毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

書評・三島の警告・適菜収

2016-05-29 16:35:18 | Weblog

 論旨はともかく、正直、論理の立て方に違和感が多過ぎ、途中で読むのを放棄した。例えば「保守は『主義』など信仰しない。(P12)」と言うのだが、筆者は保守であることを自称し、最高の価値だと認めているようである。そこで保守と言う言葉が乱用されていることに警鐘を発する。それ自体は正しい。だが保守主義と言ってしまうと、イデオロギーになるからよろしくないようなのである。

 ところが江藤淳の「保守とは何か」という文章を引用して、江藤の保守主義は共産主義のようなイデオロギーではない、イデオロギーがないことが保守主義の要諦である(P22)という言葉を紹介する。筆者は保守主義と言う言葉を嫌うと言いながら、明白に保守主義と言う言葉を使う江藤の言葉を紹介していいながら、江藤の論を否定しない。

 小生にはこうした、小矛盾がそこいら中にちりばめられている、筆者の論理についていけないのである。筆者は・・・主義と言えば必ずイデオロギーのひとつだと言っている。しかし江藤は・・・主義と称しても、必ずしもイデオロギーだとは限らぬ、と・・・主義と言う言葉を説明しているのである。江藤は「主義」といっても使い方次第でイデオロギーにもなれば、そうでもないと言っているのである

 筆者は保守の定義を「人間理性に懐疑的であるのが保守」(P17)だとする。そして伝統の擁護と言った保守の性質もこれから発する、という。それは正しいのであろう。イデオロギーは教条主義的なものであり、保守主義はそうではない、と江藤氏は言っているのであろう。だから保守主義という言葉を否定しない。ところが筆者は・・・主義と言ったとたんにイデオロギーとなる、と考えている、という相違があるように思われる。

 これは小さなことには違いない。だがこのような相違を、あるときは無視し、あるときは重要視して論理を進める筆者の思考方法には、ついていき難いのである。もちろん筆者の説を間違いだと言っているわけではない。「単なる反共主義者、排外主義者、新自由主義者、国家主義者、ネット右翼・・・」などのわけのわからない人たちが保守を自称している(P20)と批判する。

 だが「単なる」と形容してしまうことによって、これらの自称保守主義者は、インチキだと始めから言っているのに過ぎない。そんな当たり前のことを言うこと自体が理解しがたいのである。例えば「単なる」でなければ、保守の故に反共になるのは当然であろう。筆者の論理に注意しなければ、反共は保守ではないと言っていると誤解されかねない。こんなことはもっと簡明に説明できるのに、ややこしいレトリックを弄んでいるとしか思われない。こういう論理を混乱させやすい言辞が多くある、と言うのである。

 曾野綾子氏の「・・・強いて言えば、現在の日本の現状を、いい国だと感じている人が保守で、そうではない、日本は世界的レベルでもひどい国だと信じている人が進歩的だということだろう」(P15)というのは意味不明で「保守」思考停止の典型である、としている。前段の文脈は分からないが、曾野氏の普段の言説から考えれば、理解不能ではない。

 日本をいい国だ、と考えるのは日本人の心象のあり方を肯定する、すなわち隣近所を大切にしたりする日本人の自然な特質を肯定するものが保守である、と言いたいのだろうと思う。逆に日本はどうしようもないから、革命をしなければならない、と言うのが進歩的、すなわち反保守だと言うのも当然であろう。

 三島は愛国心という言葉を嫌っていたという(P67)。官製のにおいがするし、内部の人間が自国を対置して愛する、と言うのがわざとらしい、というのである。理屈としてはその通りである。だが三島も筆者も言わない重大な視点がふたつある。三島の当時も今も、GHQや日教組の洗脳により、日本を根源的に悪い国、として否定する風潮がある。まして自国を愛するということを否定する癖に、どこかの外国に媚びる。それも最悪の独裁国であることが多い。

 いかに不自然であろうと、日本が国家として存立する、すなわち日本と日本人を守るには、このような風潮に対抗して、敢えて愛国心が必要だ、とわさわざ言わなければならないのが悲しい日本の現状なのである。三島は「のがれようのない国の内部にいて」というが、元々はそうではない。確かに現在の日本は典型的な国民国家である。

 しかし維新以前は日本人の帰属意識は日本国ではなく、藩であった。民百姓に到っては、藩でさえなく、村落共同体への帰属意識しかなかったろう。だから郷土の為に、と言う意識はあっても、日本国の為にと言う意識はなかった。それを開国して列強に伍するには、日本国に帰属するという意識を国民が持つことが必要であった。そのようにして愛国心とは作られたものであって古来より自然に存在したものではない。しかし、グローバリズムが闊歩する現代には、ますます必要なものである。

 筆者の論理が分かりにくいのは、全否定ではない愛国心嫌いの三島の言辞を延々と紹介し、ご本人も愛国心はよくないかのよう聞こえそうな、物言いをしながら、結論となるや「国の根幹を破壊しようとしているのが真の愛国だろう。(P70)」というから混乱するのである。もちろん仔細に読めば筆者は愛国心を肯定しているとしか思えない。何度も繰り返すが、その論理が実に分かりにくいのである。もっと直截に論証できるのに、ややこしく、読みにくくしているとしか思えない。この本は内容的に価値はあるとは思ってはいるが、70ページのこの言葉を読んで諦めた。疲れたのである。

 バカ官僚などと言う、無遠慮で鋭そうな言辞を使うのが、一見倉山満氏に似ているが、倉山氏の論理展開は案外簡明で、すとんと腑に落ちることが多いので、実際には大いに違うと思った次第である。


ソ連の崩壊でアメリカの覇権が消えた

2016-01-16 14:54:07 | Weblog

 オバマ大統領は、アメリカは世界の警察ではない、と言ったことに象徴されるように、米外交としては消極的で、それが中東やウクライナ情勢を不安定化させたと言われている。だがこれらの根本原因は、アメリカの対外的消極性にあるのではない。ソ連の崩壊によって、アメリカは欧米、すなわち西側世界の盟主である理由を失ったのである。

 第二次大戦後、ソ連は東欧と一時的にもせよ中共を支配し、さらにはベトナムなどの東南アジアに触手を伸ばし、いつの間にか世界の半分の覇権を握る存在になっていることに、米欧諸国はようやく気付いた。この結果NATOを作るなどして、米国は欧米の盟主にならざるを得なかった。盟主となることが期待されたのである。

 その結果米ソの二極の世界ができたかに見えた。米ソの軍拡競争において、ソ連の軍事的弱点は日本海軍に滅ぼされた海軍であった。米国に対抗できる空母建造に、一気にいけなかったために、航空巡洋艦なる空母もどきを造った後、本格的な空母らしきもの(これも航空巡洋艦と呼んだ)を建造したがカタパルトが開発できない以上、CTOL艦上機の運用が困難な空母もどきに過ぎなかった。

 英国の真似をして、スキージャンプ滑走台を備えたが、これはハリアーのようなVTOL能力のあるものの、搭載量を増やす目的のもので、カタパルトの代用には不十分である。

 恐ろしく高速の水中速度を持つ小型原潜から、第二次大戦前の戦艦に匹敵する巨大な原潜まで造った。その他航空機や戦車などの開発もしたが、最も金がかかるのは巨大な海軍力の維持である。ソ連を経済的に崩壊させた最大の要因は、アメリカに対抗しようとして肥大化させようとした、海軍戦力にあるだろう。

 ソ連が崩壊すると、ヨーロッパは自由になり、ソ連成立以前の大国のゲームの世界に戻った。米国もロシア同様、ゲームのプレーヤーの一国に成り下がったのである。しかし、人の意識は簡単に変わるものではない。父子のブッシュ大統領がイラクに戦争を仕掛けたのは、覇権意識の残滓もあったのに違いない。逆に第二次大戦中までの米国は、英帝国がドイツに滅ぼされようとして、大帝国の地位から落ちかけたとき、全世界の覇権を握ったと考えたのであろう。

 ところが、ソ連は、大国のゲームをして、欧米のどこかの国と利害関係によるパートナー探しをしていたロシア帝国とは異なり、ユーラシア大陸に覇権を確立しつつあった。それどころか、コミンテルンを使って、米国の政権中枢にまで入り込んでいた。過去の情勢意識の惰性に流された米国は、ソ連のこれらの伸長を見過ごして、見当違いな対日戦さえ仕掛けた。

 今やISを始めとするイスラム問題が、世界情勢の課題の中心となっている。中国の台頭は本質的には恐るべきものではあるまい。近代の衣をまとった古代国家支那は、いずれ崩壊する砂の巨人である。崩壊に対する備えさえしておけばいいのであって、本気で軍事的対決するために備える必要はない。前述のように、ロシアも大国ゲームのプレーヤーの一国に成り下がった。

だが、イスラムの知識のない小生には、イスラム問題が、どの程度本質的に世界を動かすことになるのか分からない。答えは大川周明などの、戦前の日本のイスラム研究の先駆者に聞いてみるのもひとつの手かも知れない、としか言えない。


日本人が拉致否定の根拠を与えた

2015-10-31 19:17:03 | Weblog

 とうとう来るべき時が来た気がする。日本人が、「従軍慰安婦」の証言集に書かれたことを否定するならば、北朝鮮が日本人を拉致した、という証言も信用ならない、という意見が現れたのである。

 産経新聞の平成27年10月14日の高橋史朗氏の「新たな歴史戦に対する連携を」と題する記事に米議会調査局が2007年4月に同議会に提出した報告書の内容が書かれている。「安倍政府の軍による強制連行否定は・・・田中ユキ著『日本の慰安婦』に記載されているアジア諸国出身の200人近い元慰安婦の証言や400人以上のオランダ人の証言と矛盾している。・・・元慰安婦の証言を拒絶すると、外部の者にとっては北朝鮮による日本の市民の拉致事件の信憑性に疑問を抱かざるをえない」と結論づけている、というのだ。

