殺しただけなのですが。

 試みに時間を遡って、小隊を指揮する主人公が今後戦闘に加わらない誓約をドイツ兵Aにさせて解放した時点に戻ります。ドイツ兵Aが誓約を守って、戦場を離れて民家に助けを求めて入ったものと仮定します。するとAはドイツ側から見れば、逃亡罪で銃殺ものですし、米軍から見れば民間人のふりをした戦闘員ですから、見つけたら処刑相当です。そもそも誓約そのものが、成立し得ないものなのです。

 実際にはAはドイツ軍側に戻ったのですから、捕虜になったが逃亡したということで、受け入れて再度戦線に戻すことになりました。欧米では捕虜の逃亡と言うのは推奨されているのは承知の通りです。米軍に誓約したから前線には行かないとAが言いだしたら、軍律違反で処刑ものですから逆らえません。

 

 以上雑駁ですが見解を述べました。ひとつ国際法の解釈の成文化されない原則を言います。それは、解釈は自国に有利に解釈すべし、ということです。ですからAを射殺したことがドイツ側にバレて、射殺した通訳兵がドイツ側に捕まったと仮定すれば、ドイツ側は捕獲して武装解除した捕虜を殺害した、という口実で国際法違反として処刑するでしょう。

 東京裁判に日本人弁護に来た米国人は真摯に日本人の無罪を主張し「原爆の投下を命令した者を知っている。」とまで叫びましたが、これは原爆が戦時国際法違反の残虐な兵器だと言ったのではなく、米軍の最高指揮官は米大統領であることを言ったまでです。つまり東條らが戦争の最高責任者であったが故に戦犯になるはずはない、と主張するための比喩なのです。

 米国人弁護士たちは信念を賭して、日本人を弁護したために、米国民たちからは白眼視されましたが、それでも米大統領が戦時国際法違反の命令をしたとは決して言いませんでした。それが米国人としての信念です。見上げたものではありませんか。ちなみに彼らなら、原爆はダムダム弾のような残虐兵器には指定されていなかったから「残虐兵器」には相当しないと言い張ることでしょう。

 ある軍学者を自称する日本人は、中国に対しては侵略戦争をしていないが、米国には不戦条約違反をしたから、日本は米国を侵略したなどと繰り返し述べています。国際法は自国に有利に解釈するものです。日本人政治家が侵略戦争をしたと言いだした瞬間に、本当に侵略戦争をしたということが国際的に認知されることになってしまうのです。

ドイツですら第二次大戦を侵略戦争ではなく、ヒトラー一味がかつてに戦争を始めたのに過ぎないと開き直っています。愚かな知識人を自称する日本人が増えたものです。小生の父も叔父も参戦しましたが、侵略戦争などと露程も思っていませんでした。一介の庶民程案外知恵があるものです。

 小生は、専門的素養の有無を常に問題にします。例えば工学的素養などということです。それは必ずしも、工学部出身だとか工業高専の出身だとか言うばかりとは限りません。しかし、工学の基礎を系統的に学んだ基礎を身につけていることをいいます。それでは法律の素養のない小生が平気で国際法を論ずるのでしょうか。法律の素養がある、というのは、国内法に限ります。国際法とは、法体系が全く異なるからです。現今の日本で国際法の素養のある人は極めて少ないのです。その意味で、小生も多くの国際法の論者程度の素養があると自負しているからです

 


戦時国際法のクイズです(^_-)-☆

2019-08-18 23:37:56 | 軍事

 映画プライベートライアンのストーリーでの戦時国際法のクイズです。興味がありましたらコメントで回答募集です。

 ライアン二等兵を救出に行った部隊は、ドイツ兵Aを捕獲しました。小隊を指揮する主人公は「任務に邪魔だから殺しちまえ」と言いますが、通訳兵が、国際法違反だと主張します。それで仕方なく、今後戦闘に参加しないと誓わせてドイツ兵Aを解放しました。

 ところが、何日か後の街中の戦闘中にドイツ軍を追い詰めると、ドイツ兵Aが出てきて、銃を捨てて、降伏すると言いました。すると誓約を破って戦闘に参加したことに怒った、通訳兵は、手を挙げているドイツ兵Aを殺してしまいました。

 そこでクイズです。通訳兵が、降伏しようとしたドイツ兵Aを射殺したのは、戦時国際法に違反しているでしょうか、いないでしょうか?!理由を説明の上回答ください。ヒントは、ドイツ兵が降伏を申し出たのは、戦闘の継続中です、ということです。模範解答は本日より三日以降を目途にアップします。興味ある方はご参加下さい。

 


陸上要塞は艦隊より強いのか2

2019-06-23 01:02:56 | 軍事

 過日、陸上要塞は艦隊より強いのか、という記事を載せたところ、小生の典不明と断って、開戦時日米海軍とも戦艦の主砲には徹甲弾しか載せていなかったそうである、というコメントに対して「風来坊」さんから、「平時から徹甲弾と榴弾は同時に搭載していたはずです。確か8:2ぐらいの割合で。」という指摘をいただきました。

 調べてみると、小生の方の出典が判明しました。学研の歴史群像シリーズで「日本の戦艦 パーフェクトガイド」の中に、軍事史研究家の大塚好古氏の「日本戦艦が搭載した主砲と砲弾」という記事です。この記事は小生が今まで読んだものでは、日本の戦艦の主砲弾の種類の歴史について書かれたもっとも詳しいものです。関係あるところだけかいつまんで説明します。

 

