毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

日本海軍の年功序列

2014-06-22 11:05:28 | 軍事

 「捷号作戦なぜ失敗したのか」を読んでいるのだが、以前書評で「ミッドウェー」を紹介したが、運命の五分間が全くの嘘であることを単純明快に証明していたので、期待していた。著者の左近允氏は海兵出身だが、尉官までしかいっていないので、日本海軍に対して公平な眼とプロの眼が感じられる。

 比島沖海戦での栗田艦隊の「謎の反転」について、「視界内にある『機動部隊』との決戦は打ち切り、どこにいるか分からない新たな機動部隊を求めてこれと決戦するのでは理由になっていない。」(P347)と断ずる。これは小生と全くの同意見だが、日本人が書いた図書では初めて見た。また「栗田艦隊の『敵機動部隊との決戦を求めて北上』は本音であったら夢であったし、本音でなければ撤退の言い訳であろう。」(P351)と酷評するが、実態は後者に間違いない。何度でも言うが、栗田は逃げたのである。

 閑話休題。捷号作戦において、弱体とはいえ戦艦二隻の西村艦隊と、重巡と駆逐艦しかいないさらに弱小の志摩艦隊をわざわざ分けて別行動をさせた上に、同時にスリガオ海峡を突破し、レイテ湾に突入させたかが、疑問であった。同時突入は成功するはずはなく、志摩艦隊はわずかな損害を受け、西村艦隊が全滅したらしいと判断すると、反転離脱してしまうのである。

 本書によれば、連合艦隊が両艦隊を一つの部隊として突入させるなら、指揮系統はひとつにしなければならならず、志摩長官は西村司令官と同期だが半年先に中将になっているから、合同部隊の指揮官は志摩長官となる。「・・・突入の直前になって戦艦二隻を基幹とする部隊の指揮官を、重巡二隻を基幹とする部隊の指揮官の下に入れることは、連合艦隊司令部としてはできなかったのではないか。」(P260)というのである。

 要するに先輩の方が小部隊を率いているから、後輩であれ大部隊を率いると、捻じれが生じるというのである。志摩は西村と同期なのに、わずか半年先に中将になっているから先輩扱いなのである。これは作戦の成否よりも、年功序列やメンツを重んじる発想である。日本海軍は、機動部隊をマリアナ沖海戦で喪失し、エアカバーのもとで艦隊行動して勝利する、という見通しは完全に無くなった。

残っていた艦上機すら陸上に挙げて、台湾沖航空戦で失って、空母搭載機を喪失した。そこで乾坤一擲、いままで上陸作戦に対して主力艦隊による反撃をしてこなかった方針を捨て、連合艦隊の全力で出撃した。にもかかわらず、作戦の遂行の有利さより、年功序列とメンツを重んじたのである。

 だが、これに一理なくもない。日本人の勇猛果敢な精神は、このように安心して働ける年功序列とメンツに基盤を置いていると言えなくもない。まして、明治以来建軍の伝統が確立すると、軍人の、特に幹部は官僚的になったからである。海軍は特にハンモックナンバーを重視した。軍人として武人らしさを残していたのは、兵学校出身者のエリートでは、山口多聞など、わずかしかいなかった。

 指揮官の配置を急に変えるのが不都合なら、後輩となる志摩長官を、西村司令官の指揮下に入れるべきではなかったか。まして戦勝のゆとりがあるどころか、連合艦隊ひいては、国家存亡の一戦である。もし、連合艦隊司令部が事情を説明せずとも、志摩長官は士官を集めて、国家存亡の危機打開のため、西村部隊の指揮下に入ることを諄々と説明すればよいのである。