 中国がユネスコ記憶遺産国際諮問委員会に今年提出した「従軍慰安婦」の申請資料には2007の米下院の慰安婦対日非難決議が引用されている。そして非難決議の根拠がこの報告書だというのである。

 日本人自身が集めた強制連行の証言集を否定するなら、日本人による拉致の告発も嘘だ、という理屈は荒唐無稽ではない。「従軍慰安婦」の強制連行説を広めて、ここまでの国際問題とした発端は、朝日新聞を始めとする日本人自身に他ならない。日本人自身が言っているのにそれを否定して、強制連行説が嘘だ、というなら日本人が言う、拉致問題も嘘だ、という恐ろしい理屈に発展することは大いに可能性があったことである。

 結局日本人の言うことなど嘘ばかりなのだ、ということになるのである。北朝鮮が拉致問題を認めるまで、拉致問題の存在を否定していた輩は、慰安婦の強制連行説を広めていた日本人と見事に重なるのである。以前、小生は、いくら日本人は思いやりがあるやさしい民族である、ということをいくら強調しても、他方で慰安婦の強制連行や日本軍の残虐行為を一生懸命海外に宣伝する日本人がいれば、日本人の思いやりなど見せかけの嘘で、本当は日本人には残虐なDNAがある、と言っているようなものである、という主旨のコメントを書いた。「従軍慰安婦」問題と拉致問題の関係は、これと同じことなのである。


中国経済は簡単には崩壊しない

2015-10-25 14:38:51 | Weblog

中国経済は崩壊をするとか、し始めたと言われて久しい。それによって中国が混乱に陥って崩壊する、という説さえめずらしくない。何年か前2014年中国崩壊説を主張する評論家がいたが、とうに過ぎても劇的現象は起きていない。2015年に訪米した習主席は米国の旅客機300機購入の「爆買い」の約束をする始末である。

中国経済が、勝って勢いを失って停滞している様子はあるが、実際には言われているような激しい崩壊現象が現れている様には思われない。一体中国経済は恐ろしく過大評価されてはいまいか。例えばの話だが、GDPは公表数値の10分の1しかない、とか桁違いに実際の中国経済水準は低いのではないか、としか思われないのである。

何年も前に、中国経済の成長が嘘だと言う根拠として、エネルギー消費がある時期から減少を始めたと言う統計を示した識者がいた。省エネの努力をしない中国で、エネルギー消費が減少すれば、GDPも減少しているはずだ、というのである。

だが中国では政府が、今年のGDP成長目標が7%だと宣言すれば、地方行政機関はそれに合わせた経済統計を発表しなければならないのである。もしかすると、深釧特区が成功して、急激に沿岸地方に外国資本が入ってきて、中国経済が急成長を始めたころは、実態と公表の差は、それほど大きく無かったのかも知れない。それは元の経済力が極小だったから、相対的に大きな成長に見えただけである。

しかし、一渡り外国資本が入りきると成長は鈍化する。しかし、中国政府はメンツがあるから、成長が鈍化したとは言えず、惰性で誇大な成長率を発表し続けたのではないか。実際、内陸部自体は経済成長は少ない。改革開放の恩恵を受けたのは沿岸地方だけである。人口の大部分は経済成長していない部分に属する。だから中国全体が、いつまでも大きな経済成長を続けられるはずがないのである。

おそらく日本人並みの生活ができるのは、一億人もいまい。その上、一千万とか二千万人程度のごくわずかな人々が、平均的日本人には考えられない資産と収入がある。結局、経済規模の実態が大したことがないから、経済がだめになったところで、被害は大きくないのではないか。例えば100あったものが10になれば大変だが、元々12,3しかなかったものが10になっても大したことがないということである。だから中国経済が減速したからといって、中国経済も中国も簡単には崩壊しないのである。

以前から中国人の爆買いが話題になっている。彼等は大金持ちだと思われている。変だと思わないのだろうか。彼等は電気製品でも何でも、同じようなものを大量に買っているのである。どう考えても買った本人が、そんなに沢山使うはずがない。持って帰って売るのである。そう考えなければ辻褄が合わない。

日本で爆買いをする人たちの周囲には、それを買うことが出来る程度の購買力がある人たちがいるのである。つまり彼等は旅費をかけても、爆買いの商品を売れば割に合うのである。結局彼等は、爆買いの商品を買った金額と旅費に見合った、大金持ちというわけではない。爆買いで金を稼いでいるだけなのである。

これも中国経済の実体が大したことがないことを暗示している。しかも爆買いが中国経済の減速によって止んだ、ということも聞かない。減ったかもしれないが爆買いはある。これも爆買いが日本の商品を買って中国国内で売る商売だと言うことの証明である。

小生は歴史の教訓から中国はいずれ混乱と分裂状態になると考えている。しかし、今その時期が迫っているように思われない。しかも中国は清朝崩壊以後、皇帝がいなくなった。毛沢東などのトップを皇帝に擬する識者も多い。しかし、そのアナロジーが正しく、中共という王朝体制が存在して、歴史が繰り返しているのか、小生には判断できない。

ただ言えるのは支那人の民度からして、いくら工場ができ、機械製品を大量に生産し、ロケットを飛ばそうと、未だに中国は近代社会ではない、ということである。だから名目上の皇帝がいなくなっても、過去の歴史のサイクルから完全に離脱したとも言えない。


池上彰氏の民主主義危機論

2015-10-10 16:05:06 | Weblog

 平成27年9月28日の日経新聞に池上氏が、安保法案の採決について、60年安保との比較論を書いていた。事実関係に誤りはないのだが、都合のよい部分だけ取り上げている。60年安保は、一方的なものだったのを改正する良いものだったから、当初は一般市民は反対しなかったのだが、衆議院で座り込む反対派議員をごぼう抜きにして強行採決したから、民主主義の危機だと怒った学生や市民が国会を取り囲んだ、という。強行採決したのは、米大統領の訪日に合わせて条約の批准書を交換するため、急いだからである、というのだ。

 ここに書かれたことに間違いはない。ところが、結果ばかりで原因が書かれてないのである。強行採決しなければならなかったのは、急いだせいばかりではない。反対派議員が物理的に採決できないように妨害したからである。良き改定である、というのなら、何故反対派議員はそこまでしたのだろうか、という疑問を持たないのだろうか。

 当時は冷戦の時代である。反対の理由のひとつは戦争に巻き込まれる、というものであり、強行採決以前から、いわゆる市民にも反対運動はあった。今では、ソ連が日米同盟を阻止するために、社会党、共産党、総評などに指示と援助を与えて、反対させたことが明らかにらされている。この中には、事実上のソ連のスパイである、誓約帰国者も含まれている。

 国会周辺のデモの学生にも、多数の過激派が含まれている。デモは単に民主主義を守る、というのに限られず、反米闘争の様相を帯びていたのである。つまり根本的には、米ソの冷戦に巻き込まれたのであるが、池上氏は語らない。

 池上氏が60年安保闘争を持ち出したのは、今回の安保法制のデモとのアナロジーを言いたかったのである。自民党が今回も衆議院で強行採決した結果、若者たちが民主主義の危機だ、と感じてデモに集まった、というのである。その上安倍総理は米国議会で、夏までに安保関連法案を成立させると演説したから採決を急いだ、という類似点もあるという。

 この経緯にも、池上氏が書かないことがある。衆議院での審議の際に、民主党は自民党の渡辺衆議院議員への妨害作戦計画のメモまで作って妨害し、怪我までさせたのである。強行採決が民主主義の危機だ、というが、事前に審議妨害計画まで立てて、賛成派議員に怪我をさせることが、民主主義の危機でなくて、何だろう。

 参議院でも、反対派議員は自民党の女性議員を投げ飛ばし、怪我をさせている。混乱の中で自民党議員も暴力をふるったとされるが、程度は遥かに軽い。国会の中であろうと外であろうと、人に暴力をふるって怪我をさせるのは、明白な犯罪である。まして、法律を作る国会議員が犯罪を公然と犯すのは、それこそ民主主義の破壊である。民主党は、国会の中での暴力行為は犯罪ではない、という法律でも作るが良かろう

 採決を急いだ、というが今回の国会は戦後最長で、いくつかの法案の審議も止めたのであるから、短期の審議ではないどころか、充分時間はかけている。しかし野党は、戦争法案だとか徴兵制になる、とかレッテル貼りや虚偽で混乱させるだけで、内容の実質審議は極めて少ないものになった。議会の機能を著しく低下させる行為である。強行採決が民主主義の危機だと言うが、そもそも法的手続きに則って審議可決するのを、物理的に阻止することこそ、議会制民主主義の破壊であろう。

 60年安保の際には、良き改定だったから市民の反対は盛り上がらなかったが、強行採決したから、デモが広がったと池上氏は言う。ところが当時デモに参加した人たちは、良い改定であった、などというものはなかったのである。池上氏が良い改定だったと言うのは、現時点だから言える言葉である。

 それならば、池上氏は安保関連法は良いものなのに、強行採決したからデモが広がった、とでも言うのだろうか。そうではない。このコラムでは60年安保では良否の評価をしたのに、今回の件では評価をしないのである。池上氏はこのコラムでは、評価していないが、別のところでは評価を下しているのに違いないのであるのに。

 また、安保改定が終わると、国民の政治への関心は急速に薄れ、高度経済成長に国民の関心が移ったと言って、同様に「今後はアベノミクスを前面に出せば、国民は政治を忘れ、経済に関心を移す」と安倍首相はきっとこう思っていると断言する。総理を馬鹿にした話だが、結局は国民も馬鹿にしている。日本国民は経済に目を奪われて、政治を忘れた、という愚かな行為をした実績がある、と言っているのである。

 