 「日露戦争当時の日本海軍の戦艦が使用した砲弾は、徹甲弾と榴弾(弾頭部に信管をもつ瞬発型のもの。当時は高爆弾もしくは鍛鋼弾と呼ばれていた)の2種類であった。(P181)」のだが徹甲弾でも当たってすぐ爆発するので装甲を貫徹できたのは、日本海海戦で1弾だけが、6インチ装甲を貫徹しただけであったそうである。

 明治38年の香取型「完成と同時に、被帽徹甲弾と弾底遅動信管付きの被帽通常弾が日本海軍にもたらされることになった。(P183)」とようやく弾底信管が登場するが、徹甲弾ではなく通常弾すなわち榴弾に取り付けられていることが理解不能である。

 その後外国技術の研究から、大正2年に三式徹甲弾が採用され、大正後半期まで使用されたとある。そして徹甲弾は遠距離砲戦での効果が期待できなかったため、遠距離でも効果がある、通常弾か榴弾が必要と考えられたが「検討の結果3種類を随時切り替えて砲戦を行うのが理想と考えられたが、・・・徹甲弾と被帽通常弾の2種類を搭載することが最終決定されている。P183)」ということである。

 その後ジュットランド沖海戦の戦訓から、砲戦途中での弾種変更は方位射撃盤の設定変更が必要で、多大な時間を要するなどの問題があり、弾種統一が模索されて「・・・通常弾、徹甲弾、半徹甲弾のいずれを搭載するかが研究され、大正9年に8インチ砲以上の砲については、徹甲弾の搭載が原則となった。これを受けて昭和5年頃には戦艦の搭載する砲弾は徹甲弾に統一され、太平洋戦争途中まで続くことになった。(P184)」

 なお、前回は「日米海軍とも」と書いてしまったが、本書を見る限り米海軍に関して、そのような記述はないので、訂正させていただく。また零式普通弾と書いたが、零式通常弾の間違いのようであるので訂正させていただく。本書ではさらに「・・・零式通常弾と三式通常弾が戦艦用の主砲弾として制式採用されたのは昭和19年であるが、それ以前の昭和17年中期以降から、限定的ではあるが各艦への搭載が行われている。(P185)」と書かれている。弾種から言えば、零式は榴弾で三式は榴散弾の一種である。

 採用年と実戦使用の年が合わない例はあるので、上記文中での年号が混乱しているように見えるのはさして不自然ではないと、小生には思われる。ただ、本書を読んでいただければわかるように、これだけの多くの情報を記事にしながら、出典や根拠が記載されていないのは残念である。また、大塚氏の言うように、徹甲弾しか搭載されていなかったとしても、榴弾の備蓄があったのかも知れない。日本海海戦では、装甲貫徹効果はなくても、榴弾効果だけであれだけの戦果を得ていたことに、当時の海軍で拘っていた論者が根強くいた、と大塚氏が書いているからである。

 また風来坊さんが徹甲弾と榴弾を混載していた、という根拠を教えていただければ有難いのですが。ぜひ原典にあたって調べてみたいと考える次第である。また、旧海軍の砲術のプロとして名高い、黛治夫氏の「艦砲射撃の歴史」という本を入手したので、上記の点についてどのような記載があるか読んでみたい。ただし、小生の学力で読破できるか、はなはだ覚束ないのであるが。

 なお、その後調べたら、第二次大戦で、重巡ブリュッヒャーとリュッツオウを主力とする艦隊が、ウェザー演習作戦で、陸上要塞の旧式28センチ砲と戦って、ブリュッヒャー沈没、リュッツオウ大破という大損害を受けて敗退した、けっこう有名な戦闘がありました。艦隊より陸上要塞が強いという実例である。それでもこの定説の理由は小生には判然としませんが。

 

 


書評・昭和陸軍の軌跡。永田鉄山の構想とその分岐

2019-06-12 17:23:16 | 軍事

昭和陸軍の軌跡。永田鉄山の構想ととその分岐・・・興味のある方は、ここをクリックして、アクセスして下さい・川田稔・中公新書

 

 論旨は明快である。前半は永田鉄山の国家総動員論について説明している。後半は欧州戦争勃発に呼応して、対ソ戦と対英米戦の構想についての、武藤章と田中新一の対立について叙述している。永田の構想は、戦時の国家総動員について、戦時の動員ばかりではなく、平時の準備と構想が必要である、というのである。

 

 永田の構想を引き継いだ二人は、支那大陸と南方における資源確保という点では共通するものの、田中は対ソ開戦論者であり対米戦争不可避と考えているのに対して、武藤は対ソ戦は行うべきではなく、対米戦も回避すべく努力したという。この本だけ読むと特に田中などの陸軍の唯我独尊で日本の国力をも考えない軍人官僚の典型、と読める。だが、そこに至るまでの幕末以降の日本の環境、というものが書かれていないからそう読むのである。もちろんこの本にそこまで書く目的が無いから、片手落ちと批判するのは筋違いである。この本は、当時の時局に対して陸軍の主流となった統制派の軍人官僚、永田鉄山、武藤章、田中新一の考え方の動きを詳細に叙述して貴重である。石原莞爾については付け足しであろう。

 

 明治以来の日本史を概括してみよう。迫るロシアの脅威に対して、安閑と構え清の属国に甘えて自立しない不安定な朝鮮の独立のために日清戦争を戦った。しかし弱体化する清朝は満洲をロシアに奪われても危機感が無く、朝鮮まで併呑する構えであった。日本は満洲を奪われないために日露戦争を戦ったのであった。ここで満蒙権益なるものを得ることになった。それは資源や市場を持たない日本にとって貴重なものであった。ここで現代日本人が忘れた、江藤淳氏によれば忘れさせられた2つのことがある。