 だが本書は志摩艦隊と西村艦隊が合同して突入できたとしても、両部隊は大した戦果もあげず全滅したであろう事を説明している。せめて、志摩艦隊が帰還しただけよかったというのである。結局連合艦隊の作戦計画そのものに無理があったのである。しかし、批判する者は無数にいるがマリアナ沖海戦に敗北し、フィリピン上陸した米軍に、日本海軍は捷号作戦をいかに立案すべきか、という計画を提示した者はいない。小生は、日本海軍は正攻法にこだわり過ぎたのではないかと考える。日本海軍が優勢であった、開戦直後に米海軍が行った、ゲリラ的作戦しか残っていなかったと思うのだが、素人の小生には具体的な案はないのが情けない。

 捷号作戦に勝機はなかったにしても、マリアナ沖海戦に勝機はあったのだろうか。航空攻撃するならば、艦上機による先制攻撃しか戦法はしなかったにしても、そもそも艦上機による敵艦隊攻撃があの時点では無理があった。南太平洋海戦でも、ろ号作戦でも米艦隊の艦隊防空は鉄壁で、ますます強化されていることは戦訓として知られているはずである。そこに正面きって強襲しても、マリアナ沖海戦の時点では、状況はますます不利になっているのは知れている。いや、末端の将兵はともかく、幹部が彼我の防空体制の隔絶した能力差に気付いた節はない。

勝機があったとすれば、空母搭載機を零戦と偵察機だけにして、水上部隊のエアカバーと索敵だけに徹し、その保護の下に戦艦群は射程内に肉薄し、攻撃は戦艦と巡洋艦による砲撃と、駆逐艦による雷撃に徹するしかない、と考えられる。海軍はハワイ・マレー沖の勝利以来、攻撃は航空攻撃しか行わなくなっていた。


義勇軍が戦車‼

2014-06-15 14:04:06 | 軍事

 平成26年6月13日の産経新聞によれば、ウクライナにロシアから国境を越えて戦車や軍用車両が運び込まれている、と報じた。記事はプーチン大統領が国境警備の厳格化を命じたのにもかかわらず、ウクライナ東部には、ロシアからの武器や義勇軍の流入が続いていることになる、と続けている。

こんな馬鹿な記事はあるものか。戦車を運用するのに必要なのは戦車の乗員ばかりではなく、整備員や各種の補給が必要である。それを民間人であるはずの義勇軍にできるはずがない。そんなことを言わずとも、戦車や武器をどこから持ってきたというのだ。義勇軍がロシア軍の武器庫からかっぱらってきたとでもいうのか。もし、プーチン大統領が禁止しているにもかかわらず、これらの武器や兵士が搬入されているとしたら、死刑ものである。プーチン大統領の指揮の下に行われているのは間違いがない。

昔アメリカも似たようなことをしたのは有名である。義勇軍と称して、戦闘機とパイロットが支那事変に参戦した、空軍のフライングタイガースである。当時、最新の戦闘機とパイロットや整備要員その他を派遣するのは、アメリカ政府にしかできるはずはない。現在は色々な証拠から、大統領命令により陸軍航空隊のパイロットと整備員や戦闘機が支那に持ち込まれたことは明らかにされている。

 ロシアの侵略のターゲットは、クリミヤ半島だけなのか、現在紛争中の東部と南部までなのか、ウクライナ全土なのか。いずれも可能性があり、欧米諸国の様子を見ながら柔軟に対応するであろう。最低限度でも東部と南部での内戦は、これを収める代わりにクリミヤ半島の支配を確実にするための取引材料としても使える。


松本清張の陰謀・「日本の黒い霧」に仕組まれたもの

2014-03-27 16:45:59 | 軍事

 「日本の黒い霧」は戦後起きた下川事件などの一連の事件がが、在日米軍などによる謀略であることを証明したノンフイクシヨンであるとした、一種の陰謀史観で書かれた本である。

 「・・・五〇年代前半、共産党と、それを応援した知識人が、その犯した誤りを明確にして正さず、極力隠蔽に努めたことが、『日本の黒い霧』出現に繋がった。内部は『霧』のように希薄、単に推理に過ぎないものを偽って事実と擦り替え、論理的歪曲を重ねて、大仰に占領軍謀略を叫ぶ」(P278)と書いているのが、この本の言わんとしたことを全て語っている。