書評・膨張するドイツの衝撃 西尾幹二・川口マーン恵美

2015-10-05 13:16:00 | Weblog

 エマニュエル・トッドというフランス人が書いた本とよく似た内容を思わせるタイトルである。ところが、読んでみると、意外やドイツが膨張して帝国化する、ということはたいして書かれていないのである。それどころか、ドイツがホロコースト後遺症に悩まされていて、悲惨な状態にある、という印象の方が強い。それでも、二人はドイツの事情に詳しいから、本としては興味深い。ドイツの事情を日本人がいかに知らないか、よく分かる。

 ナチスドイツが第三帝国と呼ばれたのは、神聖ローマ帝国、ビスマルクのドイツ帝国の次だからだ(P4)そうである。神聖ローマ帝国がドイツ帝国だとは、迂闊にも知らなかった。しかも、フランスなどを含み、現在のEUとかなり重複し、帝国を統括する行政機関もナショナリズムもなかったこともEUに似ているのだそうだ。

 だが帝国というものは、行政機関はともかく、ナショナリズムはないものであろう。元朝も清朝も、モンゴルや満洲と言う中央行政機関はあったが、元人や清人と言えるナショナリズムはなかった。米国は多人種国家ではあるが、ナショナリズムらしきものはある。中共は中華民族と言うナショナリズムを鼓吹しているが、成功はすまい。米国と中共の違いは、元や清と同じく中共は、地域別に民族が分布しているのに対して、米国は各地に多民族が入り混じっていることである。だから米国は分裂の可能性は少ないし、ナショナリズムの涵養の可能性はある。

 さて本に戻ると、EUでダントツなのは、ドイツである。残りはドイツのおまけか、利用されているだけであり、ギリシア人のドイツ憎悪は危険な水準にある(P4)のだという。なるほどドイツはホロコーストなどの補償はしたが、戦時賠償はしていないから、ギリシアが苦し紛れに賠償金をよこせ、というのも一理ある。日本と違い、ドイツはどこの国とも講和条約を結んでいないのである。

 日本でドイツに好感を持っている人は多いが、ドイツ人は日本嫌いが多いそうである。日本にある「ドイツ東洋文化研究会」なるものは反日的ドイツ人の集まりで、西尾氏もかつてはよく行ったが、人気のある日本人は反日の知識人、例えば大江健三郎、加藤周一、小田実が歓迎された(P26)そうであり、ドイツ人は彼等を神のように持ち上げていたのだそうだ。

 ドイツと中国の関係については、戦前の軍事顧問派遣など、協力関係があった。ドイツから現在も接近している。にもかかわらず、ドイツを訪れた習近平主席が、ホロコーストの記念館に行きたいと打診した時、メルケル首相は断っている。それは、中国の日本叩きに利用されたくない、という意思表示(P36)だそうである。ドイツが中国に接近するのは、ドイツが中国で被害を受けていないからである。日米は共に、人的経済的に多大な被害を受けている。イギリスなどは、香港人なる人種を作った位だから、儲けていたのだろう。

 情けないのは日本で、岡田克也民主党代表は、メルケル首相と会談した時、メルケル首相が「日韓関係は和解が重要だ」と発言したと述べた。ところが、ドイツ政府は「そんな事実はない」と否定したのだ(P37)。外国政治家の発言を使って嘘をついてまで、自国を貶めようとする岡田氏は、国際水準からは政治家失格である。

 ドイツはユダヤ人虐殺のレッテルを貼られ苦しんでいる。しかし、ドイツも恐ろしい被害を受けている。「ドイツ全体では、ソ連兵による婦女暴行が五十万件、米兵によるものが十九万件とされます・・・ドイツの敗戦が決まってからは、追放されたドイツ人の逃避行がそれに加わり、・・・死者と行方不明者は合わせて三〇〇万人と推計されています。(P107)」 すさまじい数字ではないか。米軍は人道的である、というのは宣伝に過ぎないのだ。

ところがドイツでは最近、マスコミが突如として、敗戦後に受けたドイツ人の迫害を語り始めた、というのだ。それまでは、そういうことを言うと、ホロコーストを持ち出されるので、絶対に言えなかった。ドイツの反撃は始まったのである。川口氏の子供たちはドイツ人だと言うから、ドイツ国籍があるのだろう。ドイツの公式な立場としては、ホロコーストはナチスの犯罪で、法的に一般のドイツ人には関係はないが、同じドイツ人として賠償する責任だけはある、という立場である。

しかし川口氏の子供たちは、自分が生きた時代ではないし、自分がしたわけではないから、なぜ自分たちに賠償責任があるのか、というのだそうである。まして日本人とのハーフである。そして、外国から移民して帰化しても、ドイツ人だから賠償責任がある、などと言われたらたまったものではない、というのは当然であろう。

 日本の戦時の慰安婦問題が、性奴隷として米国で中韓と反日日本人によって宣伝されている。ドイツ国防軍が日本と異なり、直営の売春宿を経営していた(P120)ばかりか、そこで使う売春婦とは、占領地域から女性を拉致して使っていた、というからまさに性奴隷である。ドイツは「『慰安婦』の苦しみの承認と補償」という国会決議をしようとしたが採択されなかった(P119)。それは決議をしようものなら、ドイツ軍の慰安婦制度の悪質さの全貌が出てしまうから、だというのだ。

 ドイツ軍直営の売春宿で、拉致された女性が性奴隷同然に働かされている、という翻訳本は、反日で有名な明石書店からも出されている。それなら明石書店関係者や同書を読んだ反日日本人は、ドイツのひどさと日本の慰安所とは違う、と分かるはずだと思ったが、逆なのであろう。ドイツ軍にもあるのだから、日本軍も同じシステムだろうと思い込むのである。誤解が解けるのではなく、日本軍の「悪逆」をますます確信するのである。

 この本では「EUは明らかに『難民の悲劇』に責任がある(P147)」というのだが、この時はまだシリア難民の大量流入という事態が発生していなかったから、EUは既に難民問題で苦しんでいたのである。EU、特にドイツという豊かな国があれば、水が高いところから低いところに流れるように、自然に難民が発生し、助ければ助けるほど期待して、難民は増える、という。ボートの難民が何百人も死ぬ、という事件が頻発しているのである。

 当時の難民はリビアが多く、予備軍は百万人はいるのだそうだが、リビアから難民が発生したのはNATOが介入してカダフィ政権を倒し、国家が消滅し密航の基地になっているからである。治安は乱れに乱れて、「殺人事件の発生率はカダフィ政権時代のなんと五万倍(!)といいます。こうした現象にEUは責任がないといえるでしょうか?なにが民主主義かと思いますね。(P150)」

 西洋人の発展途上国に対する人道的干渉は、実にエゴイスティック、かつ惨憺たる結果になっている。世界で最も独裁的で、異民族の迫害を大規模に行っている中共を、経済的利益が得られるから丁重に扱っておいて、小悪魔に過ぎない、カダフィやフセインを殺すのである。ドイツは難民問題とともに移民問題もかかえている。帰化したものも含めたら、移民は膨大な数になる。しかも、移民は下層にいるから貧困にあえいでいて、すさんだ生活をしている。だから、移民のいる下層の子供の通う学校は崩壊している。ドイツ人も格差が大きく、そんな学校にしか通えない家庭も多いのである。

 ドイツの膨張を言いながら、ニーチェが「ヨーロッパの没落は二百年後」(P95)と予言し、それは2100年になるのだが、ヨーロッパの終焉が来つつある、という。終焉とは「乱れ果てた廃墟のような土地、貧しく荒れた世界・・・移民になって出稼ぎに外国へでていかねばならないような土地になる」ことだそうである。

 福島原発が被災すると、保守系では反原発を珍しく唱えたのが、西尾氏である。メルケル首相は原発問題でも狡猾である。反原発のSPD政権が野党になると、メルケル首相は原発の稼働年数を12年延長する、という法律を通した。ところが野党ばかりか、国民の反発がすさまじかった。

 これでは以後の選挙にも勝てないし、かといって法律も引っ込められない窮地に陥っていた時起ったのが、福島の事故である。これを奇貨とばかり、メルケルはSPD以上に過激になって、2022年までに全原発を停止すると決定した(P201)。ドイツの脱原発は票欲しさに促進されたのである。

 西尾氏の脱原発の理由には興味があった。川口氏は原発必要論者である。西尾氏は即原発停止ではないが、放射性物質が無害化される技術がない限りは、地震国日本では危険で、各種発電方法のベストミックスを求め、40年後に廃炉になったら、おのずと原発はなくなる、というのである(P211)。

 原発は安いと言われるが、国税による研究開発費、地元対策費、廃棄物処理コストを加えると決して安くはない。西尾氏の不信感の根本は、地震にあるのではなく、原発にかかわる人たちの人間的劣悪さにあるのだという。原発にかかわる人たちとは、東電の幹部、東大の原子力科学者、経産省の幹部、原子力安全委員会委員長、原子力保安院幹部、原発メーカーの幹部など、全てが東大工学部原子力工学科出身者であり、いわゆる東大原子力村の面々だということである。

 米国の原発は元々軍事技術からきているため、「アメリカの原発はそうした軍事システムのうえで稼働していますから、常に最悪を想定し、警戒し、用意しています。(P214)」日本は「軍事的裏付けなしで、ただひたすら「原子力の平和利用」という掛け声のもとに進められてきた日本の原発は“戦後平和主義のシンボル”以外のなにものでもなかった・・・」

 つまり「日本の原発の『安全神話』は、その意味で、戦後日本の平和思想と国防への無関心・・・で形成された一種の“幻想”でした。(P215)」と言われると、保守の権化の西尾氏の言う理由は分かる。ちなみに韓国では海に面して原発があり、外壁に機関銃座があるのだという。テロリストに対して軍隊が守っているのである。これに対して日本の状況はお寒い限りである。