 

 第一は、戦前の世界は、弱い民族は西洋に植民地化されてしまう弱肉強食の世界であって、民族の独立を保つには、強い軍隊を保持しなければならなかったのである。日露戦争で日本は精強陸軍と無敵艦隊の評価を得た。米海軍士官にとって東郷元帥はあこがれのまとですらあった。米軍は目の前の呉軍港は徹底的に破壊しながらも、海軍兵学校には1発も撃たなかったのである。

 

 第二は、軍備が近代化すればするほど、強い陸海軍を保持するには、多くの資源と経済活動のための市場を必要とする。米英のテリトリーの外でこれらを獲得する場所は支那大陸しかなかった。日本の強い陸海軍とは、いつその基盤を失うかもしれない極めて脆弱な存在だった。既に日本の満洲での独占的権益は確立していた。そのことはリットン調査団でさえ許容していた。悪いことに、米国は「門戸開放」と称して支那本土と大陸に進出を図った。一方で自らは中南米は他国の進出を許さない聖域としていたのにである。そう言う米国が自らの生活圏は犯してはならず、日本の死活的利益にかかわる地域には進出させろ、と言うのはいかにも勝手である。

 

 しかも大陸は清朝崩壊後の戦国時代であった。国際法上は中華民国として承認されていたが、実態は地域政府と軍閥が乱立していた。ようやく蒋介石政権と共産党に収束したのは日米開戦の頃に過ぎない。しかもこれら地方政府と軍閥は、外国軍隊の干渉によって支那の統一を行おうとしていた。そのターゲットに選ばれたのがお人好しの日本であった。そういう当時の状況を考えれば、永田、東條、武藤、田中ら統制派軍人の考えはアメリカに比べれば強欲どころか、辛うじて日本の独立を維持しようとする努力に過ぎない。日米交渉が妥結しても結局日本は陸海軍を維持できなくなり、欧米に侵食される運命だったのである。

 

 だから本書にあるように、武藤に反抗して対米早期開戦を叫んだ田中の主張も一理ある。彼らは日本が真剣の上を素足で歩いているような日本の状況は百も承知していたのである。田中が武藤軍務局長や東條首相と罵倒を交えた大喧嘩をしたのは私心によるものではない。保身であれば更迭されるこんな行為は避けるのである。陸士や陸大で戦史を研究して日露戦争は辛勝に過ぎず、運よく勝ったと考えたの石原莞爾ばかりではなかった。石原はそれを公言し、他の軍人が言わなかっただけのことである。彼らは無敵皇軍と言う神話を信じていた愚か者たちではない。無敵皇軍でなければ日本は存立できないと考えていたのであって、ただひとつの望みだったのである。大東亜戦争の結果、有色人種の民族自決が成り自由貿易が出来る現在の状況が、戦前にもあったかのごとくの誤解が全ての間違いである。

 

また、本書にあるように永田らの陸軍が日本の政府を牛耳ろうと考えたことについても一言しておく。日本の存亡に死活的な存在となった満洲の安定に、幣原外交を始めとする日本外交は無力であった。支那の無法に対して余りに妥協的であった結果、支那からは侮日を受けた上に、欧米からは支那と妥協して出し抜くつもりではないかと疑われて、対日政策を硬化させる体たらくであった。しかも政党政府は何ら展望を示さずに統帥権干犯などと軍事を政権争奪に利用するありさまだった。しかし陸軍軍人は官僚化したとはいえ、関東軍と言う最前線で抗日侮日に向き合って、日本の満洲政策の失策を見せられて、しかも在留邦人の保護をしなければならない現実から、日本の戦略とはいかなるものでなければならないかを身を持って知らされていたのである。その点、海軍は陸軍との予算獲得競争にだけ勤しんでいたのであって、政党と同じく国家戦略の展望を持つ必然性はなかった。

 

本書で米国が対日戦を決意したのは、欧州戦争の勃発に伴う英国の崩壊を防ぐためであった、と言うのは一面正しい。しかしこれだけではない。資本が支那大陸と満洲にしか活路を見いだせず、アメリカも同じ所にフロンティアを求めている以上、日米の対決は避けられなかったのだし、日米開戦の動機のひとつともなっている。そうでもなければ、支那から発進した数百機の大編隊で日本本土を爆撃しようという計画が真珠湾攻撃当時進行中であった、ということを説明できまい。

 

本書で驚かされるのは、昭和十六年四月の時点で米国の世論調査では、欧州参戦支持が80%余りに達していた(P234)、という重大な事実をあっさり書いていることである。今までの日本の常識では、真珠湾攻撃が始まるまでは米国民は厭戦気分に満ちていて、真珠湾攻撃がこれを吹き飛ばした、ということになっていた。以前私は、欧州戦争に米国が中立を犯して公然と支援していたことと「幻の日本本土爆撃計画」と言う本にこの計画が大手マスコミで大々的に報道されていたことから米国に厭戦気分はなかったと論じたが、これは正しかったのである。だから山本五十六が開戦通告が遅れたことを知って思慮深げに、「これで眠れる獅子を起こしてしまった」と怒っている「トラトラトラ」という米国映画の場面がいかに噴飯ものか分かる。

 