 清張の戦後史観は反米思想、共産主義シンパシーに貫かれている。そのために、ろくろく調査もせずに、下川国鉄総裁は在日米軍に殺された、と強引に推理、松本は初手から結論ありきで、でたらめな話を書いていており、筆者はそれを丹念に検証している。こんなことが可能になったのは日本の権威主義とそれを利用した進歩的知識人や共産党にある。当時歴史家や思想家という学問的権威の中心を占めていたのが左翼的傾向が強かったから、学問的権威に弱い松本清張は主流の彼らの言うことを盲信したのである。

 清張のフィクションとしての推理小説は確かに緻密で魅力的なものであった。そのために大衆的人気が出て、推理小説の大御所になった。その清張が自殺説と他殺説のあるフィクションではない現実の下川事件を推理した。推理の大御所が現実の事件を解決したと言うわけである。ところが、ここに陥穽がある。推理小説を作る過程は、結論を最初に決めていて推理はそれに合わせて逆に積み重ねていく。

 つまり推理小説家は創作の過程で推理をしているのではなく、答えを知っているものだけ書くのが習い性になっているから、日ごろから推理のトレーニングはしていない。従って推理小説家だから現実の事件の推理が得意だとは限らない。むしろ初めから答えを決めていて、推論は辻褄合わせに過ぎないことに何の抵抗もない。森村誠一は中共政府の協力で「悪魔の飽食」なる日本の細菌部隊を糾弾する「ノンフイクシヨン」を書いた。これは中共の用意した材料をそのまま使い、事実の検証を行っていないと言う点で、日本の黒い霧と同断である。

 


ワシントン軍縮条約とロンドン軍縮条約

2014-02-11 14:46:32 | 軍事

 両条約に関し、戦後流布されている説はこうである。両条約で日本は希望の対米七割を得ずに、対米六割で抑えられた。しかし、現実には日本の建艦能力に比べ、米国の方が遥かに勝るから、この比率は問題ではなく、対米六割で妥協しようと、それだけの数を充足できない。妥協したのは対米協調の所産であり賢明であった。条約を締結せず、無制限の建艦競争になったら、日本の財政は破綻していたであろう。条約に賛成したいわゆる条約派は国際協調派で、反対した艦隊派は軍国主義者である、と。そしてその神輿に乗って海軍軍縮条約反対を唱えた東郷元帥は、時代錯誤であるというものである。

 これは原則論からして、既に破綻している。同じ主権国家同士が軍縮を話しあう場合、経済規模に合わせて比率を決めると言うことは、主権の大小を認めることであり、国家主権の対等の原則を認めていないことになる。実は日本側は経済規模で決めたつもりでも、米英はそうではない。覇権の権利が米英より日本の方が小さいと考えているのである。いずれにしても、国家主権の対等の原則を認めていないことに変わりはない。

 また、この説は実際の環境や米国の意図を無視した抽象論でもある。軍縮条約を持ちだしたのは米国である。それならば、その意図を考えなければなるまい。検討には二冊の本が参考になる。西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封6」と岡田幹彦氏の「東郷平八郎」である。ワシントン軍縮条約は極東の特に支那の問題を9カ国での討議とセットで行われたのだから、軍縮条約の意図は九カ国条約の内容にある。ワシントン会議で締結された、九カ国条約の眼目は

①支那の独立と主権の保持の尊重

②支那における各国の機会均等と門戸開放

である。

 西尾氏によれば、支那大陸にある程度の権益を保有している日英仏に対して、全く進出の余地がなかった米国が、俺にも分け前をよこせ、と主張したのである。その証拠に米国は「支那解放決議案」として、それまでの各国の条約の特権を廃止した上で、機械均等を認めよ、という提案をしたが、他の国に反対されて成立しなかった。門戸開放や機会均等と言えば聞こえがいいが、実際には支那を守るものではなく、単に米国も分捕りたい、というものである。そもそも多くの国がある国に進出することについて話し合う、ということ自体が、その国の主権を全く尊重していない。