 西尾氏の反原発には興味があったが、一冊わさわざ読むのも、と思っていたので、うまく要約してあって助かった。だが、冒頭に書いた通り、ドイツに関しては、膨張するという迫力よりも、衰退に対してEUによって抗い、ナチスの後遺症で苦しんでいるのが、ようやく脱することを始めた兆候がある、ということが書かれている。小生は、ドイツ統一が成されたら、即動き出すと思ったが、ドイツは慎重だった。

 ドイツと英国が理由は異なるが、EU強化をめざしているが、行き着く先はEU崩壊か、神聖ローマ帝国型に落ち着くか、二択だという。世間の大方の予測は、EUの崩壊であろう。ドイツの利益が大きすぎるし、本来入れるべきではない異質な国家まで入れ過ぎたのである。西尾氏自身も、かなり前から、ドイツはマルクに回帰する、と言っているのである。


書評・最後の勝機・小川榮太郎

2015-08-30 16:25:58 | Weblog

  昭和40年代生まれにしては、珍しく歴史的仮名遣いで通している。小堀佳一郎氏はもちろんのこと、長谷川美千子氏ともずっと、年代が若いのである。歴史的文献として鴎外の「仮名遣意見」をあげているのは懐かしい。ただし、同じ歴史的仮名遣いの本でも、戦前のものに比べれば遥かに読みやすい。理由には文体もあり、漢字が略字であるからでもある。徹底するなら漢字も略字を止めたらとも思うのである。この書評では引用も現代仮名遣いにした。パソコンで、歴史的仮名遣いにするのは面倒だからである。

 閑話休題。氏は安倍総理に期待することが大きく、この本もそのために出したようなものであろう。街の商店街が駄目になったのも、農業の衰退も過保護や無気力のせいである、(P78)というのはその通りである。だから大型店が来る前から「商店街の店先には、ステテコ一丁で日がな一日パイプ椅子に座って時間を消している親爺がわんさかいた。」と言うのは痛快である。

 アメリカ問題についても、根本は日本人の側にあるのだ、ということでGHQの対日政策のせいにするのは間違いである、というのもその通りである。だが「大東亜戦争当時の日本は、アメリカにとって本当に怖かった。国力で一〇倍以上差があるのに、一歩、いや二歩位間違えたら敗北しかねなかった。(P84)」というのは事実であるにしても、だから精神的武装解除をして叩きのめしたのは、勝った側からすれば当然、というのは少々いただけない。現にドイツに対しては日本ほど徹底していない。

 単に氏が「やられた日本の側の思いを私が今なお、どれだけ痛切に感じ、今でも無念と復讐心に駆られて慟哭する」というだけの問題ではない。負けた側の法律や制度等を変えてはならない、という国際法の要請は、普遍的理念、と言ってもいいと考えるからである。アメリカの「当然」はある、というのだが、ここまで言うと「中国の当然もある。」と茶化したくもなる。確かにアメリカに頼ってアメリカの批判だけするのは、真のアメリカからの自立にはならない、と氏が言うのは事実である。それが戦後日本のジレンマである。

 靖国神社について「梅原猛氏などは『靖国神道は自国の犠牲者のみ祀り、敵を祀ろうとしない。これは靖国神道が欧米の国家主義に影響された、伝統を大きく逸脱する新しい神道』だからだ、怪しからん(P112)」と言うのだそうだが、小川氏の言う通りもし伝統から外れるとしても、近代日本が緊急に必要としていたから、それが歪んでいても仕方ないのである。

 そして靖国神社を批判する人たちは「靖国を断罪し、無い物ねだりしながら、文体や論法に、靖国の祭神のみならず、戦死者全般への慰霊の心情が、嫌になるほど感じられないことです。(P114)」というのは当然であろう。彼等は戦争は絶対悪なのだから、そもそも戦死者を慰霊することなど考えられないのである。

 保守の思想を江藤淳が理論的な「イズム」ではなく「感覚」である、と言っているのに対して、中川八洋氏は防衛するという「自覚」に強く立てば明確なイズムでなければならないと批判した(P159)というのだが、日本の現状に即して見れば微妙な話である。

 「江藤のいう『感覚』は保守の基盤、しかしイズムとしての保守主義は、中川氏の云うように、それを守る為に主として英米で形成された思想だ。(P161)」と総括して見せて、こんな基本合意すらないことが保守層内部の紛糾の原因になっている、というのである。これで納得はできるのだが、中川氏は小堀桂一郎氏すらインチキ保守だと断言したことがあったと思う。とにかく論理は明晰であるがエキセントリックな人物である。

 中川氏で思い出すのは、パネー号事件について、旧海軍の奥宮正武氏と雑誌で誌上論争をしたことである。月ごとに交代で相手の意見に反論するのだが、奥宮氏が戦争とパイロットの経験を持ち出して、素人には分からんだろうが、という調子で反論するのを、コテンパンにやっつけてしまって、どう見ても中川氏の圧勝だった記憶がある。

 日本は元来保守的であるが、保守政治思想の研究が皆無である、といい、「・・・日本の近代思想を、幕末水戸学、福沢から、福田恆存、桶谷秀昭、江藤淳、西尾幹二らに至る骨太の系譜として押さえておく必要がある。・・・中川氏の『保守主義の哲学』が取り上げているような西洋保守思想の古典的な理論書の共有も必要だ。(P181)」と書くのを見れば、氏が幕末以来の誰に信頼を置いているかが明瞭となる。

 北方領土問題について「最近の安倍氏が、北方領土返還と日ロ平和友好条約締結への強い意欲を言葉にし始めたことだ。(P235)」と言うのは贔屓の引き倒しである。「首相にそれなりの感触があるか、領土問題と平和条約をセットにして解決するならば、ロシアにも大きな利益になるぞという強いサインかの、いずれかでしょう。(P235)」というに至っては、氏はなぜここまで甘い考えを持てるのであろうか、と不思議でならない。

 沖縄ですら、米軍基地の恒久化という実を与えて、施政権の返還と言う実利を日本は交渉で得た。注意しなければならないのは、施政権の返還と言っているのであって、領土主権の返還とは言っていないことだ。ましてロシアは平和条約がなくても、日本との関係は維持している。何のメリットもない。断言する。北方領土はロシアの経済破たんや政府崩壊による混乱、あるいは戦争などがなければ、いくら交渉してもただの一島ですら帰ってこない。これが歴史の常識である。

 小川氏は安倍氏に絶大な期待を抱いている。佐藤内閣以降、このような期待を抱かせる宰相はいなかったから無理もない。賛成である。だが安倍内閣も永遠ではないし、全ての懸案を解決できるものでもない。第二第三の安倍氏を国民が育てる必要があるのだろう。まともな政治家が出てくると、右翼のレッテルを貼る、多くのマスコミには期待はできない。


書評・からごころ・長谷川三千子・中公文庫

2015-08-24 11:28:50 | Weblog

このブログに興味を持たれた方は、ここをクリックして、小生のホームページもご覧下さい。

一部に最近アップした、アフリカ問題を論じたものと重複があるが、御容赦願いたい。この書評がいつまとまるか見通しがなかったので、一部だけ独立先行させてしまったためである。

 5編の文章があるが、読めたのは3編「からごころ」「大東亜戦争『否定』論」「『国際社会』の国際化のために」である。残りは川端康成と井伏鱒二の作品に関連するので、興味が持てなかったのである。読んだ範囲で言うと、全般的に難読と言うこともあるし、くどい繰り返しが多く、もっと明快に書けないかと思った次第である。小生、かつては長谷川氏を、西尾幹二氏の後継者に擬していたことがあった。

 だが、西尾氏の仕事の広さ、分析の明快さには未だに及ばない。もちろん、西尾氏になく、長谷川氏ならではの鋭い視点も数々ある。それをもっと明快に論じられないかと思うのである。直感が鋭い分、論証の不足を感じることもある。小川榮太郎氏が、解説で「処女作に、作者の全てが現れるという言い方があるが・・・寧ろ、既に、完璧な問いを最も完全な形で出すことに最初の著作で成功してしまった」(P245)というのだか、皮肉な意味でその通りと感じた。

 彼女の最近の「神やぶれたまはず」を読んでも、その問いかけと答えに変化はなく、しかも明瞭な答えを出そうとしているようには思えない。つまり処女作から進歩がないようにしか思われないのである。最初の作に全てが現れる、とは言っても通常は深化がある。学識なき者の失礼な言い方かも知れないが、しかし氏の作品には、ずっとそれがないように思われる。

 しかも意表をついた見解がいくらでも出てくるのだが、それらの統合がなく、分裂しているようにすら思われる。それはお前の読解力と素養のなさである、と言われそうで、当たってもいるのだが、やはり西尾氏の統合力と、奇を衒わない明晰な分析には及ばない気がしてならない。 

1.からごころ

 これを充分に評論する資質は小生にはないのであろうが、敢えてする。ひとつの手掛かりとして「・・・中国語という言語がまずあって、それが漢字、漢文で書きあらわされるようになってきた」(P40)というのであるが、「支那論」で書いたように、中国の専門家かの言うところでは、漢文は情報伝達の記号に過ぎず、中国語すなわち漢文ができたころの、古代中国語の文字表記ですらない、ということである。

 これは決定的な認識の差であるように思われるが、その後の氏の展開を読むと必ずしもそうではない。国を治めるのは文字を持つ言語だから「・・・自然に、『漢籍』を中国語として受け入れた結果は」実際に離されるのは受け入れた国の文字を持たない言語だが、漢籍すなわち中国語が、その国の中枢を握る、という結果となる、というのである。