それにしても、米国民が厭戦気分だったという誤認はさておいても、日本に最初の一発を撃たせようというルーズベルト政権の計画はいくらでも実証されているのに、当時米政府が開戦したくなかったなどという馬鹿げた説すら公然と日本では流布されている。このように客観的な事実に対する認識の共有すらなくては、日本の近現代史の論争は永遠に空回りし続けるのである。日本人はあの巨大な大東亜戦史から何の教訓も得ていない。それは米国の巧みな言論統制と洗脳によるものであっても、現在ではそれを打破する情報はいくらでも市井にすらある。


パネー号事件論争

2019-05-31 00:52:20 | 軍事

 昔話に属するが、雑誌「正論」で、パネー号事件を主題とした、中川八洋筑波大学教授(当時)と海兵出身の元エリート軍人奥宮正武元中佐との論争があった。論争のテーマは中川氏の主張する、①パネー号事件は誤爆ではなく、海軍の上司の命令による米艦船攻撃であり、攻撃部隊の奥宮氏は相手が米艦船であることを、国旗の表示によって視認していたにもかかわらず攻撃した。②奥宮氏は南京にいて、「南京大虐殺」の現場を見たと主張するのはねつ造である。③海軍の多くのエリート軍人の多くは、戦後まで海軍の名誉を守るため、日本民族に不利な偽証をし、それが大東亜戦史の定説となっている。これに対して一般の認識と異なり陸軍のエリートは、一部のコミュニストを除けば、見識ある人物が海軍より多い、といったものだろう。

 最近、この論争をたまたま再読する機会があったが、読後感は、論争は中川氏の圧勝であった。中川氏はエキセントリックな性格であるが、論理は明晰である。これに対して、奥宮氏は中川氏が軍人でない素人だ、という点に依拠して反論しているに過ぎないように思われる。この論争は、旧海軍のエリート軍人のひとつの典型を示すものとして興味があるので触れたい。

 論争は「良識派軍人奥宮正武氏への懐疑」(以下甲1と略す、H12.9号)、これに「中川八洋氏に反論する」(乙1と略す、H12.11号)が続き、「ふたたび奥宮正武氏に糺す」(甲2と略す、H13.1号)、奥宮氏の「ふたたび中川八洋氏の詰問に答える」(乙2と略す、H13.3号)、の4回で終わっている。

 この論争の中で、奥宮氏は信じられない間違いを書いている。それも海兵出身者という頭脳明晰な人物とは思われないミスである。甲1で中川氏は奥宮氏が「さらば海軍航空隊」で当時視程50キロの快晴で、高度500mの低空に急降下して攻撃していたから、甲板上の星条旗がみえたはずだ。(P293)という。

 これに対して乙1で、地上を視認できるのは搭乗員のうちほんの一部だという事実を、軍用機に乗ったことのない中川氏には分からない(P293)、と反論する。ところが甲2で、「さらば海軍航空隊」で、奥宮氏自身が「私は、下方の(パネー号等)四隻の甲板上に濃紺の服装をした中国の軍人らしい人々が満載されているのを見て・・・()内は中川氏による注記。」と乙1と矛盾することを書いていると、中川氏が反論する。

 これに対して乙2で、奥宮氏は何と「私の著書のいずれにも、パネー号上に中国人がいた、とは書いていない。(P321)」というのだ。その上「他人に質問するのであれば、当人の著書をよく読むべき・・・」とさえ書く。小生は図書館から「さらば海軍航空隊」を取り寄せたが、そこには確かに、「私は、下方の四隻の甲板上に濃紺の服装をした中国の軍人らしい人々が満載されているのを見て・・・」と書いてある

 甲板に星条旗が書いてあったのは、パネー号以外の船ではないか、というのは奥宮氏自身によれば、あり得ないという。なぜなら乙1のP295に「最初の爆撃で、パネー号の甲板が破損していたので、ますます甲板上の国旗を見分けにくくなっていた。」と書いているのである。

 中川氏によれば、国旗が分からないほど破損している甲板に、中国兵がいられるはずもなく、搭乗員のほとんどが地上の様子など見えない、というのも真っ赤なウソなのである。

 私には奥宮氏がこのように調べれば簡単に分かる、自らの著書の記述について間違えるのが不可解である。中川氏が指摘した「さらば海軍航空隊」のページと小生の手元の本のページは数ページずれている。このようなことは本の版が変わると珍しいことではない。当然該当箇所を小生ですら簡単に見つけた。

 このような奥宮氏の自著の読み忘れ(?)は軽いものではない。「さらば海軍航空隊」には爆弾投下した瞬間に英国旗のユニオンジャックが見えたので、あせって、友軍機の爆撃をやめさせようとした、と書いている米英は中立国だから艦船を爆撃してはならない、という戦時国際法を準用すべきことを思い出したのである。パネー号は米船だから「英国旗」ではなく、「星条旗」が見えたはずなのに、「英国旗」が見えたと嘘をついた上に、論争では国旗自体が見えなかった、といった矛盾の明白な嘘をついている。乙1では自身が下を見えなかった、といっているのに、著書ではちゃんと国旗や中国人を見たと書いているのである。見え透いた嘘が過ぎる。星条旗を視認しても撃沈してしまったとすれば、それは誤爆ではない。中川氏も小生もそう思う。つまり著書に書いてもいないことをねつ造するな、という勘違い(あるいは嘘)はパネー号事件の本質を指摘されたから慌てたためのように思われる。