外交の相互主義の原則から言えば、支那も残りの国に機会均等や門戸開放を主張できるはずなのである。それと併せて軍縮条約を結ぶのは、太平洋を越えて海軍力で支那に進出するための邪魔者、すなわち日本を抑え込もうというのがアメリカの意図である。

岡田氏によれば、ロンドン条約で実質的に軍縮したのは日本であり、アメリカは軍拡の結果をもたらした(P233)というのである。大型巡洋艦は、日本は対米6割とされたが、その結果の保有量は現有8隻プラス、ほとんど完成状態にある4隻に等しいから、条約がある限り新規建造はできない。

反対にアメリカに許された保有量は、現有保有量の9倍となる。アメリカにも建造中のものが幾隻かあったが着工したばかりで完成率は低い。小型巡洋艦も同様である。駆逐艦だけが日米とも削減となる。しかし、日本の駆逐艦は第一次大戦後に作られた新鋭艦がほとんどだから、これらの新鋭艦を削減することになる。アメリカは第一次大戦中に作られた旧式艦がほとんどであり、多く見える現有保有量も戦時体制の過大な量である。

だから、これらの不用なボロ船を廃棄して、平時体制に必要な制限枠で新造できるのである。つまり米国は無駄をなくすというおまけまでついている、と言うのであ。これらを閲するに、なおさら平時であることを考えれば、無制限の建艦競争に巻き込まれて日本経済が破綻する、などということは杞憂である。まして条約反対の急先鋒であった東郷は対米6割ではなく、7割を守れ、というのだから、これが実現したところで巡洋艦はわずかな建造量が認められ、駆逐艦は廃棄量が僅かに減る、ということに過ぎず、経済的負担は少ない。恐らく、米国がワシントン条約に続き、ロンドン条約を締結したのは、このままでは日米の補助艦艇兵力の比率が日本に有利になっていってしまうことを考慮したタイミングで行ったものであろう。米国はあくまでも狡猾なのである。

砲雷撃戦主体の当時の海戦に置いては、ほぼ単純に艦艇の数量の差が勝敗を分けるものであったと、誰かの文章を読んだことがある。典型的なものがその時までの最大の海戦である、ジュトランド沖海戦である。呉の海軍兵学校のツアーだったと思うが、元海上自衛官の解説では、砲数等のデータ比較を詳細にするとバルチック艦隊より連合艦隊の方がかなり優勢だったから勝って不思議はない、ということであった。圧倒的に完勝したのは秋山真之の述懐通り天佑だったのではあるが。

米国が軍縮に海軍兵力にしぼったのは、日本海海戦での日本の圧勝への恐怖の他、戦車も航空機も未発達な時代であり、整備に時間がかかる艦艇に軍縮の的を絞ったのであろう。指揮官さえいれば歩兵は戦時には急速動員可能なのである。このように考えて行くと、ワシントン条約やロンドン条約に対する現在の日本で流布している通説は、怪しいものである。


専守防衛とは本土決戦である

2013-11-23 12:31:26 | 軍事

 現代日本の防衛戦略は専守防衛であるという。専守防衛とは何であろうか。敵と考えられる軍艦が領海に侵入して、明らかに射撃の照準が行われても自衛隊は攻撃しない。自衛隊は敵艦が発砲してからでないと反撃できないのである。こんな状況では上陸地点確保のための支援射撃も容易にできるから、敵軍の上陸は容易である。航空攻撃に対しても同様である。敵の攻撃機が爆撃や対地ミサイルを発射しない限り戦闘機は攻撃しないのである。これでは本当の戦闘は敵軍が上陸してから始まることになる。