 これは中国語を漢文、と置き換えれば済む話である。日本でも長い間、漢字仮名混じり分ではなく「漢文」そのものが公文書として使われてきたし、朝鮮などは日本がハングルを普及させるまで、文章は漢文しかなかったのに等しい。氏は「・・・発音の大きく異なる北京語と広東語がほぼ同一の表記でまかなえるのも」一字一字の音を指す強制力は弱いからだ、といっても音声を無視してよい、というわけではない(P45)、というのだが、これも北京語や広東語の漢字表記と、漢文とは全く異なるものである、という前提が忘れられている。

 漢文の読みには日本では、呉音、漢音などがあるが、これは導入した時代の支配民族の漢字の読みを音読みとしたものである。ところが氏の言う広東語と北京語の音の違いと言うのは、地域の相違による、話し言葉の音の差によるものである。つまり漢文の時間的に相違することによる、漢字の音の違いと、話し言葉の発音の違いとは、全く同じとは言い切れないのである。同時代にあって地域が異なるから、発音が相違することと、呉音、漢音のように時代が相違するから、発音が相違することを同列に並べるのが変だと言えば分かるだろう。

 例えば北京語の漢字表記は、話し言葉を文字表記した、清朝崩壊の頃からの白話運動の結果であって、漢文との共通点と言えば、漢字を使っている、ということしかない。このことは前述のように、小生のホームページの「支那論」で書いたから、これ以上は述べない。

 日本人は漢文を読むのに、他の民族が成し得なかった「訓読」という「放れ業」をしてのけた(P42)。漢文を返り点などを打つことによって、日本語の順番に並べ替えて読んだのである。しかも、漢字の読みは「音読み」と「訓読み」を使い分けた。

 その上、訓読では原文の持つ音を無視してしまったのである。それは、単に訓読みがある、というだけではなく、漢字の順番を変えたことによることも大きいのだと言う。その例として氏はDig the grave and let me die.という英詩の一行を日本語の語順に並べる訓読、という奇妙なことをして見せる。勿論、「digシテ」のように漢文訓読の際に使う日本語の助詞も付加してみせる。

 こうしてしまえば、確かにアルファベットをきちんと発音したところで、元の英詩の格調は失われる。原文の音を無視する、というのはこのような意味が大きいと言うのである。前記のように、英詩を単語ごと分解して見せた、ということは漢字一字が英単語ひとつに相当する、という意味でも正しいのである。だが「・・・我々の祖先は、そもそも漢文を、『言語』をあらわすものとは見ていなかったのである。何と見ていたのかと言えば、純粋の『視覚情報システム』と見たのである。(P46)」というのはいただけない。

 前述のように、漢文とは元来そのようなものであったというのだから、我々の祖先の理解は正しいのである。多分漢字を導入した際の日本人は、当時の中国人の話し言葉を理解できるものは大勢いたのである。とすれば、その話し言葉が漢文とは同じではない、と気付いたのは当然である。漢字は表意文字だとは言っても、音声とリンクしていないわけではない、と氏は言うのであるが、実際に表意文字を使って、音声と意味とを矛盾なく同時に表記させることなどできはしないのである。

 だから「犬」をdogと発音する民族が漢文を読めばdogと読むのであって、イヌと発音する民族が読めばイヌと読むのである。支那では王朝が変わると多くの場合、支配民族も変わる。すると漢字の発音も変わったはずである。それが日本に導入される時代の相違によって、日本の音読みも、呉音、漢音などと変わった原因である。例えば「行」は音読みでも「ギョウ」と「アン」という、まったく異なる二つの音読みがあるのが、その典型的な例である。

 ただし、実際に祖先が漢文を「純粋の『視覚情報システム』と見た」ことが間違っていて、本質は古代中国語の文字表記だったとしても、問題はない。祖先がそのように看做していたことが、結果的に他の中国の周辺民族のように、漢字に拘ったり反発したりして、日本人のように滅却することができなかったのとは、別の画期的な道を切り開いたからである。

 新羅では漢字を万葉仮名のように使って自らの言語を表記する「郷(ヒャン)札(チャル)」が生まれたが、いつの間にか消えてしまった。ベトナムでは漢字を基として漢字もどきの文字(擬似漢字)を発明したが現代では使われていない。(P52)

これらは本来中国語を表すべき漢字で、自らの言語を表記するという不自然が見えてしまったからだ、(P52)というが、そうではあるまい。現在ベトナムではアルファベットが使われている。これはヨーロッパ系の言語を表すのに使われているのが基本のはずである。それが問題なく使えるのは、純粋な表音文字だからであって、元々ヨーロッパ系の言語を表記していたことは、ベトナム語をアルファベット表記することに何の問題もないことは事実が証明している

それどころか元来アルファベット自体が、ギリシア文字などの別の民族言語を表記していたものが、歴史的に時間をかけて変化したものである。毛沢東は漢字による中国語表記を止めて、アルファベットを使うことを考えたが、そうすると北京語、広東語などが全くの異言語に近いのがバレてしまうので諦めて、漢字表記に拘ったと言う説もある。漢字という文字だけが、漢民族の紐帯だと知らされたわけである。

万葉仮名で問題なのは、漢字を使っているから、文章の意味とは関係がない漢字を当てるから、漢字の意味が見えてしまうことである。漢字を音としてだけ捉えようとしても、意味が見えてしまうから、音が表す意味と漢字の表意性が表す意味とは、ほとんどの場合、合わないから精神的には不愉快である。漢字漢文の意味を解することが深いほど、不愉快は甚だしくなる。

例えば、古今集の和歌の最初の十二文字の万葉仮名表記の例で 

「奈尓波ツ尓作久矢己乃波奈」 

と書いて「難波津(なにわづ)に咲くやこの花」と読むのだそうである。「花」を「波奈」と書くのだから、波という漢字は、単に「は」の音を表すのであって、漢字の本来の「なみ」の意味は頭の中で意識して消し去らなければならないのである。不愉快、と言った意味がお分かりいただけるだろう。

結局日本人は漢字を崩すなどして、原型を留めないくらいに簡略化して変形することによって仮名を発明して、表意性が全くない表音文字を生み出したのである。氏は指摘していないと思うが、アルファベットなどの純粋な表音文字も、類似した過程で生まれたのだろうと小生は考えている。文字と言うものは、その始めは物の形を表したことから始まるしかありえなかったのであろう。「いぬ」の意味を現す文字は、犬の絵だとかそういう具体的な形である。それを「いぬ」という言語の音声で読んだのである。

しかし、いつまでもそれを続けていると、話している言葉や伝えたいことを文字で表すことにすぐ限界に達する。どのような過程なのか想像はつかないが、そのようにしてほとんどの文字は生き残りの為に、意味を捨象して表音文字となったのである。ところが漢字は表意性を喪失しない、という頑固な道を選んだ。つまり漢字は進化を停止した文字なのである。従って漢文を原始的な文字表記だというのは、その通りなのである。

蛇足が多すぎた。氏の説を敷衍しよう。ここからが本筋である。以上のように漢文を「純粋の『視覚情報システム』と見た」ことは、中国語と言う言葉の無視から来たものである。つまり日本人が「・・・現在のように日本語を読み書きすることが出来るということそれ自体が、この『無視の構造』に支えられている。(P60)」というのである。

だから無視の構造と言うのは、単なる国語表記の問題ではなく、小林秀雄氏の言う「私達の文化の基底に存し、文化の性質を根本から規定」しているものである、というのだ。「からごころ」とは「漢意」の読みである。なかなか辛いのは「・・・漢意は単純な外国崇拝ではない。それを特徴づけているのは、自分が知らず知らずのうちに外国崇拝に陥っているという事実に、頑として気付こうとしない、その盲目ぶりである。(P60)」という論理展開である。

こういう物言いが、氏の論理を小生にとって分かりにくくしている。それは後述しよう。維新の際に、日本は西洋の蒸気機関車や二十八サンチ砲などのテクノロジーばかりでなく、憲法や帝国議会と言った政治システムも取り入れた。「・・・すべて所詮は毛唐の発明した道具にすぎず、制度にすぎないではないか、と、ひとたびそういう風に見えてしまったらば、もう、それを大真面目で学ぼうということは不可能になる。いくら、それが自分達の国家と文化を守るのに必要であると分かっていても、それだけでは人は心から学ぶことは出来ない。・・・明治時代の日本について驚くべきことは、むしろ、すでにあれ程高い水準の文化と技術を持ちながら、それにもかかわらず、あれ程すばやく西欧の文化を消化し、同化することができた・・・ただの『欧化政策』などというものではない、『文明開化』である、と自ら信じ込むことで、危機の脱出に成功したのである。(p64)」

その功労者は「からごころ」であり、その本質は上述のような「逆説」であり、「漢意それ自体が、或は日本文化それ自体が、そういう逆説をなして出来上がっているのである。」と敷衍する。しかしこのことは論証できないのではなかろうか、と小生には思えてならない。氏のいうことは状況証拠すら見出し得ないとさえ思える。

例えば、氏は幕末に西洋と出会った時、高い水準の文化と技術を持っていた、というのだが全面的に正しいとは言えない。軍事技術に関しては明らかに劣っていたことはいくらでも実証できる。しかも軍事技術は周辺の他の分野の技術に支えられなければ成立しない。従って他の分野の技術についても、明らかに劣っていたのである。長州藩などが西欧諸国との戦争に負けたことで、技術の遅れが明白になったからこそ、西欧技術導入に転換していったのである。

政治制度の導入についても、たかが毛唐のものではないか、という軽蔑もなかったと同時に、無視するという氏の言う漢意によってではなく、伊藤博文らが憲法を作った過程を見ても、西洋の制度を深く勉強し、日本に導入できるように翻案したのである。伊藤らは単に政治制度などを洋化することによって、不平等条約を解消しようとしたのではない。