 まだ奥宮氏には奇妙な間違いはある。乙2のP319に朝日新聞の児玉特派員の記事で、海軍機が、陸軍部隊に急降下攻撃を見せる姿勢を示したので、陸軍の部隊長が皆に日の丸の旗を振れ、といって皆で旗を振ると、先頭機は通過していったが、次の機は爆弾を投下していって爆発音が3回聞こえた、と書いている、という中川氏の指摘に対して、奥宮氏は「これも全くのつくり話である。しかも前大戦後に、私の著書をヒントにして書かれたものと思われる。」と説明している。

 ところが、中川氏の指摘するこの記事は、甲2によれば(P282)、昭和十二年十二月二十五日の支那事変の最中の朝日新聞の記事であり、中川氏はそのことを明記している。しかも中川氏は、これに関連する一連の記事が嘘なら、なぜ当時の海軍は「虚報」として抗議しなかったかと言っているのである。

 奥宮氏は昭和十二年当時海軍大尉である。それ以前に奥宮氏が文筆活動をしていたとは寡聞にして知らない。国会図書館のデータベースでは、奥宮氏が世に著作を出したのは昭和26年の淵田美津雄氏との共著「ミッドウェー」が最初である。なぜ児玉特派員が昭和十二年の記事に、奥宮氏の戦後の著書をヒントに「つくり話」の記事を書くことができたのだろう。なお、中川氏が指摘する、児玉特派員の記事が実在することは国会図書館の東京朝日新聞のデータベースで確認した。またしても奥宮氏は中川氏の文章をろくに読まずに嘘の反論をしたのである。

 自著に明白に書かれているものを、書いたことはない、と否定したり、戦前の新聞記事が戦後の著作をヒントに書いた作り話だなどといったり奥宮氏の頭脳には論争以前の問題がある。繰り返すが、海兵出身の明晰な奥宮氏がどうしたことだろう、と首を傾げる次第である。

 また、奥宮氏は国際法に理解がないふりをいるか、知らないかである。国際法に関する奥宮氏の反論について、中川氏はあえて一切触れていないようである。奥宮氏は乙1(P299)で「投降の意志が示された敵兵を捕虜にするか否かは交戦相手部隊の自由である。」という中川氏の説明に「そのようなことを認めている条約はない。」と断言する。

 そのようなことを明記した条約がないことは事実である。だが、国際法とは、条約だけで成立しているものではない。その多くが、その当時確立されている国際的慣習によるものが、国際法のほとんどである。日清戦争当時、東郷艦長が起こした、英商船の高陞号撃沈事件は、東郷が国際法に則って実行したとされているが、英国では東郷の処置にごうごうたる非難が起きた。しかし、当時の英国の国際法の権威が、東郷の処置は国際法上正当である、という見解を発表したとたんに、英国世論は東郷の処置の正当性を認めて収まった。

 もし、国際法が条約だけで成立しているものとすれば、条約の説明だけで済み、権威者の見解など必要ないのである。もとより帝国海軍軍人たる奥宮氏がそのようなことを知らぬはずはない。奥宮氏はためにする議論をしたのである。

 また、奥宮氏がハーグ条約などというものはなく、外務省の正式文書には必ず、ヘーグ条約と書かれている、と中川氏は知識不足である、と断じている。小生の持っている「国際条約集」という本にも確かに「ヘーグ条約」とかかれている。だが、戦前の国際法の権威の一人の立作太郎氏の「戦時国際法論」(昭和6年刊)には「ハーグ」條約と書いてあるし、同氏の「支那事変国際法論」には、ハーグどころか「海牙」と書かれている。「海牙」をハーグと読むかヘーグと読むかは、その時の慣習に過ぎない。ハーグ条約が間違いなら、ヘーグ条約も間違いである。当時は「条約」と書かずに「條約」と書くからである。言葉をあげつらうものではない。

従って、これも中川氏の知識不足を印象づける操作に過ぎず、議論の本質ではない。これら国際法関連については、中川氏はばかばかしくもあり、議論の本質にも触れないので無視したと、小生はよきに解釈している。奥宮氏は国際法の本質を知っていることを、中川氏は百も承知しているはずなので、国際法の講義をするまでもないと思ったのであろう。小生もそう思う。

 公平のためにも、1点、中川氏も珍妙なことを書いていることを指摘しておく。甲2のP286に「南雲忠一中将の機動部隊はハル・ノートが手渡される二十五時間前のワシントン時間十一月二十五日に択捉島を出撃した。中学生でも知っている有名な史実である。」と書いている。いくらなんでも「中学生でも知っている」はないだろう。冒頭に中川はエキセントリックな性格である、と述べる所以である。

 以上は、正論誌にかつて載った中川VS奥宮論争の一部を抜き書きした。再読して見て、改めて中川氏の圧勝と感じた。当時日米間では誤爆という事で決着しているが、パネー号事件は誤爆ではなかったのであろう。しかし、全貌は不明である。パネー号事件が誤爆ではない、と奥宮氏が認めれば、歴史の不明点がさらに見えたはずなのは残念である。また、中川氏が甲2で論争を離れて、国家や軍人のあり方について、奥宮氏を真摯に諭しているように見えるのに、奥宮氏が虚言まで使って、弁明に汲々としているのは、奥宮氏が身命を賭して日本のために戦った軍人であるのに、残念だと思う次第である。