 大東亜戦争末期に、沖縄まで奪われた日本軍は本土決戦を呼号した。米軍の上陸地点は九州南部と関東平野であると予測され、米軍の計画とも大きな食い違いはなかったと言われる。本土決戦は、上陸前に一応の攻撃はするが、決定的戦闘は敵が上陸してからを想定している。相当な被害は与えても上陸はされると想定して、本格的戦闘は上陸後に始まるのである。

 つまり専守防衛とは本土決戦に他ならないのである。むしろ上陸前の反撃は最低限度しか許されないから、本土決戦を徹底的に純化したのが専守防衛である。本土決戦をシミュレーションした小説はいくつも書かれている。それらに共通しているのは民間人を巻き込んだ凄惨な戦闘になる、ということである。民間人の死者は一千万、二千万人とも予測されている。例え国際法を厳守して民間人が戦闘に参加しないとしても、戦域と居住地の区分はほとんどできないから、民間人に大量に被害が出ることは間違いないのである。

 政府が敵のミサイル基地を先制攻撃することを許容するような発言をすると、マスコミや政治家は専守防衛を盾に批判する。だがこの人たちは、旧日本軍が本土決戦を計画したことを強く批判していた人たちと重なるのである。彼らはそのことに矛盾を感じないのであろうか。

 いやそんなことは百も承知である。日本が海外に侵略しない限り、日本には戦争は起こらないという妄想に深く囚われているのである。専守防衛を止めて外国からの攻撃が予測されたときに先制攻撃をすると、日本の侵略になるというのである。それどころか、外国が日本攻撃の準備をするということさえないと考えているのであろう。だから専守防衛による凄惨な本土決戦は起き得ないと考えているのである。

 確かに戦後日本は直接戦闘をしたことはない。だが朝鮮戦争でもベトナム戦争でも戦争特需に沸いていた。軍需物資を売ってもうけていたからである。これは明白な中立違反である。だから両戦争の当時の日本国内の自衛隊や日本の船舶、領土を北ベトナム軍や北朝鮮軍が攻撃をすることは国際法上の正当な権利である。ただ両国とも現実的にはできなかっただけのことである。日本は両戦争には事実上参加していたのである。

 また李承晩ラインによって竹島を奪われた。領土も侵略されたのだ。しかも多数の国民が北朝鮮に拉致されている。憲法擁護論者は、憲法九条があったから日本は戦争に巻き込まれずに、侵略もされなかった、と主張する。だが現実は戦争には参加してもいたし、領土も国民も侵略されていたのである。


書評・東郷元帥は何をしたか・高文研

2013-06-29 12:50:18 | 軍事

 東郷平八郎、山本五十六など、陸海軍の7人の軍人を論評したものである。図書館でパラパラ読んで、山本と井上成美に批判的なことが書かれているので借りて来たのだが、高文研という発行所を見てがっくりした。だが山本の記述に面白いものがあった。「日米開戦に至らば、己が目ざすところはもとよりグアム比律賓にあらず、はたまた布哇桑港にあらず、実に華府街頭白亜館の盟ならざるべからず、当路の為政はたしてこの本腰の覚悟と自信ありや・・・」と昭和16年1月の笹川良一宛の手紙に書いた(P76)というのだ。

 これは著者も政府や軍もそこまで考えているか、という反語だというのだが、これが米国民にもよく知られ、スチルウェル将軍やニミッツ提督なども、これを文字通り受け取って敵愾心を燃やす結果となり、避戦のつもりが反日感情に火をつける結果となってしまった、というのだ。何故私的書簡が外国にまで知れ渡ったのか、という疑問はあるのだが。

 しかし、その後の山本の行動をみれば、あながち反語とも言えない気がする。ミッドウェー攻略の後には、ハワイ攻略を考えていたし、その先は米本土攻略があったはずである。現に戦前一時流行した日米必戦論には、日本軍による西海岸上陸作戦と言うのもあり、米本土攻略作戦と言うのは、今考えるほど荒唐無稽なものと考えられてはいなかったのである。ミッドウェーやハワイ攻略で分かるように、山本にも昭和の日本海軍にも補給と言う観念はないのである。それならば、支那事変で連戦連勝し南京を占領し、蒋介石を重慶に追い込んだ日本軍なら、米本土攻略も可能であると言う理屈になる。