西欧の制度の中にある、日本にとって良きものを取り入れようとしたのである。そして悪しき物は決して入れようとはしなかった。そのことは、氏の言う「無視」とは違うのであろう。誠に不思議に思えるのは、氏はこれらの事情について、小生より遥かに詳しいのに、そのような事実をもって自説を論証しないことである。

そう考えた上で「無視の構造」と言うのは、小生の理解の及ばない考えがあるのだ、としか考えられないのだが、そのことを本書できちんと説明がなされているようには思えないのが不思議ですらある。

さらに日本国憲法について言及すると、「・・・何時かは、この憲法を貫く精神のおぞましさ、或はむしろ、全体を貫く精神のないことのおぞましさが、人の心を蝕み始める時が来る。その時に如何したらよいのか、その時我々は如何生きたらよいのか-我々には全くその備えが出来ていない。(P69)」と言うのはいいのだが、別項で日本国憲法について、意外な考えを述べるので、後述する。 

2.大東亜戦争「否定」論

このタイトルが林房雄の大東亜戦争肯定論をもじったのはもちろんである。林が「攘夷と文明開化とは、相反する二つの主義主張ではなく、同じ一つの認識-『東漸する西力』の脅威の認識であった(P163)」と考えていたのは正しいという。

その証拠に「・・・実際には、百年間にわたる文明開化は、やはり百年にわたる『攘夷』の決意に裏打ちされて進んできたので、『インテリ』でない普通の人々はそれを忘れたことはなかった。もっと正確に言えば、日本を取り巻く力と状況とが、片時もそれを忘れることを許されなかったのである。(P165)」から。

氏の言うインテリとは本気で英米協調外交を考えていた、愚かな幣原喜重郎らが代表格であろう。敗戦してインドネシアに残って、独立戦争に参加した名もなき何千の兵士がいた。例えばそのことを以て「普通の人々」は攘夷を忘れなかった、という証拠のひとつに数えればよい。外見的には、文明開化や大正ロマンに酔っていたはずの庶民が、いざとなると、そんな大事業をやってのけたのである。

例えばハリマンの満鉄共同経営を受け入れていれば、英米協調路線を守って、日本は英米との関係が破たんすることなく過ごすことができた、ということは正しかったのかも知れないが「・・・それは余りにも偏狭な「国家主義」である。(P168)」というのである。

「日本は『日本国』という国境を守る為に百年間戦ったわけではない。もしそうであったら、かえって後の世にはその『防衛戦争』たる所以がはっきり見えることになっていたであろうが、この百年の戦いにとって、国境などというものは枝葉末節のことであった。・・・国境が真剣な意味を持つのは、同じ文化圏に属するもの同士の間である。われわれは国境よりももっと切実に大切なもの-われわれの文化圏を脅かされていたのである。(P169)」という氏の見解は林房雄氏と同じである。

実際に、一部の英米協調論者以外のほとんどの日本人は、この見解であった。だから頭山満らをはじめとする日本人は、辛亥革命を支援するなどしていたのである。しかしどうだろうか。大東亜戦争肯定論で敗戦後のアジアで林氏が期待を抱いていたのは、私の記憶違いでなければ、中共であった。

支那は現在では、日本とはあまりに異なる文化の国としての相貌を現し、日本を脅かしている。否。振り返ってみれば支那とは、かなり昔から日本と同じ文化圏に属してはいなかった。日本人の一部には、当時それに気付いていた人物はいたのである。

だが「…『日本論』を聞いていると、まるで日本一国で『文化圏』が出来上がっているような気さえしてくる。けれども、現実にアジアという文化圏が危機に瀕していた当時の日本人には、それが潰れれば、もはや自分達も自分達自身でいられなくなる(p169)」というのだが、小生はいささか違うと考える。

支那や朝鮮がロシアなどに脅かされれば、日本も安全でいられなくなる、というのは文化圏の問題ではなく、地政学上の問題である。日清戦争のときに既に、日本人は支那兵の残虐さに驚き、現代の支那は孔子孟子の支那ではないと悟ったのである。だから支那がロシアに脅かされれば、日本も安全ではない、というのは文化圏の問題ではない。

日本がインパール作戦でインドの独立を助けようとしたが、これはアジアと言う地域から英米を追い出すことによって、ひとまず日本の安全を英米から守ろうとしたのである。インドと日本は同じ文化圏である、という人はなかなかいまい。アジア、と言うのはヨーロッパに対応する地理的概念にしか過ぎないのは明白である。だから英米の植民地が無くなると、支那や朝鮮が日本と対立するのは不思議ではない。

日本が目先の小さな利益に目が曇っていたのと同じく「・・・ナショナリズムに目覚めた中国、朝鮮もまた「大きな敵」よりも目先の敵にこだわりすぎたと評することはできよう。(p171)」というのも、その意味では間違いである。特に支那などは、一種の歴史の法則で、清という王朝が崩壊して、中共と言う次の王朝が成立するまでの混乱期に過ぎなかったが、これは歴史上何度も繰り返された出来事であって、ナショナリズムに目覚めたわけではない。氏のアジアのナショナリズム観は林房雄氏のそれとよく似ているように思われる。。

清朝崩壊後混乱を引き起こした主たる原因は、地方に乱立した軍閥である。一部の学生ら知識人の呼応があったから、ナショナリズムと誤解されたのである。一般民衆は軍閥の搾取の犠牲者であったし、多くの民衆は日本軍さえ支那軍閥の一種と勘違いしていた。「軍閥」たる日本軍が、宣撫工作によって地域に平和をもたらせば、日本軍の占領は歓迎されたのである。

ただし、当時の日本人のほとんどが、支那のナショナリズムの目覚めと解釈したのも事実である。石原莞爾らですら、支那人にまともな国家を運営する能力はない、と言ったが、これも歴史的な一時の混乱を永続的なものと見た近視眼である。だが、現在の支那の統一も永続的ではないのも支那における歴史の法則である。

周辺の夷敵が支那本土に入って来て、混乱に拍車をかけるというのも歴史的法則である。それが、かつてと違い、欧米が加わったと言うことに過ぎない。それ以前との大きな違いは、過去の夷敵と違い、欧米と支那の軍事技術の水準は隔絶したものがあり、いくら経済発展したように見えても、半永久的に追いつくことは出来ない。小生はこの意味では、本質的に中国が欧米と対等の軍事プレーヤーになる日は、何百年経とうと来ない気がする。

軍事技術を支え、さらにそれを支える工業技術のバックグラウンドとなる、教育、組織文化、社会構造、といった根本的なシステムが、欧米と違い過ぎ、それを地道に変革するつもりもなく、外国の工作機械等の道具の使い方を教えてもらって、目先のコピーで済ませているからである。

閑話休題。現に大東亜戦争の結果、アジアは解放されたが、大東亜戦争によってアジアが解放されたとは、言ってはならないと言う「奇妙な論理(P175)」がある。それが、如何に奇妙な論理であるかの例証として「南北戦争」を挙げる。「南北戦争が単に『奴隷解放』という理念をめぐっての争いだったのではなくて、むしろ南北の経済体制の相違に基づく争いだったことは、すでによく知られている。北軍の兵士達が、何で俺達が黒人(ニガー)のために死ななきゃならねェんだと不平たらたらであったことも知られているし(P176)」リンカーンの奴隷解放宣言も、もともとは苦戦する北軍に少しでも内外の同情を得て、戦局を有利にするために行ったものである。

「・・・だからと言って「『奴隷解放宣言』は空疎な茶番であり、『奴隷解放』の理念は好戦的な一部の北部人(ヤンキー)が自らの侵略的意図を覆いかくすため一般市民に押しつけたものである。この美名の名のもとに何万人の若き青年の血が流されたかを思うとき、このような危険な軍国思想は二度と再び許してはならない」などと演説する者は、余程南部(ディープ・)の田舎(サウス)にでも行かなければならないであろう。(P176)」

そして問う。「何故か?-北軍が勝ったからである。戦争に負けたからと言ってその戦争で自らの掲げていた理想の旗までおろしてしまい、自らの成しとげたことに目をつぶってしまうのは、まさに『勝てば官軍』の裏返しに他ならない。そういう人達は、万一勝っていたらばどうやって戦勝国としての責任をとるつもりだったのであろうか?・・・何故もっと歴史と言うものを素直に眺めようとしないのか-『大東亜戦争肯定論』の『肯定』とはそういう意味である。」なるほど、悲惨な戦争はどんなことがあってもしてはならない、と絶叫する現代日本人は、戦争に勝っていれば好戦的な言辞を絶叫する人たちである。

ここまでは納得する。「戦後の日本人が、あの戦争について、非はすべて我方にあると考え、林房雄氏の説くような『あたり前』のことをむしろ奇説とみるようになった」原因を七年の占領と検閲にするのは簡単だが、キリスト教の布教の失敗にみられるように、日本人は本来の在り方を脅かすような思想は絶対に受け入れてこなかったのだという。

だから「『大東亜戦争』のかくも理不尽な断罪が、われわれの『大和魂』を本当に危くするものであったとしたら、マッカーサーが何と言おうとクレムリンがどう言おうと、日本人はすべて聞き流したことだったろう。(P178)」と言うのだが、初めて聞く論理である。だが、不可解にも、倉山満氏との最近の共著「本当は怖ろしい日本国憲法」では、この論理は登場しない

石原莞爾が「一億総懺悔」と言ったのはもちろん占領軍に阿ったのではなく、「幕末以来この百年間、日本が本来の日本らからぬ振舞を余儀なくされてきたことへの反省である。・・・敵を『敵』と認じて、自らを常にそれと対峙させて眺めるという極めて欧米流の世界観を持つことであった。・・・戦後、危機の去ったのを肌に感じたとき〈もうわれわれらしく生きても大丈夫だ〉と人々は思った。(P180)」のであって石原将軍の真意を理解して心の底に収めた、というのである。