このブログに興味を持たれて型は、ここをクリックして、小生のホームページも御覧ください。


書評・みんなで学ぼう日本の軍閥・倉山満・杉田水脈

2019-01-30 15:32:41 | 軍事

書評・みんなで学ぼう日本の軍閥・倉山満・杉田水脈

 平成27年の刊行だから、杉田氏がLGBT記事で叩かれない前の著作である。のっけから余談になるが、杉田氏の生産性云々の記事問題は、記事が不適切であるというより、左翼にとって杉田氏が手強い存在だから、ちょうどいい攻撃の口実を見つけられたのに過ぎない。例の菅直人もかつて、同性愛は生産性がない云々という発言をしたにもかかわらず、何の非難もされなかったからである。

 保守論客でも杉田氏の発言に対して、言論の自由を侵害する危機だとしてまともに擁護する人は少なく、本当に杉田氏が言いたかったことが誤解されているとか、LGBTも生物学的には生産性があるだとか言い訳をする輩がいた。つまり、自分が杉田氏のように非難の嵐にさらされることを恐れたとしか思えないのである。

 閑話休題。それにしても倉山氏も東條の事を、がり勉の秀才で典型的官僚と看做していることは残念である。「東京裁判」で東條が見せた歴史的見識と胆力は付け焼刃ではないからである。東條はこのとき真面目を発揮したのであって、追い詰められて人が変わったのではない。

本稿では本書のうち、山本五十六についてだけ一言したい。倉山氏があれほど歴史に詳しくても、軍事にあまり関心がないことが分かるからである。運命の五分間に空母を潰されたとか、そんなレベルではない(P236)、というのだが、阿川弘之のおべんちゃらを批判しているのに、この見え透いた嘘を指摘していない。阿川の言う運命の五分などというものは、艦上機が発艦するのに、一機当たり一分程度かかることを知っていれば、すぐばれる話だからである。

二十数機が五分で全機発艦するのは不可能だ位は、阿川氏のみならず軍事知識があれば知っている。阿川氏が嘘をついているのは明白である。それどころか敵空母攻撃隊の発艦開始後の五分であれば、発艦距離が短い直掩の零戦隊が発艦中で、艦爆と艦攻は飛行甲板にいるはずだから、急降下爆撃を受けたときには甲板上には爆弾、魚雷を満載した攻撃隊が待っている。米海軍の爆弾は瞬発に近い信管だから飛行甲板は兵装の連続爆発が起こったはずである。

ところがいくつかの証言では、ほとんどの機体は格納庫にいたのだから、阿川氏は二重に嘘をついている。赤城が急降下爆撃を受けた時に飛び立った一機の零戦とは、急降下爆撃にあわてた第一次ミッドウェー攻撃で帰投したばかりのパイロットが、近くの零戦に飛び乗って発艦したものである。これは飛び立った本人の証言である。

また、飛龍の敵空母攻撃隊が発艦したのは、三空母が急降下爆撃を受けてから30分以上たっている。もし、四艦同時に発艦していたのなら、こんなことにはならないことも、阿川氏らの説がいかにインチキかわかる。飛龍は3空母と離れて雲下にいたので同時攻撃を免れた、というのだから尚更敵空母攻撃隊を赤城と同時に発艦させているはずがない。

阿川氏の山本五十六伝記には、マレー沖海戦で、山本五十六と幕僚が英戦艦を一隻撃沈するか、二隻かでビールを賭けたことが堂々と書かれている。敗北した英海軍のみならず、日本の攻撃隊も戦死者が出ている。この壮絶な戦闘を賭けで遊んでいた、というのはまともな神経ではあるまい。山本を神格化しようとした阿川氏も、戦闘を賭けにして遊んでいたことに疑問を持たずに堂々と書くのもどうにかしている。ちなみに倉山氏も山本も博打好きは徹底的に批判している。

日本の艦砲の命中率が米海軍の3倍(P231)だという説を述べている。これは、旧海軍の黛治夫氏が出典であると思われるが、これは米海軍が新型の火器管制システムを完成しない、それこそ第一次大戦の延長の時点で、類似のシステムを使って日本海軍が訓練にはげんだ成果と考えられる。日米開戦時点では、米海軍は砲塔の制御等の火器管制システムの能力を大幅に向上しているから、日米の差は逆転している。

海自出身の是本信義氏は「海軍善玉論の嘘」で戦艦大和級とアイオワ級が戦えば、アイオワ級の圧勝だと述べている。これはレーダー照準の精度も含めているが、それがなくても、火器管制システムの優劣により、アイオワ級の楽勝である。高角砲の命中率が米海軍が二~三発撃てば一発当たるのに、日本のは1000発撃って3発当たる(P196)、というのだが、これも火器管制システムの圧倒的な差による。

ミッドウェー海戦の際の戦力を倉山氏は「連合艦隊 激闘の海戦記録」により(P236)日本側が圧倒的に優位な戦力であったとしているが、これもきちんと比較すれば逆で、米側の方がずっと優位である。戦力比較(P236)であるが、戦艦が日本が11に対してアメリカ0とあるが、これは作戦全体に含まれる数で、作戦に直接参加したのは二隻だけで、残りは作戦海域から遥かに離れたところで待機していただけで、戦力になっていない。

重巡は8対7となっているが、8隻のうち参戦可能だったのは二隻だけである。戦艦と重巡の合計の砲戦能力からすれば、米側の方がやや上である。日本の残りの戦艦等は、空母部隊から500キロ以上離れたところにいたから、砲戦が起きても参戦できなかった。山本五十六は遥か遠くの戦艦大和にのんびり座上して将棋をしていたのである。

それどころか、実際に対戦した航空機に至っては、日本が艦上機248機に対して米艦上機は233機であり、大して変わりはない(Wikipediaによる)。空母の比率が4対3なのに、この程度しか差がないのは米空母の一隻当たり搭載機数が大きいことによる。