 一日決戦論を唱えたり、ハワイ攻略を計画したり、はたまた航空機による主力艦の暫減による艦隊決戦の勝利を実行しようとしたり、山本五十六の行動には定見がないのである。

 


書評・尖閣喪失

2012-12-29 13:47:33 | 軍事

尖閣喪失・大石英司・中央公論社

 タイトルの通り中国が漁船などを利用して軍人を上陸させて実効支配する、というものである。プロローグで、ある中国老人がカナダから中国に送還されて処刑されるが自伝を残す。実はその中には暗号が隠されていて、出版された本を入手した外務省の職員が解読すると、尖閣侵略計画を実行している主席のスキャンダルだった。ここまでは思わせぶりだが、それが尖閣侵略防止には何の役にも立たない、と言うのだから龍頭蛇尾である。

 本当なら心強いのだが、防衛省や海保がひそかに侵略防止と奪還のための色々なプランを用意していて、海保などは上陸阻止のために漁船などを撃沈することにためらいがない、ということである。

 今の中国の行動からあり得て恐ろしいと思えるのは、尖閣侵略の実行が、政権交代の空白を突く、という事である。また日本が逆上陸する計画を立てても、中国の経済的ブラフによって米国が安保を発動しないということもありうる話である。幸い政権交代の空白にも何も起こらなかったが。

 陸自の逆上陸実施部隊員が、血判を集めて下剋上まがいの行動で、逆上陸実施を迫る、と言うのだがそのような志士がいたら心強い。しかし、総理も陸自幹部も彼らの行動を満州事変に例えて非難しているのは現実的だが、個人的にはいただけない。現在はほとんどの植民地が独立して自由貿易ができる世界であるのに対して、当時の世界はほとんど欧米の植民地であり、日本は数少ない有色人種の独立国として欧米により経済的にも軍事的に強い圧迫を受け、国家崩壊の危機にあったのに政党政治は何の対策もしなかったのである。

 もし欧米流の政党政治が機能していたのなら、満洲事変など起こさずに、中西輝政教授が言うように、支那の排日行為を理由に満洲を正当な外交手続きにより保障占領すればよかったのである。それが行われないために、関東軍はクーデターまがいの行動で満洲を占領したのである。

いずれにしても、自衛隊や海上保安庁の行動のディティールが面白い本である。現実的にはあり得ない話ならもっと気楽に楽しめる本なのだが。

 


書評・真・国防論・田母神俊雄 宝島社

2012-11-24 11:32:08 | 軍事

真・国防論

 国防の必要性と日本は過去に悪いことをした国ではない、と述べる箇所は読み飛ばしてもよい位平凡である。注目すべき個所は内局の存在がいかに自衛隊を駄目にし、防衛力として役に立たないようにするための無用の存在かを説いている箇所である。内局を旧ソ連軍の政治将校に例えているのは言い得て妙である。

 軍法会議の必要性について、機密保持の観点から説明しているのには納得した。護衛艦や自衛隊機が事故を起こして、裁判で兵器の機密部分が審査されると、それを支那人やロシア人が傍聴できるというとんでもないことになるのだ。

 歴代防衛大臣で、意外に軍事オタクと言われる石破氏の評価が低いのは他でも聞いたことがある。国防や軍事に詳しいのではなく、やはりオタクなのであろう。あるいは汎用な政治家の一人に過ぎないのだろう。

 勘違いしたのだろうか。第二次大戦の時に「ロシア」が日本周辺に大量に機雷を巻いたので、戦後6、7年かけて掃海したと書いてある。ロシアはやらなかったとは言わないが圧倒的に米軍の機雷が多かったのである。