だから日本人本来の「和の世界観」に戻り「われわれは、もう二度と再びあの血腥い『欧米式国際社会』には住むまい。」として戦後は欧米への復讐にではなく「復興」邁進できた、というのである。だがこれらの長谷川氏の考え方には、越えがたいパラドクスが潜んでいるように思われる。

第一に、維新以来欧米流の力による流儀でなく、和の精神で対応したら日本民族は居なくなっていたであろう。そうしなかったからこそ、今和の精神に戻ることができたといういちゃもんをつけることができる。氏は、パラドクスを「からこごろ」という言葉で解消しているのだと思う。

第二に、占領軍の検閲の影響力をきちんと分析したり、大航海時代という欧米による大侵略の理不尽を充分に認識したからこそ、長谷川氏は前述のような結論に至ったのであって、無自覚で無意識でいたら、そのような結論は得られなかったのである。

また不思議に思われるのは、実際に石原莞爾が「一億総懺悔」と言う言葉をそのように考えていた、という論証がなされていないことである。また新聞に「一億総懺悔」という言葉が躍った時、国民がどう考えたか、という論証もしていないことである。ただ「インテリ」ならざる普通の人々は、そう考えていたはずだ、というのであろうか。現在に至るまで、長谷川氏は、これらの立論を修正する必要性を感じていないように思われる。従って、まだ小生には氏の論考を読み解く必要があるのだろう、というのが当面の結論である。

日本国憲法についての論考も同じ論理が貫かれているのは、当然と言えば当然であろう。憲法の前文にいう「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という言葉についての言及である。

多くの保守論者、いや全てと言っていいだろう。この文言は米国が日本を侵略者と決めつけるために、押しつけたものだ、と。ところが氏は、「ここに表されているのは、まさに『和の世界観』である。『国際社会』というものがここでは、他人を思いやり、互いに睦み合うことをその本質とするもの、と考えられている。これは、『東亜百年戦争』を通じて日本がその真只中で生きてきた、あの修羅場のことではない。(P183)」というのだ。

もちろん「敗戦国が戦勝国に対して、二度と再び立ち上がって脅威となることがないように」したというのだが、「・・・そうはさせじと必死で押し返す日本側の人々の血の滲むような努力がようやくこれだけの形に食い止めてくれたのである。」として「日本精神」と矛盾しない「国際社会」という言葉を発明して挿入したことが、その例である、という。

だから、先人のこれらの努力に敬意を払うどころか、努力があったことすら思い出してはならないことになっているのが現状である、というのだ。それは、思い出すことによって「国際社会」という夢を破るのではないかと無意識に恐れているからだ、という。この見て見ぬふりは、国際社会は現実には力の社会であるのに、それに無知なままで渡っていかなければならない、という唯一の深刻な厄介を抱えている、と初めて問題視する。

ところが「目をつぶることによって自分自身であることを守る時代は終わりつつある。(P186)」という平凡な結論に到達する。ひどく婉曲な言い方をしているが、敗戦によって米軍に守られていたから、古来の和の精神にひきこもってもいられたが、冷戦終結以降の国際情勢の変化によって、そうもしていられなくなった、と言っているのに過ぎないのではないのか。

「和の精神」さえ持ち出さなければ、普通の保守論者の言い分と変わらないのである。そして日米安保で国防を忘れて、経済成長だけに邁進したことが日本人本来の「和の精神」であったとすれば、それは土台、国際社会には通用しない、と言っているのに等しい。

そして「・・・戦うために益々われわれ自身ならざることを余儀なくされた百年間」だから大東亜戦争を「否定」することによって、新しく歩み始めることができる、と言っているから、ようやく「否定論」と銘うった理由である、ということが分かった。私は本稿の途中で「否定論」というのは、氏が、負けたからと言って大東亜戦争の理想の旗を降ろすのは、勝てば官軍の裏返しだと論じたとき、大東亜戦争を否定する者に対する揶揄をタイトルにしていると勘違いしていたが、そうではなかったのである。

だが最大の矛盾は、日本人は無意識に肝心なことを忘れ去る、という特技があるといいながら、「目を開けて、自らを知り、しかもなお自分自身であり続けるという難題に、いよいよ本格的に取り組むべき時が来ている。(P186)」と断じていることである。これは単純な小生には、日本人本来の和の精神を捨て去れ、と言っているのに等しいとしか思われない。日本人本来の精神を捨て去れ、というのは、日本人ではなくなれ、と言っているのとはどこが違うのか分からない。結局本稿の難点は「先人の努力」にしても「和の精神」にしても全て、事実による論証がなされていないことである。 

3.「国際社会」の国際化のために

イントロから、ある日本人の書いた記事を引用して、日本人は国際化、という言葉をよく使うが、英語にはない意味で言っているらしくて、理解できない、とアメリカの友人に言われた、と書いていることを紹介している。

例によって氏の論理展開はややこしいが、まず第一義的には英語のinternationalizeというのは他動詞で、辞典で引くと「(国、領土等を)二ヶ国以上の共同統治又は保護のもとに置くこと(P195)」とあるという。日本人なら、これは特殊な用法だと思うであろうが、この言葉が十九世紀後半に初めて使われるようになったとき、この意味であったし、主たる用法は今も同じである、というのだから先のアメリカの友人の言うのはもっともである、というしかない。

この違いを氏は「大学の国際化」ということで説明している。「大学を国際化する必要がある」と日本語でいう場合、対象となる大学とはあくまでも日本の大学であって「・・・フランスの大学に対して、もっと日本人スタッフを増やすように要求して「大学を国際化する必要がある」と迫る-そういう言い方は日本語には存在しません。(P193)」と例示しているのはその通りである。「国際化する」という日本語自体は他動詞的に聞こえるが、実は日本人自らだけを国際化する、という自動詞的用法しかないのだそうである。

西洋人の言う国際化、とはいかに苛酷なものであるかを言う。コンゴの国際化の例とは、欧米の複数国の共同統治下に置こう、という意味である。要するに、コンゴがベルギー一国の植民地になりそうな趨勢なので、コンゴと言う地域をベルギーには独占させないようにする、というのが目的なのである。

つまりコンゴをまともな国ではなく、単に植民地としての対象としてしか見ていないから、コンゴをどうするか、と言う場合に、コンゴに住む人々は交渉の対象とはならない。これは、九ヶ国条約で欧米が支那に取った態度とよく似ている。実体として存在もしない「中華民国」というものを勝手に認めて、これを維持すべきだ、というのだが、その結果もたらされたのは、各国に支援された乱立する軍閥による、支那の混乱と支那住民の窮乏である。

さて氏の説明に戻ろう。「・・・当時のコンゴはそんなものだったのではないか、と言う方があるかもしれません。それから百年近く経って独立した後でさえもが、あのていたらくだったのではないか、と。しかし・・・コンゴをはじめとするアフリカの各地域とも、少なくとも十五、六世紀の頃までは、決してそんな風だった訳ではない・・・その形態は近代欧米諸国とは異なれ、さまざまの王国が栄え、すでに高度な文明が各地で発達をとげていた。それを決定的に破壊したのは他ならぬ白人達であります。三百年にわたる奴隷のつみ出しと、それに伴う諸部族の抗争と扇動によって、いわば内と外の両側から、アフリカ大陸の「文明」を崩壊させていった(P199)」というのである。

例えれば、原野を開墾する場合、現に青々と茂っている草木を根こそぎにするようなものだと。だからコンゴの国際化が言われていた1883年には、コンゴには国と称するに足るものがなかったのではなく、なくされていたのだと。

この説明で思い出すのは、テレビで、ユニセフが行っているコマーシャルである。アフリカの栄養失調や病気で死にそうな子供を映して、この子たちをあなたの僅かな寄付で助けましょう、と募金を呼び掛けている。小生はこれを見るたびに不愉快になる。確かにアフリカの子供たちの人道支援は現時点での状況下では、必要であり尊ぶべきことである。

しかし、西洋人が長谷川氏の言うように、健全な王国であったアフリカを三百年に渡って破壊しつくしたから、外部から援助しなければ、子供すら育てられないような状態の地域になったのである。西洋人が来なかったら、アフリカは、子供たちすら自ら育てられないような国々ではなかったのである。それを壊した当の西洋人が作った、ユニセフなる国際団体が助けて、人道支援だと自己満足しているのである。

マッチポンプと喩えることすら許されないような、悲惨な状態を招来したのは、人道支援しようと言った人たちの祖先であり、そのことに人道支援の名のもとに責任を取るには、ことは重大過ぎる。

そして日本人が明治以来大切にしてきた「国際法」の概念のinternationalという国家間の範囲とは18世紀までは「ヨーロッパ」でしかなかった。(P203)」それが1856年のパリ条約においてトルコが、はじめて非ヨーロッパとして国際法の世界に参加した。トルコの参加は「ヨーロッパ公法と協調の利益への参加」と言われたが、実態はクリミヤ戦争の戦費の負債への返済の約束であり、19世紀末にはトルコは一切の財産権を英仏に握られてしまった、というのである。(P213)

そのために、かのケマル・パシャが近代化改革を行ったのだが、カリフ制廃止や、イスラム聖法を無効とすることを始めとする、大胆な西欧化政策であった。それは国際社会の侵入という苛酷な強制力による「悲しい大偉業」だったというのであるが、何やら維新の日本を思い出させるものではある。明治維新は、国民国家の形成の過程、すなわち西欧化の過程としては、世界的にも例外的に平和的に行われた。

だが、結局は西欧化でしかなかった。日本が失ったものは大きかったのではないか。例えば、現代で日本らしいもの、と言えば歌舞伎などの伝統芸能や寿司、城郭といったものが挙げられる。しかし、これらは全て江戸時代に完成したものの継承でしかない。つまり、維新以降、日本らしい、と言うことができる文化的遺産と言うものはないのではないか。