さらに、米側は陸上機が127機もあるから、航空機の戦力は米側の方が圧倒的に大きい。「弱い日本が巨大なアメリカに負けたのではないんです。・・・日本の方が圧倒的戦力です。(P236)」とはならない。しかも、山本五十六は半数待機と称して、米空母が出現したときのために、108機を待機させていたというから、米側から航空攻撃を受けたときには、この機数しか対応できないのである。これに対して米側は空母戦力と陸上機の全力を投入できたから、実戦力の差はすごいものになる。

だから日本側は運が悪かったのではない。それどころか、つき過ぎるほどついていたのである。米空母は攻撃隊に援護戦闘機を随伴できなかった上に、空母と陸上から発進した雷撃機はバッタバッタと落とされて、わずかにかいくぐった雷撃は見事な操艦でかわされてしまった。長時間にわたる米機の攻撃にもかかわらず、日本艦隊は無傷で済んだ。一隻や二隻は被害を受けても当たり前の、執拗な攻撃を受け続けていたのである。この幸運の連続を山本は生かせなかったのである。

むしろ、わずかな急降下爆撃しか受けなかったことが不可思議な位な状況だった。そもそも敵空母攻撃に半数を待機させた、ということ自体が、本当に米空母の出現を想定していたとしたら不可解である。手順として、第一次ミッドウェー島攻撃隊が帰投すれば、飛行甲板にいた敵空母攻撃隊を格納庫に収容し、帰投した機を着艦させ格納庫に収容し、格納庫にいた敵空母攻撃隊を飛行甲板に並べ、発進させる。

これらに要する時間は一時間や二時間では済まない。それだけの時間を費やしてようやく敵空母攻撃隊を発進させることができる。その機数はわずか108機しかないのである。実際に敵空母が出現したら、わずかな戦力を時間をかけて発進させなければならない、という不利があることは、艦長以下の実務担当者に聞けば分かるはずなのである。図上演習でも、敵空母が出現したら赤城と加賀が沈没した(Wikipedia)、というが当然の予測である。

日本側が参戦不可能と見積もっていたヨークタウンが、予想通り参戦しなかったとしても、米側の航空圧倒的優勢は揺るがない。日本側が敵空母が出てくれば鎧袖一触などと放漫なことを考えていたのに対して、米軍は持てる全力を投入していたのである。米軍のこの態度は、日米戦力が圧倒的差になっても続いたから感心する。日本軍で最も驕慢になっていたのは、山本五十六そのひとだったのである。

 


日本の軍隊はクーデターを起こさない

2017-05-28 16:34:19 | 軍事

 倉山満氏が言うように(*のP268)今の自衛隊は「すごい武器を持った警察」である。「法体系が、自力で動いてよい軍隊のものではなく、政府の命令がなければ何もできない警察と同じだからです。いわゆるネガティブリスト(禁止事項列挙方式)ではなく、ポジティブリスト(許可事項列挙方式)になるという問題です。これなどは憲法を変える前に整備しておくべき問題です。」

 要するに、世界中の軍隊はネガティブリスト方式で運用されているのに、自衛隊だけが警察と同じく、ポジティブリスト方式で運用される法体系となっているから、軍隊らしい強力な装備をいくら持とうと、法的には軍隊ではない、ということである。自衛隊は憲法違反だという論者は珍しくないのだが、そもそも軍隊ではないのだから、自衛隊は憲法違反ではない、という論理的帰結になる。

 ポジティブリストで縛っているのは、自衛隊を軍隊にしたくない、という反戦論者の深謀遠慮などではなく、警察予備隊から発展した、という歴史的経過があったのに過ぎない。自衛隊は禁止されていない事なら何でもやっていい、という軍隊並みになったとして生ずる最大の危険性はクーデターである。発展途上国にしばしば、クーデターが起こるのは、軍隊のこの性格によるものである。

 だが、自衛隊が軍隊とされないのは、残念ながらそんな配慮によるものではない。結局クーデターが起らないようにするためには、厳しい軍律が守られることと、政治の軍隊に対する優越が必要である。それは政治家の権力が上位にある、ということだけでは済まされない。政治家の軍事的判断能力が優れている、という前提が必要である。

 戦前の日本では、五一五事件や、二二六事件など、クーデターもどきが起きたり計画されたりしたが、結局はクーデターは起きなかった。二二六ですら、天皇の君側の奸を取り除く、ということでしかなく、現在も某国で起きているような、反乱の首謀者自身が軍事政権を握る、ということすら計画にはなかった。それでも、内閣の機能不全は、昭和天皇の反乱軍討伐命令、によって解決された。ぎりぎりのところで、政治が軍事を統制したのである。

 戦前は軍部独裁になってしまった、と言われるが、そうではなかったのである。前述のクーデターもどきの事件の例は、現在の世界の水準からみても、日本の軍隊は抑制的であった、というのが実態である。なるほど軍による倒閣はあった。ところが「自分たちが組閣すると衆議院が反発するので、もっと早く総辞職に追い込まれます。(*のP175)」

 もっとも、満洲事変のように、政治が軍事を統制することができない事件も起きた。しかし、関東軍に満洲の権益と在満の居留民を守れという任務を政治が与えておきながら、漢人の暴虐が質量ともに膨大となっても、政治は関東軍に自制せよ、というだけで解決策を示さなかった。