 その他兵器のハードソフトについても頁が割かれているが、この本の本質と外れるところは読み飛ばしてもよいと思う。


やぶにらみ書評・「グリーン・ミリテク」が日本を生き返らせる・兵頭二十八

2012-06-29 14:29:52 | 軍事

やぶにらみ書評・「グリーン・ミリテク」が日本を生き返らせる・兵頭二十八

                               メトロポリタンプレス

 

 タイトルが奇妙なのだが、兵頭氏らしい鋭い指摘が多い。

・1979年の中共のベトナム侵攻は、日本ではベトナム軍が侵略した中共軍を追いだした、との説が一般的である。氏によれば孫子の兵法にのっとり、一撃で撤退をする計画を実行したのに過ぎない、というのである。

 しかもベトナムに教訓を与える事にも支那の国内の引き締めにも成功したと言うのである。確かにこの事によって、中共の国内外への威信も落ちず、経済発展を始めたのもこのころからだから、氏の指摘は正しいのであろう。

・中共は米国全土を射程に入れたICBMを一貫してわずか20基程度しか持たない。これでは米国はこれら全部を先制攻撃で破壊できる。従って中共は米国と全面的に対峙するつもりはない、というのである。これはソ連が全面的に対抗しようとして崩壊したことからの教訓だそうである。

・他にもいい指摘は多いのだが、兵頭氏らしい(?)ミスもある。バケツに水をいっぱい入れて全部凍らせると氷はバケツからはみ出すが、再び溶かせば元の水位に戻る、と言う。当たり前の話である。驚いた事に兵頭氏はこれを地球温暖化で北極大陸の氷が全部溶けても海面は少しも上がらないことの証明にしているのである。

 もう読んでいる方にはお分かりなのだが、くどいのを承知で説明する。水位の比較は氷が溶ける前ととけた語で比較しなければならないのであって、水が氷った時と溶けた後の比較は意味をなさないのである。全部凍っていれば水位はバケツの底である。氏は、氷が溶ければ水位は上がる、の証明をしてしまったのである。証明は、バケツに水を途中まで入れて、氷塊を浮かべたと仮定して氷が全部溶けても、水位はみじんも変化しないことをアルキメデスの原理によって示せばいいのである。北極大陸は海に浮かんだ氷塊だからである。

 残念ながら兵頭氏には物理や工学と言った方面にこのようなミスが見られる。他のミスの例は「技術史としての第二次大戦」の小生の書評をご覧いただきたい。

・ミスの指摘が長過ぎたが、世界情勢を兵頭氏らしい意外な視点から書いたものが多いので一読の価値あり、と言っておきたい。小生は公私ともにミスが多い人間なので弁解で言うのではないが、瑣末なミスでものごとの価値を誤断するものではないと思う。


日米海軍航空の意外な共通点

2011-01-23 13:02:34 | 軍事

  有名な零戦の海軍での正式記号は何というかご存知だろうか。例えば二一型はA6M2である。そんな事は飛行機に多少の興味があれば知っていると言われる。それならば米海軍の呼称記号はどうだろう。例えばワイルドキャットのある型はF4F-3と言う。この記号を比較してみよう。

 日本海軍の場合である。Aは艦上戦闘機である。6は6番目に作られた事を意味する。Mは三菱製の意味でメーカーの名前である。最後の2は二一型の型番を表している。次は米海軍である。ワイルドキャットのFは艦上戦闘機である。4はグラマン社で作られた四番目の機体である。Fはグラマン製の意味である。最後の3はやはり型番である。

 違いは米海軍の4と言う番号が、日本海軍と違ってメーカー内での順番を表していることである。だから日本海軍でA6と言えば零戦しかないが、F4と言えばワイルドキャット以外にも、F4Uコルセアもある。ほかに違いと言えば型番の前にハイフンが付いているだけである。こうして考えてみると、何と日米海軍の軍用機の表示法は並び順まで同じなのである。この事を指摘する人がいないのは案外不思議である。

 ちなみに零戦のことを海軍と民間の技術者は、零戦と言わずに「A6」と呼ぶのが普通だったそうである。