確かに軍艦島や富岡製糸場などのように世界遺産として登録された、維新以後のものはある。しかし、それらは全て西欧文化を日本的にこなしただけで、日本の独自性に至っていない。アニメにしても、まだまだ前途は遠い。

閑話休題。前述のように、国際法はスタートからヨーロッパ限定で、トルコの改革もある意味、それに合わせるために行われたものである。だが「本来『国際法』というものは、そこに参加するすべての国々の慣習や文化を考慮し、その社会を損なう恐れのないものでなければなりません。したがって、理想を言うならば、国際社会が一人新しいメンバーを迎え入れるたびに、国際法体系の全般的に渡っての再調整が必要となる(P218)」のだが、そこまでとは言わなくても、多くの新興国が参入してきたのだから、「劇的な変更・調整が必要となる」と言う。

しかし先進国側はこれを拒否している、というのである。もちろん、語義だけ論理的に抽象化していけば正論である。ヨーロッパ側が拒否する理由は、国際法のごく初期の学者の説く「普遍」という考え方である、というのである。つまり国際法は普遍的原理を基にしているから、地域も民族も文化も異なっても通用するはずだ、ということである。

なるほどそういう理屈もあるものだ、とは思わせる。だが例えば西洋人が言う「交通の権利や通商の権利」という言葉からして、西洋人のように、大洋を渡る交通手段を持ち、自分達本来の土地以外の土地を求めて、世界を荒らし回る人たちと、そんな手段も必要も感じない非西洋人たちにとって「普遍」の原理ではない(P225)のである。つまり、西洋人たちは、他民族が住んでいる地域であろうと、世界を勝手に通行し、他民族のものを好き勝手に手に入れる権利がある、ということの美しい表現なのである。結局普遍と言う言葉で自分たちの都合を押しつけているのに過ぎない、というのであるが、この例に関してはその通りである。

これを解決するのに参考となるのが、日本人の言う「国際化」なのだというから、またまた、面倒である。日本人は西欧と言う国際社会の外にいて、自分たちの社会が狭いと考えることによって、国際社会の本質的な狭さから目をそむけて、それに合わせようとしている(P230)という。しかし国際化ということを、「・・・ただもっぱら既存の『国際社会』の先住者達に従うものであることを止めて、本当に、すべてのあらゆる民族、国家に向けられるようになる時、それは『新しい原理』となりうるのです。(P230)」というのだ。

だが結局これは前述の「国際社会が一人新しいメンバーを迎え入れるたびに、国際法体系の全般的に渡っての再調整が必要となる」ということと同じことではなかろうか。だが日本流の国際化、という考え方を西洋人自身はもちろん、発展途上国自身ですら受け入れることは困難であろう、と思うのである。日本にだけ、西洋人が考えられない「国際化」という観念が存在するのだから。

結論として書かれている、国際化が日本だけのものではあってはならず「・・・『国際的標語』として-国際社会それ自体の国際化として-叫ばれ、高々と掲げられなければならない(P235)」というのは正しい。しかし、これを世界に広めよう、というのは前述のように、原理的にとてつもなく困難なことであろう。

確かに観念的に考えれば、今の国際法や国際社会なるものが、西欧中心の限定的な考え方であろう。しかし、長谷川氏が例証している、大航海時代の理不尽な西欧の論理の押し付けによる国際法と、現状における国際法の適用状況は、かなり状況が異なっているように思われる。つまり、氏は自分の論理に合わせて、現在起きてもいない論証に都合のよい、過去の事例を挙げているように思われる。元々国際法が西欧世界以外に適用され始めた時は、自己都合としか考えられない場合ばかりだから、今でも根本にそのような危険をはらんでいる、と言える。だが、相対的にその問題は減少しているのではないか。

実際に現代の領土問題などを個別に考えると、中国や韓国が実際に国際法を無視して行っている事例を考えると、中国や韓国の国際法へのきちんとした参加をさせるために、彼らの異質な文化などを考慮する余地は少ないと思われるのである。つまり、かつての傍若無人な西欧に比べれば、現在の国際法には確かに「普遍」を主張できる部分は多く存在するようになった。

例えば、竹島や尖閣について、せめて既存の国際法に従わせることができれば、日本の正当な権利は得られる、という点に限ってみれば、国際法は西欧のみならず、日中韓にも普遍性を持つのである。日本は狭い国際社会から目を閉ざしているから、領土問題を国際法に則って解決すべきと言っているのではない。その逆である。氏は「目をそむける」という日本人の特性を「からごころ」と同じ文脈で使っているが、実証的ではなく観念的なために、論理が強引に思える部分が見え隠れしていると思う。


書評・なぜ外務省はダメになったか

2015-08-13 16:39:03 | Weblog

 著者の村田氏はエリートの定義(P118)をしている。それは身分、学歴、試験などとは一切関係がなく、精神上の貴族と呼ぶべき人たちを言うのだそうである。知識以上に教養と節操を持ち、国家と社会への貢献を義務と考え、ものごとを行うに際して報酬を求める考えがなく、世論に留意するが決して大衆に迎合しない、そのような人達。それが日本の必要とするエリートだと、村田氏は定義する。

だが、このことを例えば外務省に適用して考えてみよう。現在は頂点にキャリヤ制度があり、一定以上の役職者はキャリヤと呼ばれる、試験制度の中から選ばれた人たちから採用される。逆に言えば、ノンキャリと呼ばれる人たちは一定以上の役職にはつけないのが現実である。

村田氏は、試験どころか学歴すらエリートとなるのには関係がない、という。然して、外務省にはキャリヤやノンキャリも、そこまでいかない役職者もいる。村田氏の定義によれば、その中のどのグループに属する人にもエリートにふさわしい人間はいるはずである。

元々は、試験制度も帝大もエリートを養成するために作られたはずであるだから、村田氏の定義とは相違している。村田氏が冒頭のようなエリートの定義をしたのは、エリートの養成のための制度がうまく機能していないと考えたためであろう。そうすると、村田氏の定義するエリートであるならば、身分、学歴、試験などとは一切関係がなく外務省のどんな高位の地位にもつくことができるべきだと、考えているのか分からないのである。今は建前は身分は差別できないから、官僚を考える上では除外してよい。

だが、高卒と大卒を比べただけでも、与えられたカリキュラムだけで学問をしていれば、学識、専門的素養というものは異なる。異なるものを同一条件で採用はできまい。だが本人の努力によって学識、専門的素養を大卒者以上に身につける者はいる。それを評価するのが、「試験」であろう。これは村田氏に言わせれば、狭い意味でのエリートの選抜になってしまうので、本来のエリートの選抜法ではない、というのだろうか。

だが村田氏がいくらエリートの定義をしたところで、そのエリートなるものを人事考課にどのように反映させることが、外務省、ひいては日本国の国益になるのかならないのか、答えは出ないのである。村田氏は誰も反論できない、理想的な命題を提供した。しかし、それと現実の官僚のあり方との落差は無限と言っていいのである。むしろ、村田氏のエリート論は一部民間会社にはあてはまるように思われるから皮肉である。

村田氏のエリートの定義を別読みすれば、学歴や試験で高い地位にいても、その人の品格によってエリートと呼べない人もいるし、たとえ地位や職務に恵まれていない人でも、エリートと和ベル品格の人はいる、ということになる。つまり世間的にエリートである、といわれることと、村田氏の本質的なエリートとは異なる、ということである。しからば、何故村田氏が、わざわざ独自の定義をしたのか、説明していただかなければ分からないのである。


アウシュビッツの犯罪者の逮捕

2015-07-20 15:14:36 | Weblog

 平成27年7月18日の産経新聞に「独、アウシュビッツ看守92歳を起訴」というできごとが小さく報じられた。アウシュビッツ強制収容所で看守をしているときに、1,075人のユダヤ人が虐殺されたことで、殺人幇助として逮捕起訴されたのである。虐殺を実行したのではなく、同地に勤務していただけでこの厳しさである。ドイツがユダヤ人虐殺の時効を停止していることは広く知られているが、ここまで徹底していたのである。

 以前、講談社現代新書の「七三一部隊」の記述を紹介したことがある。それを要約して再掲すると次のようになる。

旧日本軍の元軍医の証言である。元軍医は七三一部隊のメンバーではなかったが、三年半の間に十四人の中国人を生きたまま解剖し、手術の練習台として殺したのだという。他人が解剖しているのを始めて見たときは異様に思ったが、一度やるともう平気になる。三回目は進んでやるようになった、というのである。更に、彼は当時の心境を次のように語ったというのだ。

罪の意識はないんですよ。悪いとは思わないんですよ。だって天皇の命令で、その時信じてやったのだし、勝利のためなんだから悪くないんだと、細菌だっていいんだと私は思ったし、石井四郎に尊敬の念を持ったんですから」

 彼は未だに、自分の犯した14人の虐殺行為を後悔も反省もしていないと言うのである。普通の神経で考えれば、彼は人間虐殺も何とも思わない、精神異常犯罪者である。狂った犯罪者が放置されているどころか、まともな大学教授が誉めているのだ。日本の異常も極まっている。

 ドイツでは、単にアウシュビッツに勤務しただけで92歳の老人が、大量殺人の幇助で裁かれる。ドイツだったら元軍医は当然極刑である。しかも元軍医の日本人は、このことを大勢の前で話しても非難すらされないのである。

 それどころか「七三一部隊」の著者の大学教授は、大勢の前で話す虐殺犯の元軍医のことを尊敬している、とさえいうのだ。狂っているのは日本のこの状況である。まともなのはドイツである。なるほどドイツ以外の欧米やロシアでも、かつて異民族の大量虐殺や虐待などの悪辣非道を繰り返した例は枚挙にいとまがない。だが元軍医のように公然と話す異常者はいない。皆、自国の悪辣な過去は隠ぺいしているのである。日本人にはその程度の羞恥心すら失われている。