 だから関東軍は自助努力をせざるを得ない立場に追い込まれた。朝鮮軍の林銑十郎は支援のため、軍規違反である越境をした。まさに統制に服さなかったのである。ところが、事変を歓迎するマスコミや世論に押されて、政府は軍規違反を追認した。どちらにしても、自衛隊が本当の軍隊となっても、戦前並の軍律意識があれば、自衛隊がクーデターを起こさない、ということは歴史が証明している。

 倉山氏が言う如く、自衛隊を軍隊とする、ということは、単に自衛隊を国防軍という名称変更をし、憲法に国防軍を認める条文を入れる、という事だけでは済まない問題である。それでも集団的自衛権を認めるか否か、という既に実行済みの問題を認めることですら、大騒ぎになったのである。

 現に、日本国憲法が施行された以後の、朝鮮戦争やベトナム戦争で米軍基地を提供することで、集団自衛権は何度も行使されていたのである。戦争中の国に基地を提供するのは、戦時国際法の中立違反、すなわち戦争に参加していることを意味する。たまたま日本が直接攻撃を受けなかったのは、北朝鮮にも北ベトナムにもその能力がなかったのに過ぎない。当時、北朝鮮にも北ベトナムにも、日本を攻撃する国際法上の権利はあったのである。

それどころか憲法九条のおかげで日本は戦争をせずに済んだ、というのも大嘘だということも付言する。朝鮮戦争で米軍の上陸阻止のために撒かれた機雷を、日本の掃海部隊が派遣されて掃海し、戦死者一名の犠牲が出ている。機雷敷設は戦闘行為であるのはもちろん、それを除去する掃海も、戦闘行為である。憲法九条がありながら、日本は戦争していたのである。

 

*日本国憲法を改正できない8つの理由・倉山満・PHP文庫


書評・有事法制・森本敏/浜谷英博・PHP新書

2016-07-10 16:58:46 | 軍事

 自衛隊は軍隊かを論じるために引用するので、一か所の抜き書きだけなのは悪しからず。それでは自衛隊は軍隊だろうか。

 「本来、軍隊には任務遂行のための国内法的規制はない。任務の目的が、国家の独立と国民の安全確保にあるからである。唯一の制約は、国際法の禁止事項だけである。そのため昨今、国際法上認められている諸原則や基準が、自衛隊にはストレートに適用されないなど、多くの矛盾が指摘されている。(P35)」

 それは自衛隊が「警察予備隊」として始まったために、法整備が軍隊としてではなく、警察として整備されたためである、という。また、当然のことながら本来の軍隊は敵国の国内法の拘束を受けることもない。

 倉山満氏が、自衛隊は軍隊ではなく、軍隊並みの異常に強力な武器を持った警察である、と書いたのはこの意味である。しかし、一方で自衛隊は軍隊であると国際的には認知されている、という矛盾がある。安保法制がかろうじて制定されたが、上述のような国際法の適用に関する矛盾は全然と言っていいほど解消されていない。

 野党は「戦争法」と罵り、日本はアメリカのために外国で戦争をする国になった、と非難する。しかし、自衛隊は未だ、法制度的には軍隊にさえなっていないのである。


何故北は核兵器を持てた?

2016-02-16 15:58:19 | 軍事

 中共政府は北朝鮮に核兵器を持たせない気なら、できたはずである。それは核兵器の技術を供与しない、ということではない。北朝鮮の言う核実験なるものが、現在知られている限り、かなり不完全なものである。従って北朝鮮の技術者が北京で勉強したり、技術を盗んだりしたことはあり得る話であるが、直接技術供与はしていないと考えられる。

 中共政府が北の核開発を阻止するつもりなら、政治的、経済的圧力をかければよいのである。政治的圧力には軍事的な要素もある。経済は全面的に中共に依存しているから、この方面の圧力も有効である。ナンバー2.であった張成沢は中共にならって改革開放政策をしようとしていた、とも伝えられている。

 張は中共との関係は良かったといわれているが、改革開放政策は必ずしも中共の望むところではなかったであろう。中共のように成功してしまえば、経済的に自立してしまって、中共のコントロールが利かなくなってしまう、と考えても不思議ではない。だから、張が処刑されて中朝の関係が悪くなったように論評する筋もあるが、決定的に悪くなったという兆候もない。

 北朝鮮が核兵器を持ったところで中共に問題はない。核兵器で中共を恫喝するなどということは、絶対に不可能である。通常戦力でも核戦力でも北を蹂躙するのは簡単だからである。それよりも不完全ながら、北が核兵器を持つメリットは大きい。北の核兵器を使うことによって、間接的に日本やアメリカを恫喝することが可能になるからである。

 中共自身がアメリカを核恫喝するには、リスクが大き過ぎる。現に兵頭二十八氏によれば、米中はICBM競争をしないという、秘密協定を結んでいて、中共のICBMの数はかなり制限され続けているのだそうだ。しかし、北朝鮮ならば、中共自身のリスクなしに、日米に脅威を与えることができる。今すぐ、と言わずとも将来の手駒のひとつになる可能性があるから、北の核開発を事実上放置しているとしか考えられない。

 また、産経新聞の平成28年2月10日の古田博司の正論によれば、核実験や延坪島砲撃事件などの騒ぎを起こすたびに、韓国は北朝鮮に裏金を払っていることがあるのだそうだ。つまり韓国は実質的に経済援助をしている。それならば、中共の経済援助の負担が減る。

つまり北朝鮮が、適度に騒ぎを起こしてくれることは、中共にとって、北朝鮮をぎりぎりのところで存続させるには好都合なのである。